おばあちゃんへ

 4月16日(土)母方の祖母が亡くなった。自分の中にある祖母との思い出とこの思いを忘れたくないため、この文章を書きたいと思う。
 祖母は癌だった。去年の11月ぐらいに病院に行ったらそれが見つかった。すぐに手術をして、成功したと聞かされた。でも転移して脳腫瘍になっていた。
 私は幼稚園からたまに祖母の家に帰って来ていて、小学校6年間を祖母の家で過ごし、中学に入っても寮から帰ってきて休日は祖母の家で過ごすことが多かった。本当におばあちゃん子だった。体が細く40kgもないのに、運動が大好きでよく遊んでもらった。視覚障害があってなかなか遊ぶことができなかった私を、風船を打ち合ったり、散歩に連れて行ってくれたり、キャッチボールをしてくれたり、本当にたくさん遊んでくれた。また、両親や祖父には、危ないから料理はしてはいけないといわれていたけど、二人でいる時には、ホットケーキを作ったり、卵の割り方を教えてくれたり、庖丁の使い方を教えてくれたりした。自分の障害が受け入れられずに、落ち込んでいると、「私の目をあげられるんだったらあげるのに。」とか言って、一緒に泣いてくれたりもした。両親や兄弟と喧嘩したり、学校でいやなことがあったりした時に、夜遅くまで、ずーーーーと話を聞いてくれた。縫い物の仕事をしていた祖母は、タオルケットが破れたり、ぬいぐるみが破れたりしたときにすっごくきれいに縫い合わせてくれた。
 去年の12月の祖母の誕生日、自分の最後の誕生日になるって分かってたんだと思うけど、なんら他の年と変わらず、笑っててくれた。自分は東京に居たから、直接祝うことはできんかったけど、今までは恥ずかしくて歌ってあげられん買ったHappy Birthdayを電話で歌った。「ありがとう。嬉しい。上手やね。」って言ってくれて本当に嬉しかった。12月25日に東京から帰ってきて、年末と年明けをおばあちゃんの所で過ごそうってことになって、母さんから「会えるの最後になるかもしれんからちゃんと話ときよ。」って言われた。医者の先生からは、年明けられるかどうかも分からないと言われていたみたいだった。でも実際家に言ってみると、自分の足で歩くなんら変わりなさそうな祖母がいた。その時の自分は心のどこかでおばあちゃんは大丈夫って思ってて、普通に過ごしてた。
ちょうど紅白見てると起きに、自分の進路の話になった。両親との話が白熱して、頭を冷やそうと思って、2階に上がって年末のテレビ番組を見てた。そしたらばあちゃんが上がってきて、ちょっと話した。いつもと変わらない感じで、話聞いてくれて、ちょっと元気出た。それで1月入ってからもう1回家に行った。たわいもない話をして「そんじゃあまた来るね。」って言ったら、細い腕で背中バン!って音するぐらい叩かれて、「がんばれよ!」って言ってくれた。なんでだろう、まだまだこれからも何回でも話せるし会えるって思ってたのに、なんか最後のような気がして「ちゃんと東京行って、勉強して大学行ってがんばるけん。」って必死に返した。その時に、近くのダイレックスにわざわざ歩いて行って買ってきてくれたチョコパイを東京に持っていきなってもらって、ほんとにありがとうってなって、泣きそうになってた。
 1月25日ぐらいだったか、自分が東京に戻る日の前夜、急に体調が悪くなって母が病院に連れて行った。そしたら2時ぐらいに電話かかってきて、「このまま入院したら面会もうできんようになるかもしれん。さっきは友達の名前を言いよって、どうする東京いかんと残る?」って聞かれた。正直だいぶパニクって、とにかく電話で話させてって言った。
「もしもし。わかる?かずき。分かる?」って言ったら、
「あー。かずちゃんか。もう向かいに来て。」って言うの。ほんとは行きたかった。そのまま地元に残って、一緒に居たかった。でも東京言ってがんばるって約束しとったけん、残ったらもう東京行きたくなくなると思ったけん、
「なに言うとん。ちゃんと約束したやん。またすぐ帰ってくるけん。安心して。」っていったら、
「うーん。」って言って寝ちゃった。次の日、東京に飛び立った。
 それから毎日のように電話をしてた。病院じゃなくて自宅で過ごすことにしたみたいで、うーんとか、あーみたいなことを言いながらも、ご飯食べたりしてて、たまに名前呼んでくれたり、笑ってくれたりしてた。修学旅行があるって話した時は喜んでくれて、お土産買ってくるねっていったらすごい喜んでくれた。この時、2月超えるのは厳しいって言われてた。
 でもそれからも2・3日に1回ぐらいのペースで電話してて、やっぱりこんな漢字でいつまでもいけるんじゃないかって思ってた。でも2月23日ぐらいに電話かかってきて、今週末がいよいよ怪しいって言われた。急いで家帰ったら、別途の上で寝たきりになったばあちゃんがおった。話しかけたら手が動いたり、目が動いたりして、なんかいなくなっちゃう感じがすごいして、今までのこと話しながら泣き崩れた。でもなんか、そんな泣くなって手握られたような気がして必死に笑顔つくりながら泣いた。
