墓場の散歩

気遣いはドブに捨てて仕舞えばいいと思ってはいるけどどうもそうはいかないみたいでわたしはあれやこれやと怒ったことや言われたことやまゆの動き一つに気を奪われている。これでうまく気を使えたためしなどないというのに。顔を見たことはないけれどインターネットで時折やり取りをしていた詩人が死んだという話を聞いた。約束に水を与えればいずれ花を咲かすこともあるのだろうか。痛みがこの世から無くなれば苦しみもないのだけれど、痛みも悲しみも嬉しさも芸術もきっと生み出されはしないのだろう。どこにだって痛みがあってどこにだって全てがある。神様が玉ねぎと呼ばれていても人は玉ねぎを信じ続けるだろう。不安は頭の中をぐるぐるとループして時折耳から出て辺りをしばらく彷徨いた後にまたループする。とはいえ猫がいれば大抵のことはどうでも良くなるハズで、私は散歩から変えれば家で待つ彼女に餌をあげようと決めていた。時折書いた詩や短歌をいいだのもったいないだのすごくすきだの言っていた人が死んだらしいのだ。花屋の前、ネズミが一瞬横切ってケバブ屋のテーブルの下を潜って行った。普段使っている出入り口とは違ってまた一段と不衛生な印象をもたらす方面へ出る。木々のそばを通り記憶と混ざる秋の匂い。遠くの煙と朽ちる夏虫のにおい。鍵を忘れて部屋へ入れなくなったとくのような妙に笑えてくる焦燥を抱えて夏鳥がないている。知っている声だ。バス停を超えて住宅沿いの塀、ビール缶が口開けて突っ立っている。いつまでそこでそうしていればいいんだろう。Pfandsammler*inはゴドーである。いつかすれ違った風とまた鉢合わせたので挨拶を済ませる。遠くの街の時計塔から落ちてきた鳥の糞便のおかげでしばらく雨の下を彷徨かなければならなかったらしい。溺れた虫たちの亡霊たちが天国に行くのを手伝ったとも言っていた。優しいんだねと笑った。去年彼と湖畔で白鳥を見ていたのだけど、その時の水辺は低木に覆われてもう入れなくなってしまったらしい。白鳥たちがまた子供を連れていることを教えてもらって安心した後、私たちはまた来年と別れた。連絡先の情報をインスタグラムが読み取って、昔のフラットメイトのアカウントを推薦してきた。子供ができていて幸せであれと願って僕はブロックボタンを押した。秋の色彩を帯びた影は陽の光と陣取り合戦をしていて、彼らの筆跡は美しかったが、あまりにも複雑な筆記体で書かれており意味を読み取ることはできそうになかった。思えば良くもなくさずに大学の自分からLAMYの万年筆を持ち続けている。墓場の敷地に入ってから草むらをまっすぐに歩く。すれ違った10歳前後の少女たち三人が背を向けているこちらに”Junge!”と叫んでいる。わたしのことを言っているのだろうか。ドイツ語が怖くて差別が怖くてなにか正体不明なマナー違反を糾弾されることが怖くて私は無視をし続けた。いつも後になって何をいうべきだったか書き直している。いつもそれは私と私のダイアログであって、頭の中が言い争いで聞くに堪えなくなってきたので私は私と私を殺して文をまとめてまた歩き出した。推敲は一生できるもので、したためた文を見直した私は希望を見たんだけど、また同時に果てしなことへの絶望を見た。信号待ちをしているあいだ私は私と私を殺し続けなければ頭が破裂してしまう。真っ直ぐに道を行くつもりでも時折曲がりくねった動線を描いていることがある。目の前を車が横切って踏みとどまらなかった私が血を流して立ちあがろうとしている。そんな私を見て墓の中のHoyer家の人たちが困ったように笑って何かを小言で言い合っていた。少したたづんでいると雨がふっているよう思えてきたのだけど、それはどこかの亡霊の涙だったということに気づいた。私は今泣き声が墓標から墓標へこだまする墓地にいるのだ。
