大艱難前携挙説と大艱難末期携挙説
2022.06.05.【吹替版】聖書預言/携挙にどれほど近づいているのか?
携挙にどれほど近づいているのか?How Close is The Rapture?
June 5, 2022 • JD FARAG • 1 Corinthians 15:51–52, Daniel 8:23–25, 2 Thessalonians 2:7–12, Revelation 18:23, 1 Thessalonians 4:13–18
預言に照らし合わせ、今、7年の患難時代の直前、患難時代前携挙の寸前にいる疑いない2つの理由。教会携挙と、その教会携挙緊迫性は、すべてのクリスチャンの思考と心の最前線にあるべきです。もういつでも起こりえるからです。
艱難前携挙説。JD動画
患難前携挙説~携挙に関わる「七」の奥義|キリストの空中再臨を待ち望む
携挙は患難時代末期説(患難時代前にはない)
久保有政・解説
私は大艱難前携挙説を信じてます。
なぜなら、大艱難時代は神を拒絶し、悔改めない者を裁くのが目的だからです。イエス・キリスト=真理を拒絶すれば、偽りの父である悪魔サタンに惑わされ共に裁かれます。
ヨハネの黙示録3章10節
「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」
この箇所での翻訳上の問題は、「全世界に来ようとしている試練の時には」の「時には」という訳です。「全世界に来ようとしている試練」とは、反キリストによる未曾有の大患難のことです。新改訳ではその「試練の時には」と訳しています。しかし原文では「~の時の中から」となっています。「時には」と訳されると、キリスト者もその試練の中にいることになります。しかし「~の時の中から」と訳すなら、その試練の中にはキリスト者はいないことになります。「患難前携挙説」ではその試練(大患難)の中から救われることになりますが、「患難後携挙説」ではその試練(大患難)の中に置かれることになります。これまでに挙げた聖書のことばとの整合性を考えるならば、前者の「患難前携挙説」の方がきわめて自然と言えます。
主にある者も「世にあっては患難があります」(ヨハネ16:33)と言われましたが、ここで問題となっているのはそのような一般的な患難とは異なり、これまでにない未曾有の神のさばきとしての大患難のことであり、その目的も神の選びの民に対する最後のあわれみの時としての精錬的な試練なのです。そうした精錬的試練に神の子どもたちが遭う必要性はないのです。むしろ逆に、主の携挙があることを信じて、緊迫感を持って、いつも目を覚ましていることが求められているのです。