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携挙不安を語る者と聖書預言

携挙はクリスチャンに希望を与え、間違った聖書解釈、福音を信じない者にとっては不安を与える。罪を犯すことで携挙にあずかれなくなる、つまり救いを失うという教えは聖書的ではない。

CNNが語る「携挙不安」と聖書の預言

2022年10月13日 9分

キリスト教には「携挙」という教えがある。これは、聖書にある教えだが、多くの教会では語られない。そのような中で、米国ニュースメディアのCNNが携挙に関する記事を公開したので、注目を集めている。ただ、取り上げ方は決して好意的なものではない。「一部のクリスチャンが『携挙不安』からいやされるには一生かかる(For some Christians, ‘rapture anxiety’ can take a lifetime to heal)」と題されたこの記事は、次のような書き出しで始まる。

13歳のエイプリル・アジョイは、何かがおかしいと感じた。彼女の住むダラスの家は静かだった。静かすぎる。兄弟がいない。両親もいない。両親のベッドの上には、母親の服が積み重なっており、それは恐ろしいことを告げていた。
アジョイの頭は混乱し始め、記憶をたどろうとし、これからの計画を立てようとした。最後に罪を犯したのはいつだろうか。「獣の刻印」は拒否するべきだろうか? 彼女は、少なくとも、大患難時代になってギロチンにかけられれば、すぐに死ねると思った。
― AJ Willingham, “For some Christians, ‘rapture anxiety’ can take a lifetime to heal” CNN, 27 Sep 2022



これは「携挙」に取り残される不安を抱えていた女性の体験を記したものである。この記事を詳しく見ていく前に、キリスト教の「携挙」という教えについて説明しておきたい。

MEMO

この記事に出てくる「獣の刻印」とは、大患難時代に世界を統治する「反キリスト」から受ける刻印で、これがないと売り買いができなくなる。また、聖書では、この反キリストの像を拝まない者は殺されると預言されており、これが「ギロチン」の言及につながっている。詳しくは、「終末預言を読み解く:完全監視社会」を参照されたい。

携挙とは

携挙について、CNNの記事では次のように解説している。

携挙の概念は、神学的にはディスペンセーション主義の前千年王国説として知られ、カトリック、あるいは聖公会や長老派などのプロテスタント主流派では一般的ではなく、福音派や根本主義の教会でよく信じられている教えである。この神学は、使徒パウロがテサロニケの人々に宛てた聖書中の手紙を主な根拠としており、この手紙では、イエスを信じる者は空中に引き上げられると教えている。
― AJ Willingham, “For some Christians, ‘rapture anxiety’ can take a lifetime to heal” CNN, 27 Sep 2022


CNNの解説を補足して携挙を説明すると、次のようになる。

携挙とは、教会が天に上げられることである。この場合、教会とは建物ではなく、キリストを信じる信者の集合体を指す。キリストを信じて死んだ人々は、携挙の時が来ると全員天に上げられる。死んだ人は復活し、生きている人はそのまま天に上げられ、空中でキリストに会うことになる(ヨハネ14:1~3、1テサロニケ4:13~18、1コリント15:50~58を参照)。

MEMO

携挙についての詳しい説明は、記事「終末預言を読み解く:携挙とは」を参照されたい。

トラウマを訴える女性の証言

CNNの記事によると、この携挙の教えを受けて育ったアジョイは、この教えを原因とする「トラウマ」を抱えるようになったという。CNNの記事は、この女性の過去の体験と現在の活動を次のように記している。

福音派の教会で育ったアジョイは、携挙がすぐそこに迫っていることをいつも思い出すように言われながら育った。イエスが地上に戻ってくる前の最後の行動になるかもしれないのだから、絶対に罪を犯してはいけないと教えられた。携挙をテーマにしたドラマチックな本や映画は、フィクションとして制作されているが、世界の終わりをリアルに垣間見ることができるものとして紹介された。……
現在34歳のアジョイは、近年広がりつつある「脱福音派(exvangelicals)」と呼ばれるネットワークの一員である。このネットワークは、自分たちが有害とみなす一部の福音派、ペンテコステ派、バプテスト派教会の信仰から距離を置くと決めた人々で構成されている。アジョイは、人気のTikTokアカウントを運営し、信仰について、また特に何年も、あるいは一生続くかもしれないトラウマをもたらす宗教体験の影響について論じている。
― AJ Willingham, “For some Christians, ‘rapture anxiety’ can take a lifetime to heal” CNN, 27 Sep 2022



