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旅の空はこれで最後かハワイ島記

「旅の空はこれで最後か」と思いながらもハワイ島、9月3日~16日

【タイミング良かった旅の予約】
 旅空香高堂に旅の虫が蠢き始めた。9月3日久しぶりに晴れた日、本格的に海外旅の空に向かった。フライトタイムは22時であるが、用心のため夕方早めに箱崎ターミナルに着いた。1時間待って、夕陽を背にしながらリムジンバスで移動。足元ばかり眺めていた日々だったが、久しぶりに首を上げて、変わり行く雲の形と空の色を眺め続け、旅空香高堂の気分になってきた。
 成田空港からの飛行機は3日昼前にハワイ島のコナ空港に着いてしまった。JALのマイレージがたまりに溜まり、ヒルトンGVCには繰り越して今年末には消え去るポイントが数多くあった。ならばと、毎度お馴染みのハワイ島で約2週間のヴァカンスを計画していた。5月の連休前に旅の予約だけをしていたが、直前にコロナ規制の入国緩和もあり、旅には絶好のタイミングとなった。
 勿論、人の少ない場所、飛行機の中、コンドミニアム自炊生活など感染には特に気を遣った。レストランは高いから一度も行かず、施設内のスーパーで買い物をしながら3食コンドミニアムで自炊生活だった。それにしても、アメリカの物価は数年前に比べ倍近くになり、近々の日本の物価値上げ状況を体験してきたようだ。
 ひたすら何もせずにのんびりと思っていたが、ある先輩からFBに「優雅なる余剰の使い方、過ごし方!Surprising way to Spend Surplus !時間を上手に消費する事こそ長い生きの秘訣、そう思えて来ます。」とコメントしていただいたが、年金暮らし故に今後が心配も「何とかなるさ」という気持ちと返すしかなかった。
 
【夕陽を追いかけて】
 ハワイ島の風は非常に涼しい。日差しは強いが風は優しく吹き、身体から汗は流れない。やはり、溶岩大地のハワイ島コナは過ごしやすい。それにしても、今年の東京は空気が重くて、身体にのしかかるようであり、疲れやすい日々だった。あの東京の、重過ぎる日本の湿度は何だろうか、久米島では身体が空気の重さを感じることは無かったのに。
 到着後、コンドミニアムのラナイで、沈みゆく夕陽を眺める日々が続く。毎夕、成田空港で買い求めたジンに、この地の贅沢にも安いライムを入れてジントニックを飲む。約30分程、空をオレンジ色に染め上げるショーが始まるが、雲の位置により夕映えが変わる。我が先輩は「沈みゆく夕陽に浸る感傷、その気になれば同じ回数昇る朝日を見て、未だ我が身の生気、漲るを確かめるも良し」とアドヴァイスをくれる。
 サラエボでは山々に沈む夕陽、マルセイユでは地中海に輝く夕陽を見てきたが、ハワイ島コナでも「夕陽を追いかけて」いる。チューリップの名曲「夕陽を追いかけて」は、財津和夫が故郷の博多、そして家族を思い描く。
 
【マルセイユからハワイ島への縁】
 9月の初めはアメリカのlaborデーのバカンスシーズンだったようで、アメリカ人が多かった。クイーンズマーケットで買い物をしていたら、次に中国人が目立ち、1週間ほど経った辺りから日本人高齢者が目立ってきた。そう言えば、ゴルフ同好会らしき日本人学生がゴルフプレーをやっていた。単純に空と海、芝の緑を感じそんな日々を過ごす時、「マルセイユからハワイ島の地中海の縁」があった。
 11日日曜の昼前、スマホに一つのメッセージが届いた、4年前に会えなかった山本君から「今空港にいるからお会いしたい」とあった。4年前に連絡したが、会うことが出来なかった。ハワイ島在住の彼を紹介してくれたのは、鬼太鼓座出身の植木君だ。マルセイユの秋祭りの太鼓公演で知り合い、翌年も公演してくれた。
 その植木君の鬼太鼓座の先輩が山本君、我々が「パーカー牧場のハンバーガーは美味しいね」と言ったら、「これから車で牧場近くの町に行きましょう」と言い、30分ほどで着いた。やはり美味い、彼も好きだと言う。その後ワイメア渓谷やホノカワの町などを案内してくれた。縁は異なもので、地域を越えてマルセイユからハワイ島まで繋がった。ちなみに山本君は山岳、火山ガイドのようなことをしているようだが、コロナ禍で仕事は多様化しているようだ。
 
