HLAB Alumni Interview #8-2 吉田茉祐(なぜ2016年に副委員長を引き受けたのか)
HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。
今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第8弾として、2012年参加者、2014年House Leader、2015年実行委員、2016年副委員長だった吉田茉祐さんのインタビューを掲載します。
インタビューは4回に分けてお送りしてまいります。(第1回/第3回/第4回)
第2回では、2015年,2016年でどういう役割を担当されたのかについて、経緯も含めて詳しく教えていただきました。特に、一度は距離を置いていた2016年に副委員長を引き受けるまで至ったエピソードは必見です。
──2015年はECとしてはどんな仕事をしていましたか?
吉田:人事を担当していました。人事は各地域向けと全地域向けの仕事があるのですが、各地域の人事は1~2名で担い、全地域向けは地域関係なく力を合わせて取り組んでいました。
──地域の人事というのは何をするんですか?
吉田:地域の人事は、海外から来る大学生のビザ手配等のアドミン的な仕事と、大学生向けのハウス割・マニュアル作成などを行います。逆に全地域向けの仕事では、HLに向けた研修(セミナー設計・チームビルディング等)や全大学生に向けたリフレクション研修などを企画・実施していました。
──高校生の選考はやってないんですよね?
吉田:高校生の選考は、高校生選考チームが担当していました。
──仕事を1人でやるのは大変だったのではないですか?
吉田:ずっと1人だった訳ではなくて、途中でメンバーが入れ替わったんです。その間しばらく一人だった時は、結構しんどかった記憶があります。
──サマースクール中と比べると準備期間の方が大変でしたか?
吉田:そうでもなかったです。もう1人のメンバーがSLを兼務していたこともあり、サマースクール中は地域人事としての仕事に手が回らず、準備期間中に終わらなかった仕事も残ってしまっていて。サマースクールが始まる前は「来年もやりたいな」なんて思っていましたが、終わった頃にはその気持ちは全くなくなっていましたね(笑)
──それは2014年の時に周りの大学生がやらなくなっていくのと同じような理由を感じていたんですか?
吉田:2014年の時は、ECの仕事の効率の悪さがHLの仕事に迷惑をかけていることがみんなの不満の原因だったと思います。2015年をECとして経験した時も、効率の悪さだけが原因ではないと思いますが、結局サマースクール期間中もずっと仕事をしているような状況で疲弊してしまった、という状況を考えると根本的な原因は一緒だと思います。
──やらないって思ってからは、全くHLABには関わらなくなりましたか?
吉田:サマースクール直後のリユニオンには行っていました。2015年でECを務めた人の中でたった一人、翌年もECを続けると決めていた人がいたのですが、リユニオンでは全力で彼女を避けていました(笑)翌年度のECが足りないから色んな人に声をかけていると聞いていたので、絶対に声をかけられないように、近づかないようにしていたくらいです。今思えば、二度と関わりたくないと感情があった訳ではなくて、HLABが大好きだったからこそ少しでも近づいたらまた溺れてしまいそうで、盲目に続けるのではなく、しばらく離れて頭を冷やしたいという衝動があったのだと思います。まるで恋愛のようですね。
サマースクールが終わってから2ヶ月くらい経った頃、2016年のボードメンバー(中心メンバー)がある程度集まったと聞いて、彼女(次期学生代表)とまた話すようになりました。
その時に2016年に向けて組織の仕組みを変えることになったという話をされて、「その作業だけ手伝って欲しい」と彼女に言われました。それはまさに自分が2014年から持っていた問題意識にアプローチできることだったので、正直「やりたい」という気持ちで一杯になりました。ただ、他にやりたいと決めたことがあったり、またHLABに舞い戻ってしまって良いのかと暫く迷いましたが、自分の責任範囲について学生代表としっかり話し合って合意を得たので、HLABに戻ることを決めました。
こうして”一時的な役割”として入ったのですが、12月の終わりに人事部長のポストが空いてしまうことになり、代打として就くことになりました。引き受けた理由は様々ですが、一言で言えば「これが自分が一番やりたいことだ」と再認識できたのだと思います。組織改革に取り組む中で「やっぱりHLABが好きだ」と感じたと同時に、組織改革がHLABの根本的な課題を解決するものだという実感が湧いてきたので、人事部長という最も組織のあり方に責任を持つ立場としてやり遂げたいと思いました。色々他にやりたいことは確かにあったのですが、気づいたら何よりもHLABを優先していたので、「これだけやりたいことがあるのに、将来のことをゴチャゴチャ考えて諦めるのは馬鹿馬鹿しい」と思えたのが大きかったです。
──東京の副委員長はどういう経緯でされていたのですか?
吉田:東京の委員長だけ全然決まらなかったんです。これまでのネットワークを活かして沢山の参加者に声をかけたものの、断られるばかりで、結局12月になっても委員長不在のままでした。しかし次年度プログラムに向けて進めなければならないことも沢山あったので、早急に責任者を決める必要がありました。そこで、過去2年間東京でEC/HLを務めてそれなりに理解しているつもりだったので、人事部長と兼任できる副委員長であればやると申し出ました。その後、自分が副委員長をやるからと色々な人に声をかけて、12月末にやっと委員長も決まりました。
2016年にはボードメンバーの一員として、人事部長とHLAB TOKYOの副委員長を兼任した吉田さん。(写真前列右から3番目)
──副委員長として、どういうことをやったんですか?
吉田:委員長が海外の大学に通っていたので、日本にいないと出来ない仕事(挨拶回りなど)はもらっていましたが、基本的には二人で協力して、2016年プログラムのコンセプト作り、ECの配置やチームビルディング、各地域役職・企画のマネジメントを統括していました。
──2015年も人事をやっていて、2016年も最終的には人事部長をやることになったと思うのですが、「人事って面白い!これを仕事にしたい!」って思ったのはどのタイミングでしたか?
吉田:2016年の経験が大きかったと思います。組織改革を進める中で、人事や組織開発という仕事が、組織とそのメンバーにいかに影響を与えるかを実感したんです。参加する全ての大学生にとっても意義のあるプログラムにしたいという強い想いがあったので、膨大な仕事量の調整や各役職がプログラムにどう関わるかを根幹的に変えるこの仕事は、とても面白くて、やりがいを感じるものだと感じました。
加えて、2016年に副委員長を務めた経験にも大きく影響されたと思います。当時のHLABでは、大学生はHLABに入る時点で就く役職は決まっておらず、入った後に委員長・副委員長で配置を決めていました。その時、委員長と一緒に誰をどこのポストにおくか、もし配置に不満だった場合どう説得するか、そのあとモチベーションをどう維持するか、みたいな話を日々していました。その時、組織全体という”見えない相手”ではなく、一人一人の個人と向き合い、彼ら/彼女らが抱えてる課題や悩みの解決をサポートすることが好きだなと実感して、更に人事という職業に興味を持つようになりました。
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