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アサドの飛行機がレーダーから消えた

日本のマスメディアは、アサドはロシアに亡命したという情報を発信してるが、本当だろうか?
じゃ~、なぜアサドが乗った飛行機がレーダーから消えたのか?
アサドがロシアに亡命したならレーダーから消す必要はないし、ロシアに着陸した映像を流し、そこでプーチンとの同盟関係をアピールしても良いはずが、以前から何度も繰り返し垂れ流してるプーチンとアサドの握手する姿?
アサドの飛行機が、レーダーから消えた情報はどこへいった?
嘘もオーナーの為なら平気で垂れ流す。それがマスコミの正体です。
マスコミの情報はオーナーが良いという情報しか流しません。
オーナーの背後は誰なんでしょうか?
私が発進するこの情報も、自分自身で精査し吟味してください。
私の基本スタンスは、聖書の神の御言葉以外信じれるものはない!です。

・アサド氏は、1週間前の反乱軍の突然の進撃以来、公の場で発言していない。

  • 航空機は当初、シリアの沿岸部に向かって飛行し、その後、突然Uターンして数分間飛行した後、地図上から姿を消した。

アンマン:シリアのバッシャール・アサドは、反体制派がダマスカスを占領し、24年間大統領を務めたアサドを政権から追放する中、日曜日未明にダマスカスで目的地不明の飛行機に搭乗したと、2人の軍幹部が語った。

アサド大統領は、1週間前の突然の反乱軍の進撃以来、公の場で発言していない。反乱軍は、アレッポ北部を奇襲攻撃で制圧した後、前線が崩壊する中、次々と都市に進軍した。

現在、彼の行方は、妻のアスマ氏と2人の子供たちの行方も不明のままだ。

『Flightradar』サイトのデータによると、首都が反体制派に占領されたと報じられた頃、シリア航空の航空機がダマスカス空港を離陸した。

航空機は当初、アサド政権のアラウィ派が拠点とするシリアの沿岸部に向かって飛行していたが、その後突然Uターンし、数分間反対方向に飛行した後、地図から消えた。

ロイターは誰が搭乗していたのかすぐには確認できなかった。

シリアの2人の情報筋は、Flightradarウェブサイトのデータによると、アサド大統領が機内にいた場合、非常に高い確率で殺された可能性があると述べた。

「レーダーから消えた。おそらくトランスポンダーのスイッチが切られたのだろうが、それよりも可能性が高いのは、飛行機が墜落したことだろう」

飛行機は、反体制派が中心都市ホムスを占領した直後にダマスカスを出発し、アサドの同盟国であるロシアが航空・海軍基地を持つ海岸から首都を切り離した。

フライト追跡サイト『Flightradar24』で深夜0時以降に確認できた唯一のシリア発の追跡可能なフライトは、ホムスを出発してアラブ首長国連邦に向かったが、それは反体制派がホムスを占領した数時間後のことだった。

この1週間で反体制派の進撃が勢いを増すにつれ、彼はモスクワか、もうひとつの主要な同盟国イランに避難するのではないかとの憶測が流れた。

シリアの国営メディアは土曜日に、彼はまだダマスカスにいると伝えた。それ以来、彼の居場所についてはコメントしていない。

イランの通信社は土曜日に、ダマスカスでイランの高官と会っている彼の写真を掲載した。

ロイター

2024年12月7日 ニュース速報 by アミール・ツァルファティ

バッシャール・アサドの飛行機がレーダーから消えた!

イザヤ書 17

ダマスコとエフライムの運命
1ダマスコについての託宣。
「見よ、ダマスコは都の面影を失い
瓦礫の山となる。

2アロエルの町々は見捨てられ
家畜の群れが伏し、脅かすものもない。
3エフライムからは砦が
ダマスコからは王権が絶える。
アラムに残るものは
イスラエルの人々の栄光のようになる」と
万軍の主は言われる。
4「その日が来れば、ヤコブの力は弱まり
その肥えた肉はやせ衰える。
5刈り入れる者の集めた立ち枯れの穂
その腕に集めた落ち穂
レファイムの谷で拾った落ち穂のようになる。
6摘み残りしかないのに
オリーブの木を打つようなものだ。
梢の方に二つ三つの実
豊かに実っている枝でも、四つ五つ」と
イスラエルの神、主は言われる。
7その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。 8もはや、自分の手が作り、自分の指が作った祭壇を仰ぐことなく、アシェラの柱や香炉台を見ようとはしない。
9その日には、彼らの砦の町々は、イスラエルの人々によって見捨てられた木の枝や梢のように、捨てられて廃虚となる。

トミーの聖書理解

「救いのABC/なぜ聖書なのか?」

イエスは私のために命を捨てられた。このお方は私をどこまでも赦し、どこまでも求め、どこまでも生かしてくださる。だから「誇る者は主を誇れ!」。だから「福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません」。「疲れ果てる」ほどに、主の憐れみに捕らえられた者は(エレミヤ20:7-9)、逆に、疲れることなく倦むことなく、折りが良くても悪くても、その福音を伝え続けるのです。

「救いのABC/なぜ聖書なのか?」