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日本がスパイ天国なのは「世間」のお陰
日本は他の国々に比べて、
情報セキュリティが脆弱で、情報管理の体制や、
機密情報に対する考えや意識が相対的に低い、
と言われることがあります。
日本も昨年、
「セキュリティクリアランス」制度の根拠となる
法律が国会で可決し、今年制度が施行される予定
です。
「セキュリティクリアランス」は、
国が定めた、安全保障に関わるような機密情報に
アクセスする人の身辺調査などを行い、
要件を満たした人にアクセス権を認め、
ルールに違反した場合は罰する、という制度です。
それらしいことを書きながら、
私はセキュリティや安全保障について詳しくは
ありません。
ではなぜ、
あえてセキュリティという言葉を出したか
というと、そこにも「世間」が関わっている
と考えるからです。
どういうことはこれから書いてみます。
昨日、日本には「公共」という概念がなく、
あるのは「世間」で、電車やバスの中でも、
まわりに人がいたとしても、平気で雑談や、
誰かの愚痴や悪口などの「世間話」ができる、
という記事を書きました。
他の誰がいようと、
同じ「世間」の人同士であれば、
気軽に雑談や、愚痴の言い合いなどを楽しめる
気軽さ、楽しさはありますが、セキュリティの
面から見れば、非常に危険なことでは
ないでしょうか。
もし、国や会社の機密を扱う立場にある人が、
電車やバスなどで、自分の知らない誰かが近くに
いたとしても、構わず「世間話」をしてしまう
のであれば、「これくらいは大丈夫だろう」、
という考えで、「世間話」の中で、
機密につながる、あるいは、機密にアクセスできる人間だと分かってしまうことを話していたら、
スパイにとっては好都合です。
なぜなら、スパイなどの、
情報を盗み取りたい人間にとっては、
わざわざ盗聴などの手段を使わなくても、
対象の方から色々としゃべってくれる可能性が
高いからです。
さすがにシラフで、
電車やバスなどの人前ではそんな話はしないし、
それは個人の意識の問題だと言われるかも
しれません。
しかし、お酒を飲む場所ではどうでしょうか。
日本の居酒屋は、
どこのお店もワイワイガヤガヤ賑わっていて、
この雰囲気が楽しくお酒を飲める一因にもなって
いると思います。
こうした雰囲気の中で行われているのが、
お酒の力を借りた「世間話」です。
つまり、
同じ会社の同僚や、上司・部下、
同じ大学のサークルの先輩・後輩、
同じ学校の同窓生、
などの同じ「世間」の人間同士でされる話なので、「世間」の外のことや、「世間」の外にいる人達の存在は眼中にありません。
だからこそ、
あれだけ大きな声で話したり、
騒いだり、馬鹿話ができるのです。
これは若者だから、特定の年代がどうとか
ではなく、それぞれの「世間」に生きている、
私達が大好きな、"みんな"がそうなのです。
そんな「世間話」が繰り広げられる居酒屋は、
スパイにとっては、様々な情報が聞き放題、
盗み放題でしょう。
なぜならわざわざスパイから聞いたり、
リスクをおかすまでもなく、
それぞれの「世間」の人達が、
自分から、会社のこと、学校のこと、同僚のこと、
上司や部下のこと、プライベートなことなど、
色々としゃべってくれるからです。
もし、情報を盗み取りたい会社、組織があれば、
行きつけの飲み屋を調べ、飲み屋の従業員を
買収し、対象の会社や組織に属している人間達が、
自分の座っている席の近くに案内されるように
する。
あとはなにもしなくても、
時間と共に、お酒が入ってくれば、
相手から色々しゃべってくれるので、
直接機密情報につながらなくても、
アクセスできる人間の目星や、組織の内部情報などは拾えるので、それらの情報を足がかりに、
アクセスできる人間を脅したり、
闇の業者へ情報提供することもできる。
私の足りない頭でも、
これくらいは想像ができてしまうので、
プロのスパイや、闇バイトなどの元締め、
"地面師たち"に出てくるハリソン山中のような
人物であれば、もっと綿密に、周到に計画を練る
ことが可能でしょう。
たしかに、
「セキュリティクリアランス」などの制度や、
セキュリティ意識の啓発、
情報管理の体制を整えることは必要です。
しかし、そういった体制や制度を整備しただけで
満足していて、外側の目に見える部分の体裁を
整えて対策をしたつもりになっていても、
制度や体制、対策マニュアルがあっても、
いまだに情報漏洩がなくならないのは、
「世間」が変わっていないからです。
本気でセキュリティのことを考えるのであれば、
「世間」のことまで考慮しない限り、
いくら従業員の意識を高めようと啓発活動を
しても、その日の夜の飲み屋で、
「セキュリティクリアランスとかいう、
また訳のわからない横文字使ってさ〜」、
などと、酒の席での馬鹿騒ぎとともに、
流れて忘れ去られるのがオチでしょう。
セキュリティや危機管理だけでなく、
会社や組織の不祥事、日々の仕事の中で、
従業員の失敗とみなされることが起きた時、
"個人の意識"、"個人のやる気"などの問題、
ということが、ことさらに言われますが、
果たして本当にそうでしょうか。
普段はことさら、
"みんなが一緒"を強調するのに、
不都合なことが起きると、
特定の「個人」に押しつけて、
"みんな"から切り離すことで、
"みんな"の責任を免れる様々な場面で
繰り返されていますが、
それは全て「世間」のお陰なのです。
会社の不祥事を従業員に押しつけるのも、
政治家が秘書に自殺させるのも、
省庁という組織を守るために職員を自殺させる
のも、全ては「世間様」のすることです。
セキュリティの分野だけに関わらず、
「個人」の意識がどうこうではなく、
"みんな"、つまり、「世間」の意識を変える方が
よほど重要だと考えています。
皆さんは、セキュリティにかかわらず、
「世間」を意識したことはあるでしょうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。