真新しい墓 “Gute Reise, mein Freund!”友よ、良き旅を!という字の書かれたリボン。文をしたためた彼や彼女のもとに死者はそのうちいつか変えてっくるのだろうか。最初の挨拶であの世の天気はどうだっただの、どこのパブでどんな亡霊とあっただのどうでもいいことを出会って5分の間に語り終えるのだろうか。友よ。それとも彼や彼女は自分もまたいずれそちらに言ってまた会えると思うからこそ「いい旅を」と書いたのだろうか。旅とはわたしから離れて過ぎ去ることを言うのかもしれない。その意味であるなら私は時間につねに旅立たれていることになる。いつか戻ってきた時間に過去のあの時のあの人はじつはこう思っていたんだよだとかを聞かせてほしいと思う。
墓場はとても大きくて、こんなとこに墓まいりに来る人なんかいるのかなというほど奥まったところにだって墓石がならぶ。これだけ入り組んでいれば行政の把握していない墓の一つや二つくらいあるとは思う。そんな薄暗いところに大きく聳り立つ家族の墓標、真ん中の少し左にずれたところに名前が刻まれている。すぐ右側は空白になっていて死人は手招きせずとも無言で期待を生者に向けている。泣いた顔と笑った顔のマスクが互い違いに重ねられている(劇場を意味するシンボルである)。生きている人にとってはそうでもないだろうけど、死者の魂が不滅であるとするなら生きることはシアターみたいなものかもしれないと思う。命をけずって人は自分を演じているのだ。文字通り。生きている人はたくさんの考えを頭の中に巡らせているものだけど、共感はその考えを人の数だけ冪乗してしまうことだ、そんなことをすれば頭が溢れてパンパンになるだけではすまず、脳細胞はその辺の道一帯にぶちまけられるほど巨大に膨れ上がるだろう。仮面の笑った顔は後ろの悲しみなんて目に入らないみたいにあっけらかんとその目をこちらに向けている。後ろのうらめしげな気配は無視しておいた方が良さそうだったため、できるだけ足早に過ぎ去ると金木犀の匂いが少し強くなって、少女みたいな笑い声が短く遠くから響いた。少しまたあるくと泉がひらけていて囁いてくる、もしもなんて意味ないという陳腐なセリフには辟易とするのだけれど、ここは見たことのない名前で溢れているのでなにもかも共感しないということは可能なのかもしれない。そうおもうと少しだけ気が楽になった。ここが北ドイツだから?
この墓場はいつまで残るのだろう。300年後にはもう墓石は死者の紛れた風に削れて残ってはいないのかもしれない。ほーほーという声。墓の仕切り、生垣に使われた木は役割があって満足しているように見えるし、こちらを見下しているようにも見える。私には役割がなくてそれが少し視界が良くて幸せだと思う。浮かぶ問いになんてどうせ大した意味はなくてずっとある問いこそが魅力的だと思う。赤い花と白い花が交互に咲いて墓石を囲っている。筆記体が横たわっていて刻まれているくせいに滑らかな顔して安らいでいる。もう何もかも言い尽くしてしまった気がするし、どこか落胆している私もいる。墓の前を植物が陣取っていてそこには子供用のおもちゃが置かれている。地図記号そのままの橋がある] [ ベンチに座っている。遠くからな気もするし近くからな気もする。微かなビープ音が聞こえてくる。二つ並んで少し高低がずれているその周波数は少しづつ違う速度で流れていて、少しづつ音が鳴る瞬間が互いにずれて行って時々ピッタリ重なって不協和音を奏でている。周期を少し経るとあたりの闇が濃くなった。このとき私は少し違う人間になったような気もする。音が偶数回かさなったとき私は元に戻った。あたりには好みの草木の匂いが広がっていたけどそれもだんだんと薄れて行って私はかつてのだれそれを思い出した。この身は儚い夢であれと願っているけど、ひらりひらりと舞い落ちていれば醒める眠りもあると思う。使われず積み上げられた土瀝青/アスファルトはすっかりと固まっていた。屍を固めてできた山の上を歩いてみる。死ぬならデミアンに会いたい、命に意味があると思わせてほしい。くるくる回りながら道を行くと右向きにフラフラとした。左にいつも行く人間だからちょうどいいと思った。時折なんでもない瞬間にタブラの音が聞こえる気がする。ぽおんともぱあんとも聞こえるあの張り詰めた美しいおと。墓のモニュメントに刻まれた 1933 - 1945 という数字、そんな意味なら誰でもきっと知っている。悪が我らへと死をもたらした。生きるものたちよ、汝らが務めを知れ。

いいなと思ったら応援しよう!