風英堂文月記=古希を迎える時に
文月とも言われる7月も半ば、精神の働きが鈍くて我が作文行為は滞るばかりだ。昨年帰国後からの入れ歯の治療で始まった身体の歪み、カイロ通いで骨格は直りつつあるが、それを支える筋肉が家籠りでなかなか身に付かない。骨、血液、筋肉等人間の身体の組織は皆繋がっている。
さて、不幸にも五輪玉の開会式が行われる7月23日は我が70歳の誕生日だ。「賀寿」は60歳の<還暦>を始まりに節目ごとに祝われるが、贈り物をすることが習わしとなっている。私も贈り物を待っているが、60歳では赤いピアスだった。70歳を表す<古希>の色は紫なので、紫色の商品を無理、無駄、無茶と思わずいただけるならお願いしたい。さらに少しでもコロナ禍が治まるようなら、少ない髪の毛を紫色に染めて見ようかと考えているのだが。
ところで、<古稀>は杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」という言葉に由来している。この前文には「酒債は尋常行く処に有り」があり、酒代のつけはいたるところにあるが、70年生きる人は古くから稀である」という意味だ。つまり、今の内に沢山飲んで楽しんでおこうという歌になる。故に令和の五輪禁酒法は許せぬ所業である。「こき」という音からは「呼気」と言う言葉が浮かぶが、文楽でも流れだすような義太夫の呼気が人形に生命を吹き込む。巫女も不思議な嘯くような呼気音を立てたりする所作がある。
旧暦の7月は今の暦では8月頃になるが、文月は七夕に書物を干す行事から<文披月(ふみひろげづき)>、織女と彦星が互いに愛し合うという<愛逢月(めであいづき)>といった呼び名もある。旧暦では秋の気配を感じはじめる頃でもあり、<涼月(りょうげつ)>や<秋初月(あきそめつき)>といった風情のある呼び方もある。
ちょうど1年前の文月に死去した「思考の整理学」の著者外山滋比古さんは博学博識にして、色あせない言葉を紡ぎ続けた。その著書では純白の糸を吐く蚕を例えて<秀才といわれた人が、すこし赤い本を読むと赤いことばを吐く。黒い本を読めば吐く糸は黒である…色のついたものは、ひととき美しく思えても、やがて色あせる>
最近毒ばかり吐いているので、足裏に強張りが出来やすくなっているが、五輪毒なのであろうか。我が吐き出す呼気に「時代を凍らせる毒」があったらと願う日々が続く。南仏マルセイユの海猫も呼気を吐き出して鳴いていた。