Millennium Mambo 千禧曼波 (2001)
台湾の映画を見た。
女は足の生えた宿り木みたいに男に縋り付く枝を探すのだけど、木々は豊かな土に腐れ果てていて、変わらずに彷徨うしかなかった。嫉妬深い木もある。後ろ暗い木もある。台湾の人にとって日本は少しだけ非日常的な逃避行先であるらしい。自分のことをSheで語る女のどこか軽やかでもある寄る辺なさの話。アパートに集う友人たちの前で機嫌の悪さを隠さずにゴミを片付ける女と男は目を合わせないようにしている。パーティーの騒音を残してカメラは扉の奥の女の部屋を写している。アパートに響く人たちの声がふとなくなって男が部屋に入る。その時点でもう場面は前触れもなく転換している。新世紀の気負いそのもののカメラワークだ、あのときの。この映画の10年後が今の私たちの13年前。過去を三人称の醒めた目線で語る彼女は今何をしているんだろう。案外笑顔でどこかの奥さんでもやってるのかもしれない。新世紀の日常に。女が男の一人と彷徨ってた、雪のうずたかい夕張。あのころみたいなみたいは寒さはもうなくて、侯孝賢はもう映画を撮れなくなっているみたいだ。大人たちの期待した新世紀は、今、ここに、あるんだろうか。