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職場ではつねに「疲れている」ことを強いられる
休職中にYouTubeを観ていた時、
ホロライブ(女性VTuberが所属するグループ)関連の
配信や切り抜き動画をみるようになりました。
特定のVTuberを推しているわけでは
ありませんが、VTuber同士の掛け合いが
面白かったり、1人1人でもキャラ立ちしているのがいいなと思い、今もライトなリスナーとして、
配信や動画を観ています。
そんなホロライブ所属のあるVTuberが、
色々な人に"こんにちは"、と挨拶をしている
という話をしていました。
そして、
「"こんにちは"は好きだけど、
"お疲れ様です"は嫌だ、
だって疲れてるじゃん」、と言ったことが
気になりました。
仕事をしている時、同じ職場の同僚に対して、
"お疲れ様です"、"お疲れさま"、
という言葉を当たり前のように交わしますが、
彼女の「だって疲れてるじゃん」、という言葉を
受けてふと考えたことがあります。
それは、以下のことです。
みんな同じ場所で仕事をして、
みんな同じつらい時間を過ごし、
みんな同じように疲れていると思っている。
むしろ、みんな疲れていなければならない。
誰か暇そうな人がいたり、
疲れていなさそうな人がいたら、
その人に対して、
「あいつだけ暇そうにしやがって」
「暇なら誰かの仕事を手伝えばいいのに」
「疲れていないなんて、
仕事の手を抜いているに違いない。
だから、そのしわ寄せがみんなにきているんだ」
などの悪口を言われ、陰口を叩かれることになる。
だから、たとえ疲れていなくても、
「お疲れ様です」と言われたら、
こちらも「お疲れ様です」と返し、
「いやぁ、疲れました」、
と疲れているフリをする。
「お疲れ様です」、と言った側も、
相手に疲れていること、疲れたという態度を
無意識のうちに求めている。
疲れた、という反応が相手から返ってこないと、
疲れている自分が悪いような感じがして、
なんだか無性に腹が立ってくるし、イライラする。
言っている人、言われている人がそれぞれ、
そのつもりはなくても、
「お疲れ様です」という言葉を交わしていると、
知らず知らずのうちに、
「お互い疲れているよね」、
「俺(私)たちは疲れているから仲間だよね」、
ということを確認し合う場となっている。
昨日書いた"休みが取りづらいのはなぜか"の
記事で、会社で休暇を取った人が、
「雨に降られた、疲れた」などのネガティブなことを言うのは、"「世間」へのアピール"であると
しましたが、「お疲れ様です」、という言葉も、
"疲れている"ということを示すための、
"「世間」へのアピール"ではないかと考えるの
です。
そもそも、お疲れ様です、という言葉は、
誰かになにかを手伝ってもらったときに、
相手に対しての労いの言葉として使う場合も
あります。
しかし、職場や仕事関連の環境以外では
あまり使わないのではないでしょうか。
会社や組織などでの職場で頻繁に、
お疲れ様です、が使われるのは、
「職場や仕事に関わること=疲れること、
しんどいこと」、という前提があるからです。
「世間」は"みんな一緒"であることを求めます。
「生活のためにやりたくもない仕事をしている」
「労働なんかクソだ」
「自分はこんな嫌なことを強いられる環境にいるからみんなそうに違いない」
「上司やお局のご機嫌を取ったり、
職場の人間関係が面倒臭い」
こうした考えによって作られている職場、
「世間」であれば、
"疲れている"、
"苦しい思いをしている"、
"しんどい"、
ということをアピールし続けなければ
ならないのです。
間違っても、楽しそうにしたり、
なんでもないような涼しい顔をしたり、
まして余裕があるなどと言うことを口にすれば、
同僚という"「世間」のみんな"から悪口を言われ、陰口を叩かれ、上司から余計な仕事を振られ、
同僚からも仕事を手伝ってもらえない、などの
嫌がらせやいじめを受けることになってしまうの
です。
同僚や、上司であっても、そこまで厳格に上下を
意識していない人であれば、"お疲れ様です"、
というお互い同じだよね、を確認する言葉を
使います。
一方、"ご苦労様"、は上の立場の人間が、
昔の殿様のように上から目線で言うもので、
このご苦労様を使う人、上司などは、
お疲れ様、と言われるとキレる人がいます。
あれは、「お前なんかと一緒にするな、
俺様の方がお前なんかよりもずっと上なんだぞ」、
という厳然とした上下意識、差別意識があるから
です。
ご苦労様は目上の人間から下の者への使い方、
お疲れ様は下の者から目上の人間への使い方、
などというくだらない使い分けがあったりますが、
挨拶一つとっても、使うことが許される「身分」があり、「身分」に合った言葉遣いが求められているのです。
使うなら、お疲れ様だけで十分なはずなのに、
"みんな一緒"が好きなはずなのに、
上下差があったり、「身分」があったり、
不思議ですね。
休みを取ると言う行動だけでなく、
お疲れ様です、という当たり前のように行なって
いる挨拶によっても、私達は無意識のうちに、
「世間」の前提、ルールに従い、
「世間」に従うための行動、言動、振る舞いを
日々強化しているのです。
VTuberの発言から「世間」について考えることに
なるとは思いませんでしたが、まだまだ自分が意識できていない「世間」があるな、と実感する機会となりました。
皆さんはお疲れ様です、などの言葉について
どのように考えるでしょうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。