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"丁寧に説明"をする時点ですでに決まっている

高額療養費制度の自己負担上限引き上げについて、
ネット上では話題になっている一方で、
テレビなどでは、ほとんど触れられていないよう
です。

この件について官房長官は、
政治家や官僚の決まり文句の、
"丁寧に説明"をすると言っているようで、
一見、国民の声に耳を傾け、まだ議論の余地のあるように聞こえますが、そうではありません。

この言葉は、
"既に決まったことをひたすら繰り返すこと"
="丁寧な説明"
であり、
彼らの本音としては、
"もう俺たち官僚(政治家)が決めたことだから、
変わらないし文句を言うな"
なのです。

廃棄物処理場などの施設の建設にあたり、
住民説明会が行われますが、
あれは、開催する側の国などが、
"皆さんの声を聞く場を設けて話を聞きました"
というアリバイ作りのためです。

だから、
いくら該当地域の住民が疑問や反対意見など、
様々な声を主催者にぶつけても、
ひたすら建設することの目的やメリット、
国などにとって都合のいい論理や、
訳の分からない理屈を、「〜してございます」、
などという変な言い回しまで使って、
開催時間いっぱいになるまでかわし、
煙に巻くことしかしないのです。

なぜそんなことになるかといえば、
そもそも、政治家や官僚達は、
国民や住民達と"対話"をしようという気が
ないからです。

"バカな国民は黙って俺(私)達の決めたことに
従っていればいい"


"当選したら寝てても金が入ってくるし、
官僚が書いたメモを棒読みすればいいから、
選挙の時だけ頭を下げて、国民の声を聞くフリを
しておけばいい"


"政治家は国民の代表というのは建前で、
実際は俺(私)達、官僚が、政治家の答弁内容も、
政策も全て決めているのだから、
政治家はGoサインだけだしてくれればいい"


"なにか問題や不祥事があっても、
政治家が辞めるだけで、
俺(私)達は一切責任を負わなくていいし、
一時注目されたとしても、
バカな国民達は、マスコミが流す、
芸能人のスキャンダルや、
スポーツ選手の活躍、
お笑いなどの娯楽や、
アイドルなどにうつつを抜かしてくれるから、
忘れられるまで反省しているフリをすればいい"

これらの考えが「前提」としてあり、
永田町や霞ヶ関という「世間」が、
自分達に関係ある、メリットになる」、
法律の制定・改正、政策の実施や制度の制定
を考えるのであれば、
それはいつまでも国民のためになることは
ありません。

なぜなら、政治家や官僚達にとって、
自分達と同じ「世間」にいない、
同じ「世間」に含まれない「国民」のことなど、
"眼中にない"からです。

政治家であれば、地元の有権者、後援会、
献金してくれた企業、親類縁者、友人、
官僚であれば、企業やJAなどの各業界の団体、
同じ省庁のOB、OGなど、
ごく限られた「世間」にいる人達のことを、
国民」と捉え、それ以外の人々のことは、
興味もないし、"どうでもいい"のです。

なぜなら、
"なにかをしてもらったらお返しをしなければ
ならない"

"なにかをしたら見返りがある"
という贈与・互酬関係が、
全ての「世間」の前提にあるからです。

"企業が献金をしてくれたから政治家が、
企業が有利になるような便宜を図る"

"政治家が友人から、
学校を建てたいからと頼まれたので、
建設予定地を、通常の市場価値よりも安い
破格の値段で購入できるようにする"

"官僚が特定の業界団体に都合のいい制度を
作ったから、団体から豪華な接待をして
もらったり、委託先の組織に交付した補助金の
一部を還流してもらえて、自分の懐に入れることができる"

"天下り先のポストと高額な報酬を用意してくれる
大企業には、見かけ上一旦税金を徴収しても、
あとで税金を上回る還付金が戻るようにする"

贈収賄や利益誘導、天下りなどが
いつまでも繰り返されるのは、
なんのことはない、
それが「世間」の"当たり前"の前提だからです。

政治家や官僚達が、
建前上国民に何かを説明する時は、
すでに、彼らの「世間」の中で、
前提があり、結論も決まっているのです。

あとは、
国民が関心をそらし、興味を失ってくれるまで、
ひたすら"丁寧に説明"をし続ければいいのです。

そして、彼らの思い通りの政策や制度が実施されるのです。

なぜ政治家や官僚が国民の方を向かないのか。

それは、同じ「世間」にいない国民のことなど、
"どうでもいい"し、所詮「他人事」だからです。

だから、今まで何も変わらないことを、
しょうがない」と言って諦め、
どうせ何も変わらないから」と敗北を認め、
結局政治家や官僚達の好き勝手を野放しにし、
政治や行政の不作為(やるべきことをやらない)を、
私達は黙認してきてしまったのです。

どうせ何も変わらないから」と、
政治に関心を示さず、選挙にも行かず、
自分達には関係ない」と考えている人々には、
これから先も、このまま黙って何もしないで
いてくれる方が、政治家や官僚達にとっては、
この上なく都合がいいでしょう。

これを、「世間」の理屈を使えば、
自分達には関係ない」と逃げることもできます。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか。

これから先も、一部の「世間」に属する人間達に
都合のいいようにこの国の形を変えられ、
他国に売られ、日本自体が消えてなくなるかも
しれません。

そうなっても、
自分達には関係ない」ことだから
と言い切れるでしょうか。

昔の一部の左翼のように、
革命を起こせ、テロを起こせとは言いませんし、
そんなことをしても「世間」の目が冷ややかで、
何も変わらなかったことは歴史が証明しました。

私はこの日本の生きづらさ、息苦しさの正体を
求める中で、「世間」に行きつきました。

そして、
日本で起きているあらゆる出来事を知るには、
この「世間」を知ることが、
まずは第一歩になると考えています。

この「世間」を知り、
「世間」を前提にして考えなければ、
いくら素晴らしいとされる考えや、
組織、制度などを整備、導入したところで、
本質はなにも変わらないからです。

明治維新の成功ばかりが喧伝されますが、
国会、法律、社会制度など、表向きは他国と
同じようなものがあっても、「社会」は建前で、
実際に日本にあるのは「世間」です。

「社会」はまだ200年も経っていない一方で、
「世間」は1,000年以上存在します。

法律や制度などの話が空虚に聞こえ、
「他人事」に思えるのは、
それが建前の「社会」の話で、
実際にある「世間」の話をしていないからです。

残念ながら、今の私には、
「世間」を知ったその先の構想までは描けて
いませんが、これは「個人」の問題ではなく、
私達が大好きな、"みんな"の問題だと思うのです。

皆さんは、「世間」や今の日本、
これからの日本についてどのように考える
でしょうか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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