【火山岩にパワーをもらいながら】
 到着翌日、宿泊先のベイクラブのコンドミニアムからゴルフコースを横切って海岸まで散策していた。ゴルフコース内の海岸際には人も鳥も歩いており、仏陀像も日向ぼっこしている。ハワイ島の海の青さ、蒼さを何年かぶりに感じた日だったが、「群聚悉く仏心なり」の境地には成りえなかった。
 2年半前の日本帰国以来、自宅引き籠り状態が続いていた。世間ではコロナ禍、ウクライナ侵略、そして統一教会など人間存在を問う問題が立て続けに起きている。この間我が身も、右首痛から左足首に至る一連の左右前後の肉体的歪みに悩まされ、治療とリハビリを続けてきた。
 2022年、やっとコロナ禍と身体の歪みが治まりつつある中、旅の虫が蠢きだし、肉体的には「これで最後」と思いながら、7月に久米島でダイビングをしてきた。そして次に、「これが最後」と火山岩のパワーを持つハワイ島でのゴルフを目論み、室内ゴルフ場での練習の成果を試みた。
 
【自炊生活続く日々】
 朝はパパイヤが安いのでライムを絞ってスプーンでそぎり取る。さらにトーストしたマフィンにハムと目玉焼きを挟んでコナコーヒー。昼食は日本から持参したソーメンや半田麺、マルちゃん製麺などだが、ハワイ島産の牛肉を使ったミートソースパスタが加わる。紫蘇や茗荷、出汁、調味料、生ワカメ、天かすなどを日本から持参。茹でて残った麺類は翌朝、暖かい麺に化ける。あれ?これって、数年ぶりの「海外運び屋、香高堂生活」ではないか。
 年金暮らし、高い高いレストラン何ぞに、行っていられない。敷地内を巡るバスにてスーパーに行き、毎日買い物するがワインだけは忘れ無い。でもハワイの物価も高くなっているから、カリフォルニアワインの質と値段は数年前に比べ、2段階下がったのは残念だった。
 夕食はハワイ島パーカー牧場産の牛肉ステーキ、優しい肉の香りがして飽きがこない。マッシュルームソース、塩胡椒だけの味を繰り返す。今回は挽き肉を買い、ハンバーグが加わったが、玉葱や繋ぎを入れずとも、これが何ともニク肉しい味わいがある。前菜は海老のニンニク焼き、セロリと笹かまをピクルス入れて合わせ物。現地産の野菜と本土からの輸入ものがあるようだが、セロリは瑞々しい。

 9月16日金曜夕方成田空港到着。少し長めのヴァカンスだったが、現地での食事はパーカー牧場でのハンバーガーのみ。コナ空港ではロコモコもサラダソーメンも食べずに麦酒に邁進していた。
 
【成田空港での出来事】
 9月7日で出入国制限が解除されたが、準備したアプリが面倒で使いにくい。使う人の手順を考えないアプリ開発は、昔のまま、段々と面倒になる。2時間以上早く成田空港に着いたが、カウンターで思わぬほど待たされる。金持ち中国人がカウンターを占領し、手続き待ち1時間近くになる。目の前のファーストクラス担当は何もせずに見守るだけ、ついこの前まで優先的だったグローバルメンバーは無視される。
 ファーストクラス偏重が進み、長年の顧客メンバーや頻繁に往来する日本人ビジネス客であろう。しょうがない、クレーマー香高が声を上げたが、直ぐには反応しない。本社社員らしき女性がやってきて、やっと手続き始まる。カウンターは訳の分からぬおばちゃんばかり、駆け付けた女性と話をしたが「愚痴ってごめんなさい」と言ってくれた。こちらはアプリなど、ちゃんと事前手続きを済ませていたので、手続きは5分で終わる。
 多分コロナ対応マニュアルだろうが、臨機応変な対応が出来ていない。指示待ちの現場が可哀想、会社上層部の馬鹿な方針で動かされる。大切なのは金持ちで無く、常に利用する客。亡くなった稲盛さんが倒産企業JALの在り方を変えたが、また官僚JALが復活、更に利益優先になっているようだ。
 さらに機内食の案内も不十分で、22時発の11時前着の約7時間のフライトだが、夕食はこれまで通りに出るが、朝食の案内は無く、着陸前にパンと菓子、おつまみの入った袋を渡されただけだった。それにパンは私の苦手なマヨネーズの入ったおかずパンだった。「うどんでスカイ」とか「そばデスカイ」などで良かったのにと恨み節が飛び出す。

 それにしても東京は蒸し暑い、やはり空気の重さを感じてしまう。8年近い海外生活で、身体が乾燥気候にすっかり慣れ切っている。帰国後に待っていたのは厄介事2件、方向性が難しい案件、さてさて、どう解決していくか。

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