HLAB Alumni Interview #2-1 信田絵里香さん(自分で考えてアクションを起こした高校時代)
HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。今回は、HLAB Alumni Interviewの第2弾として、2015年参加者の信田絵里香さんのインタビューを掲載します。
高校時代からアメリカでの留学生活まで、全4回に渡ってお送りしてまいります。(続き:第2回 / 第3回 / 第4回 )
第1回目は、信田さんが高校時代に行っていた活動についてお伺いします。どのようなことをきっかけとして、演劇やレモネードスタンドなどの活動を始めたのでしょうか。大学専攻している「コミュニケーション学」とのつながりについても語ってもらいました。
—早速ですが、HLABに参加した年と、今やっていることを教えてください。
信田さん:2015年、高2のときに小布施のサマースクールに高校生として参加して、今は女川の執行局のECをやっています。
HLAB OBUSE 2015に高校生として参加した際の写真(信田さんは写真右)
―大学はどこですか?
信田さん:カリフォルニア大学サンタバーバラ校です。
―1年生ですか?
信田さん:1年生を終えて、夏休みです。
(※ インタビューは2018年夏に行われました。)
留学しているUniversity of California, Santa Barbaraのキャンパス。
―専攻について、何を学ぼうと考えていますか?
信田さん:専攻はとしてコミュニケーション学という学問を学んでいます。副専攻が演劇で、3年生からは応用心理学を勉強しようかなと考えています。
―コミュニケーション学や、演劇を勉強しようと思ったきっかけはなんですか?
信田さん:もともと、私は小さい頃から人のことが苦手な性格でした。それこそお母さんの後ろに隠れているような子で、それを変えてくれたのが演劇だったんです。
演劇を始めて1年、11歳のとき(写真右)
そして、演劇をやっていくにつれて、人とのコミュニケーションをとっていく方法だとか、観客に伝えたいことを伝えるにはどうしたらいいのかということを10歳くらいから考え始めるようになりました。「人に何かを伝えるのって楽しいな」て思うようになったことと、自分が演じ方を変えるとお客さんの反応も違うということに気づいたんです。例えば、悪役をやったときに高笑いをするとお客さんたちは「おお!」ってなるけど、低い声で笑うと「シーン」ってなります。それで、「自分の伝え方を変えると、相手に伝わることや反応が違うんだな」ということに気づいたことが、コミュニケーション学に興味をもったきっかけです。
コミュニケーション学は幅が広く、メディア、ジャーナリズム、ヘルス・コミュニケーションなどいろいろあるんですけど、その中でも私は、小グループでのコミュニケーションや心理学に近い、「伝え方を変えると、どう反応が変わるか」みたいなことに興味があって、コミュニケーション学と演劇を続けています。
ーとても興味深いです。演劇は、いつからやっていたんですか??
信田さん:10歳からです。
―きっかけはなんですか?
信田さん:きっかけは、もともと小さいころから、ディズニーの歌をまねて歌ったり、セリフをまねて演じることが好きだったんです。そこで、お母さんが知り合いが出演しているミュージカルに連れて行ってくれました。そこで初めてミュージカルを見たとき、それまでは家でしか自分をさらけ出すことがなかったけど、「やってみたい!」と思って劇団に入ったのがきっかけでした。そして、先ほどお話ししたいろいろな気付きを見つけて、outgoingな性格になりましたね。
日本で最後の舞台に立ったときの写真(中央)
―コミュニケーションっていうところでいうと、高校の時にレモネードの取り組みをしていませんでしたか?具体的にはどんなことをしていたんですか?
信田さん:アメリカで話題になった、アレックスのレモネードスタンドというお話があります。アレックスという小児がんを患った子が、自分はもう助からないとわかっているけど、レモネードスタンドを立ててお金を集めて、未来の小児がんの子たちのために充てようという活動を始めたという話なんですが、私は、高校の英語の授業でその話を知り、「すごいな、日本でも同じことできないかな」って思って調べてみました。すると、日本でもアレックスのレモネードスタンドをサポートしているNPOを見つけたので、そこに連絡して、「うちの地元でもやりたいです」と自分で伝えて、取り組みを始めました。みんなが英語の授業でその話を習ったので共感を得やすくて、手伝ってくれる人も多くて。
―じゃあ地元の人も買ってくれました?
信田さん:最初は会場が見つからなかったので、学校でやろうとしたんですけど、保険などの関係でできませんでした。最終的に親に相談して、親の職場で開くイベントのときにやらせてもらいました。その成功があったから、だんだんと学校側にも活動を受け入れてもらうことができました。今では後輩が受け継いでくれて、地域のお祭りや、学校で開催したりできてます。なので、私の時は規模がまだ小さかったんだけど、卒業してから規模が広がっていった感じです。
―クラスのみんながそういう話を聞いている中で、えりかがアクションを起こせるというのは、何かきっかけがないとできなかったりすると思うので、そのきっかけについて教えてもらえますか?まずは、好きで終わらず、自分で演劇をやろうと思ったのはなぜでしょうか?
信田さん:もともと、やりたいことがあったらやっちゃう性格だったので。人見知りっていうところはあったのですけど、当時はそれより好きなことがやりたいというのが勝って、新しいことを始めることについては、あんまり考えてなかったですね。「やりたい、じゃあやろう」というノリで始めたかなっていう感じです。
習い事の感覚でミュージカルは始めてたので、キッズだったし、ここまで本格的なことをして、大学でも学び続けるとは思っていなくて、ただ趣味の一環でした。それまでピアノをやっていたし、歌も好きだし。親には「自分が変わるきっかけになるんじゃない?」って言われて、「そうかもな」と思ったのもありましたが、その頃は10歳だったので、「習い事もう1個増やしてもいいかな」くらいの軽い気持ちで始めました。
レモネードスタンドは、高校時代に、ずっと勉強、勉強、勉強と言われていて、ミュージカルは続けていたけれどもちろん反対されて、みたいな状況の時に反抗してみたい精神が働き、「これだったら授業で扱っている内容だし先生も納得してくれるんじゃないかな」と思って、やってみた感じです。
HLAB OBUSE 2015でワークショップに取り組んでいるときの写真
(信田さんは前列右から3番目)
―高校生にして、どうやって自分がやりたいことを通していくかを考えていたんですね。
信田さん:そうですね。私、だいぶ先生に反抗していたんです。呼び出し食らったり、家に電話きたりとか、説教ばかりされていました。なぜここまでやりたいことをやめなかったかというと、自分の母校で、もっと自由に活動できるということを証明したかったんです。母校は勉強量が多くて、色々制限はあるけど先生方はすごく熱心に教えてくださるし、友達がすごくいい人たちが集まっていて、とても好きだったんですね。
それを、外部の人が、「勉強ばっかりしてる」とか「牢屋みたい」とか「刑務所からいつ抜け出すの?」って言われるのがすごく悔しかった。そこで、レモネードスタンドやったり、ボランティアやったりすることで、もうちょっと親しみやすい学校になるんじゃないかなって思った。かつ、先生の賛同も得やすいんじゃないかなって思っていました。
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