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文月記=風の絵図を探して

●風英堂文月記=風の絵図を探して

何年か前に<風英堂比古神(かぜすぐるたかどのひこのかみ)>と名付けられた。聳え立つ御殿の中を通り抜ける風のように、人々に大らかな英知を運ぶ神と言うことらしい。
50歳を迎えた時には「ああ、半世紀生きてきた」と思い、60歳の時は「後10年、どう生きようか」と考え、そして2021年文月、「何と70歳まで生きてきた」と感慨に耽っている。「その先を生きる絵図を描きたい」と願うが、暗中模索の日々が続く。

伊能忠敬は江戸時代に蝦夷地から九州まで17年かけて測量し、日本全図の完成に向けて指揮をとった。全国測量は隠居後の55歳から始まり71歳まで続けたが、地図の完成を見ることなく73歳でその生涯を閉じた。我が人生の絵図は、精巧なものでなくて良いが、我が想いを、思いを、言葉を使って、爽快な風の如く描きだせたらと願っている。

風と言えばアフリカ西部のダカールではサハラ砂漠から吹いてくる乾燥した北東風<ハルマッタン(Harmattan)>を体験した。欧州のバルカン半島ではアドリア海の東岸に吹き降りてくる冷たい風<ボラ(bora)>を感じた。南仏ではローヌ川やデュランス川を吹き降ろす風<ミストラル(Mistral)>の中で生活をした。
わが心の風の赴くままには、優れて賢い英知を求めていたが、精神は彷徨い続けるだけだった。斜めに構えて行き場を失い、御殿でなく寒風吹きすさぶ古堂に籠る日々を過ごしているようだ。

青春期から「他人の3倍の努力をしないと同じになれない」との思いから、勉強時間は3倍掛けていたことを思い出す。この歳になっても「何かを得た」と感じるまで時間が掛かるようだが、ふと気が付いたら普通の人々より少しだけ上にいると感じる時もある。だが、相変わらず「肩の力は抜けない日々」で、力の抜き方が分からない。それでも、肩の力を抜くとお腹に力が入ることを少しは感じるようになってきた

そう言えば、45歳で泳ぎを覚えたが、水泳の息継ぎのコツは「吸うことで無く、吐くこと」だと気が付かされた。自己流でゴルフをしていたが、70歳を前にしてレッスンを受けるようになったが、まず直したのはグリップだった。強く握らず、柔らく握ることが飛ぶことに繋がるようだ。

さらに、真っ直ぐな良い姿勢を目指しているが、「ふんわり」でなく「しっかり」が背骨や体幹が伸び上がり、体を支えてくれるようだ。「呼気」を整えて古希を迎える歳だが、コロナ禍での引き籠り、自粛生活、そして自己韜晦の日々が長引いている。せめて精神だけでも真っ直ぐにしたいと望む。さて、誕生日の今夜は東京五輪の開会式をじっくりと観見してみよう。演出がどう変わるか、VIP席が映し出されるかなど興味深いことばかりだ。髪と髭を整えに行ったばかりだし。

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