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所詮「他人事」だから

TBSのある番組で、
氷河期世代の特集をしていたとき、
コメンテーターが笑いながらVTRを見ていたことがSNS上で話題になっているようです。

死ぬまで踏み台」、「報われない世代」などの
言葉に笑ったのかもしれませんが、
SNSのコメントを見ていると、
単純に極端なワードに対してというより、
"そんな馬鹿な"、
"なにを今更"、
"そんなの自己責任だろ"

などの、コメンテーター達の、
氷河期世代に対する無思慮、想像力の無さ、
自己責任論という名の他責思考などが根底にある
ようにも考えられます。

しかし、これは「個人」の問題というより、
マスコミ、学者、タレント、男女、世代など、
どのような「世間」に属していて、
それぞれの「世間」がどのように考えているか
によるのです。

なぜなら、日本は「個人」の考えよりも、
"みんな一緒"が好きな「世間」がどう考えるか
の方が優先されるからです。

それは時に「世論」という形でも現れます。

ある出来事に対して、
関係のある「みんな」が多ければ、
「世論」の力は大きくなります。

相対的に人数の多い高齢者が、
政治に影響力を持つのは、「高齢者」や、
「団塊の世代」などの、共通の利害関係を持つ
人数が多いからです。

だからこそ、
年金などの社会保障制度や、
高齢者への手厚い給付などの政策は、
自分達に関係がある」ことだから、
関心を示し、支持し、「世論」という形で
意思表示をするのです。

しかし、
子育てが終わった世代や、
子育てを経験していない人達にとっては、
子育て世代への支援や補助、
すでに一線から退いた世代や、
サラリーマンではない経営者や投資家にとっては、
働き方改革や退職金への課税などのことは、
自分達に関係ない」ことだから、
"どうでもいい"ことなのです。

まだ若い10代、20代の人々からすれば、
年金や介護などの制度のことは、
自分達に関係ない」、"どうでもいいこと"
になります。

これは高齢者だから、若者だから、
という特定の世代や年齢の区分だけでなく、
私達が大好きな、"みんな"そうなのです。

私達は、「個人」の考えや意見を持つことも、
考えや意見を表現することも、
まして、政治や制度、日本の将来などについて、
議論をすることも苦手です。

政治に関する話題は"タブー"とされ、
日本の将来を語るヤツは"ヤバいやつ"か、
"意識高い系のヤツ"などと馬鹿にされたり、
笑い者にされたりする始末です。

それだけ私達は、1人1人の「個人」ではなく、
自分達が所属している家族や学校、会社、業界、
職種などの「世間」、それぞれが所属している
「世間」が作り出す「空気」に影響を受けている
のです。

最初の、VTRで氷河期世代を笑い者にしていた
コメンテーターの人々にとっては、
取り上げられる話題のことなど、
自分には関係ない」と考えているのです。

だから、
どこまでも「他人事」という態度でいられるし、「笑い事」で済ませることができるのです。

これがもし、
自分の家族や親類、友人、教え子などの、
自分に関係のある」人達が当事者に含まれて
いれば、「他人事」ではなく、「自分事」になる
のです。

ワイドショーなどで、
学者や弁護士、医者、◯◯コンサルタントなどの、
社会的に地位が高いとされる人々の中には、
もっともらしく綺麗事を言っているような人達が
いますが、彼(彼女)達のコメントを聞いたり、
姿を見ていると、それこそ笑えてきます。

所詮「自分達に関係ない」、
他人事」だと思っているのに、
"ギャラのため"、
"知名度のため"、
"「世間体」やイメージを上げるため"、
"かっこいいことを言っている自分に酔うため"、

見た目や話し方や仕草などを研究し、
自分が目立つことだけを考えて、
自分達に関係のない」ことに対して言いたい事を好き勝手言って、時に笑い者にして楽しんでいる。

人のことを笑い者にする人間が、
はたから見れば、笑い者になっているのですから、
なんとも滑稽ではありませんか。

"みんな一緒"は、聞こえはいいですが、
実際は"みんな一緒"ではありません。

関係のある人の人数が多ければ、
政治を動かす「世論」になったり、
恩恵を受けることができたりしますが、
"関係ない"、とみなされた人々は、
容赦なく切り捨てられ、どこまでも差別され、
最初から存在しなかったかのように、
無視されるのです。

なぜなら、
「世間」は"排他的で差別的"だからです。

だから私達は、
それぞれが所属している「世間」で、
一生懸命「世間」で顔色を伺い、
「世論」の中にある「空気」を読み、
他人の目を気にし、他人と自分が違う存在では
ない、"みんな一緒"であることを示し、
確認し合うのです。

昔は「世間」の言うことを聞いていれば
よかったかもしれませんが、
今は時代も、価値観も考え方も、技術も生活水準も変わっています。

変わっていないのは「世間」だけです。

それも、私達の生活の場である「世間」が、
少なくとも千年以上はずっと変わらないで
今にまで至っているのです。

よく言えば「伝統」かもしれませんが、
正直「時代錯誤」になっているのではない
でしょうか。

「世間」をいきなりなくすことはできず、
壊すことも難しいですが、
せめて、「世間」のルールである、
"排他的で差別的"くらいは、
なくしてもいいのではないでしょうか。

皆さんは「世間」についてどのように考える
でしょうか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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