 それで3月になって春休みに入った。ばあちゃんはうちに移ってきてて、毎日看護師さんとか介護の人がきて、起きてるばあちゃんに話しかけるのが日課だった。修学旅行の話したら、すごい手を上下に振ってて、伝わってる感じがした。また3週間ぐらいしたら帰ってくるけんねって言って、東京に行った。
 でも聞きたくない電話がかかってきてしまった。15日の金曜日に体調が悪いから帰ってくる?ってLINEが来てた。そんんなこと言っても、またどうにかなるって思っちゃってたけど、母からの電話に出たら後ろでばあちゃんの声が聞こえるの。もしかして話せるようになったんかなって思ったけど、それは全力疾走したあとの息みたいになってて、苦しそうやった。電話越しに話しかけてもずーーと同じようにしてて、次の日の模試が終わった瞬間に帰るって決めて飛行機の予約取った。もう数時間か持っても1日って医者に言われた。ちょっと不安になりながらも勉強してた午前2時。また父から電話がかかってきた。夕方聞いたときよりもペースが遅くなってる呼吸。なに言ったらいいかわかんなかったけど、母に「ちゃんとありがとう言っときな。」って言われて、今度は泣かずにちゃんと一つ一つ思い出しながらありがとうって言った。そのまま繋ぎときたかったけど次の日のこともあったから、電話切った。切ったあとに泣きそうになったけど手合わせてなんか祈って寝た。
 いつも寝坊ぎりぎりな自分が2時間ぐらい余裕持って6時に起きた。今日の帰る準備して最短ルートとか考えてたら、父から一本電話がかかってきた。出てみるとなぜかおちついている父。
「今朝、ばあちゃん頑張ったけどな。4時ぐらいに息引き取った。」
なんとなく分かってた。年越せるか分からんかったのに、今週末ってなんかいも言われてきたのに、点滴だけで3ヶ月も生きててくれた。多分自分の筋肉とか骨とか分解して栄養にしてたんやと思う。分かとった。もうほんまに最後になるって。でもそれを聞いた時はすぐに感情が動かん買った。帰るための手続きとか連絡とかして、模試受けてた。なんか時間余っちゃった教科があったりすると、気づいたら涙出てきてて、嗚咽しそうになったりして、よく分かんなかった。
 それでその日の夜8時ぐらいに葬儀場についてばあちゃんに会った。母さんが化粧して髪とかしてすごい綺麗になってたみたい。でもよく見えん自分に分かったんは、ドライアイスですごい冷たくなった体と、外でかけるときに来てた服着とったことと、体がめちゃくちゃ細くなっとったことと、硬直してもう動かんくなった腕と、忘れられん暖かさ。そこまで来て涙が止まらんくなって、お疲れ様っていって肩撫でるしできんかった。今にもふっと起きてまた一緒に遊んでくれそうで、頑張れって言ってくれそうで、泣いてる自分を励ましてくれそうで、でもそんなこと絶対なくて。もし声が聞こえてたら、一緒に泣いてくれたんかもしれんし、笑って大丈夫って言ってくれたんかもしれん。
 その次の日、お葬式、お別れだった。納棺するときに運んだり、いろいろ整えたりするの手伝ったりしてた。今まで育ててくれたばあちゃんに、こんなにできるようになったんよ、もう見えにくいからって落ち込んだりしてないよって伝えたくて、いっぱい手伝った。火葬される前、最後にばあちゃんに触れられる時、大きい声では言えんかったけど、泣かんようにするんで精一杯やったけど、
「お疲れ様。ありがとう。ちゃんとがんばるよ。」って言えた。小さいいとこが折った折り紙とか、ぬいぐるみとか、めっちゃ綺麗な花とか、四国88箇所回って書いてもらったものとか、ほんとはあかんけどキーホルダーとか、いろんなものに囲まれてるばあちゃんが入った棺の蓋が閉じて、それを持って運んで、車に乗せる時、一番最後まで棺に触ってて、離れたくなくて、でももうドア閉めるから最後にトンってありがとうとかお疲れ様とか頑張るとか任せてとかいろんな気持ち込めて軽く叩いた。車見送った後は、小さいいとこの遊び相手を2時間ぐらいやって、骨になって帰ってきたばあちゃんを拝んで、ご飯食べて解散ってことになった。遺骨を使ったペンダント作ってもらうことにした。
 実はばあちゃんは、自分が死ぬかもしれんって分かった時から、自分で身の回りの整理して他の人に迷惑掛けんようにってしてたらしい。でも決してネガティブにならんと自分のやりたいことやっとった。「がんばれよ!」って背中叩いてくれた時とか、自分やって怖かったんかもしれんのに応援してくれた。
 「ばあちゃん。俺はばあちゃんのお陰で、今こんな性格しとると思う。落ち込んどった自分にしゃんとしなって言うてくれたり、俺の危ない行動にも付き合ってくれたり、毎日布団引いてくれたりほんまにありがとうございました。あの細いけどしっかりした手は忘れません。がんばれよって背中押してくれたんも忘れません。育ての親みたいなばあちゃんがほんまに大好きです。ちゃんとがんばるけんたまに覗いてな。ありがとう。」

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