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レジデンシャル・エデュケーションの最前線:「人と日常的に関われる寮生活の価値」(Wesleyan University・石田智識)

HLABがキーワードと考えている「レジデンシャル・エデュケーション」。それは単に寮で共同生活を営むということだけではありません。大学や寮ごとに制度や仕組みは特徴があり、独自の文化を築いています。そして寮生活を通した学生の経験や学びは多様です。そこで、今回は「レジデンシャル・エデュケーションの最前線」という連載で、海外の大学に留学している方たちに、自分たちの寮や文化づくりについて寄稿をお願いしました。

今回は、Wesleyan University(ウェズリヤン大学)に留学している石田智識さんによる寄稿です。

自己紹介

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こんにちは、秋よりWesleyan Universityの3年生になる石田智識(いしだともし)です。

高校3年生まで大阪で過ごし、東京大学を半年間経験したのち、Wesleyan Universityに正規留学生として9月に入学しました。私は、HLABサマースクールの元高校生参加者であり、2年ほどサマースクールの大学生メンターをしていました。

元々は日本とアメリカの中高の教育の違い(進路選択、キャリア観、受験システムなど)に興味があって、アメリカの大学進学を決意したのですが、現在は純粋に大学での勉強が楽しく、Computer ScienceとEconomicsという全く関係のない2教科をダブルメジャーとして専攻しています。

人となりに関しては、最近の話で言うと、奨学金をいただいている財団の他己紹介企画にて、Wes(ウェズリヤン大学の愛称)の親愛なる唯一の同期から「work hard play hardなパリピ」という、何とも薄っぺらそうな称号をいただいています。

そんな僕ですが、今回の記事では、HLABが大切にする寮教育での経験やその意義について書きたいなと思います。(以前寄稿されていた村山颯さんと同じ大学なので、Wesleyan全体の寮の仕組みについては省略したいと思います。)

▼ウェズリヤン大学の村山颯さんの寄稿

これまでの寮生活

①1年生の寮

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1年生の寮

1年目は、1年生の多くが住む200人ほどの寮に、韓国系アメリカ人の子と一緒に住んでいました。構造的に1ブロック10人ほどで住むのですが、All genderという名前で、トイレとシャワーが性別によらず一緒だったことが、日本で生まれ育った僕には一番の驚きでした。

1階にはキッチンやラウンジがあり、友人が連れてきた面識のない人たちと出会うことで、新たな友達の輪が広がったのは、寮生活ならではの仕組みだなと感じました。

一方で、ブロックが同じ人たちとは、誘いあって一緒にテニスをしたり、飲み会をすることはあったのですが、部屋の前に集まったりする場所がなかったため、「予期せぬ学び」のようなものはなかったのが実情でした。そもそもWesleyanはResidential Collegeではないというのもありますが、HLABで伺っていたような学びのための仕組みづくりを実感できなかったのが1年目でした。

②2年生の寮

2年目になり、住む場所の選択肢が増えました。寮の種類が増えただけでなく、寮とは別に、プログラムハウスと呼ばれるものに応募することができました。僕は、その年に新たにできたJapanese Houseに応募し、「日本文化を広める」という目的のもとで、8人で1つのハウスに住みました。

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Japanese House

まさに普通の家と同じように食事からお風呂まで全て完結できるのがハウスなので、授業から帰ると、誰かと勉強したり、料理をしたり、映画を見たり、といった風に日々の生活の中で当たり前のように人と関わるようになりました。1年生の頃と違って、特定の人(ハウスメイト7人)と共同生活をするため、自然と人と過ごす時間が増えますし、自然と仲を深めることができました。

寮生活の意義

まだ2年しか寮生活を体験していないので、偉そうなことを書くつもりはないのですが、自分なりに寮生活の意義について書いてみようと思います。

寮生活にあって一人暮らしにはない特徴は、当たり前ですが、「自分の時間を保ちながらも、日常的に人と関われる」というこの1点につきます。一人暮らしにあるようなプライベートな時間(ルームメイトがいると完全ではありませんが)がありながらも、部屋を出れば誰かと過ごせるというオプションがつくイメージです。

そして、このオプションが付くことから生まれる(自分でも上手く整理はできておらず月並みな言葉ですが)一人暮らしにない寮生活の良さは「毎日の充実」という、少し感覚的なものかなと思います。

とはいえ、それでは何も伝わらないと思うので、もう少し噛み砕いてみると、

1)  楽しさ                                 2)  学び

の2点に細分化されると思います。

寮生活は、学生時代に数人の家族と過ごしていた生活の代わりに、もっと「多人数」の「同年代」と毎日を過ごすようなイメージです。同年代と住むのでもちろん楽しいですし、バックグラウンドの異なる大人数が住むので色々な学びがあるということですね。

例えば、たまたまタイミングが被ってハウスメイトと一緒にジムで合同トレーニングをすることになったり、リビングでゲームをしていたらいつの間にかみんなでマリオカートをやっていたり、何も予定のなかった金曜日の夜に酔っぱらったハウスメイトが帰ってきてそのまま飲み会になったり… 日常的に人と住んでいるからこそ、いつ何をしようと約束をしていなくても、タイミング次第で色々と楽しいことが起きます。

また、その偶然性は2つ目の「学び」についても同じです。履修登録に関する会話から、取るとは思ってもみなかった宇宙物理学の授業(実際おもしろかった)を受けることになったり、コンピューターサイエンスの先輩からVRゲームのこれからについて語られたり、ハウスリーダーがお世話になっていた教授とのランチ会が開かれたり… と、一人で暮らすよりも入ってくる情報量やチャンス、学びが圧倒的に多いなと感じました。

寮生活や米国大学、と聞くと2つ目の学びだけが期待されがちですが、「学び」ばかりを望んでしてしまうと会話がどうしても真面目な方向に意識的に向かってしまうので、僕は「楽しさ」も同じくらい大事かなと考えています。Interestingなだけでは何か物足りないし、funny/funであることも日常生活には欠かせません。

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Japanese Houseでのクリスマスパーティー

最後に:「人こそが財産」という考え

週末にハウスメイトが友人を連れてきて、そこから友達の輪が広がったり。
今年就職したハウスメイトが、いつでもボストンに来たら泊めてあげると言ってくれていたり。

大学に4年間通って残るものは何かと考えた時に、大学生活は当然ながら授業での学びや寮生活による毎日の充実など、4年間で起こることにフォーカスされがちです。でも同時に、4年間を超えた先に期待できるものとして、大学で出会える人の存在があると僕は考えています。寮生活の中で偶然のタイミングから何か面白いことや学びが起きたりするように、大学での友達ともこれからの長い人生の中でいつかどこかで再び出会い、何か面白いことが始まるのかもしれません。そういった中で、寮外の人も巻き込みつつ日常的に顔を突き合わせながら他人と過ごす寮生活の体験は、そういった卒業後も続く関係の構築に、裏方ながらも確実に一役買ってくれていると信じています。

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