この記事では、アジョイのような人が抱える症状を「携挙不安(rapture anxiety)」と呼び、宗教的トラウマの一種としている。また、この概念は、宗教の研究家や精神衛生の専門家によって認知されているという。ただ、記事の中でも「これは新しい研究分野だ(This is a new area of study)」と言われているように、まだ確立された概念とは言えないようだ。

CNNの主張の問題点

CNNは、アジョイのような人が抱える問題が携挙の教えによるものとする。しかし、そうだろうか。筆者の見立てでは、アジョイの通っていた教会の根本的な問題は、携挙の教えではない。問題の所在は、罪を犯すことで携挙にあずかれなくなる、つまり救いを失うという教えにある

携挙の教えは、「永遠の救い」を信じているクリスチャンにとっては、希望以外の何ものでもない。「永遠の救い」とは、福音を信じていったんキリストに救われたなら、救いを失うことはないという教えである。携挙の教えは、救いの確信を持っているクリスチャンには希望だが、そうでないクリスチャンには怖れを感じるものとなると考えるのが正しい。

しかも、アジョイは、携挙の直前に罪を犯してしまっただけで携挙に取り残される可能性があると考えている。「救いを失う可能性がある」と教える教会でも、そこまで極端なことは言わない。「携挙不安」を抱える原因となったのは、この極端な教えが原因と思われる。

筆者の体験と発見

かくいう筆者も、「一度救われても救いを失うことがある」と教えている教会に通っていたので、アジョイの感じる不安がわからないわけではない。当時、次のような聖句がメッセージ中に語られると、心の中で震え上がっていたものである。

21 わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。 22 その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』 23 しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』 (マタイ7:21~23)

私の通っていた教会では、自分の計画ではなく、主の導きを求め、主のみこころを行うようにと教えられていた。そのため、私はいつも「自分はみこころを行っているのだろうか。主の導きに従っているだろうか。私も主に『わたしはおまえを全く知らない。不法を行う者、わたしから離れて行け』と言われるのではないだろうか 」という恐れを抱いていた。そして、自分の選択はみこころではなかったのではないかと思い、救いを失う可能性を考えて不安になることもあった。

しかし、ある日気づいたのは、このみことばが教えていることは、まったく逆だということだった。ここに出てくる人々は、預言をし、悪霊を追い出し、奇跡を行ったので、天の御国に入れるはずだと主張している。つまり、行いによる救いを主張している。それは聖書の教えではない。聖書では、次のように言われている(エペソ2:8~9)。

8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。 9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

また、イエスはヨハネ6:40で次のように語っている。

「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです」

父のみこころは、第一義的にはイエスを信じる者が永遠のいのちを持つことである。救いは、信仰によって与えられる。そのため、信仰によって救われた後の行いで、救いが取り消されることはない。1


MEMO

聖書には、救いを失う可能性があると教える人が引用する聖書箇所がいくつかあるが、上記の聖句のように文脈を無視して引用されていることが多い。その一例がヘブル人への手紙6:1~6である。この聖句については、中川健一「一度信じて救われた人が、その救いを失う可能性はありますか」(聖書入門.com)を参照されたい。

終末時代の特徴

終末時代の特徴は、キリストの再臨を否定することであると聖書は語っている。この場合、再臨には空中再臨(携挙)と地上再臨(一般に言われる再臨)が含まれる。2ペテロ3:3~4では、次のように言われている。

3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、 4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」

ここで「彼の来臨」とはキリストの再臨のことである。「終わりの時」とは、キリストが再臨する直前の時代である。つまり、再臨が近付けば近付くほど、逆に世の中はその約束を否定する方向に向かうという預言である。

再臨や聖書の終末預言を否定または軽視する風潮は、CNNのような一般メディアだけに見られるものではない。キリスト教界でも、同様の傾向が見られる。

85か国語に訳され、全世界で5000万部以上印刷された『人生を導く5つの目的(Purpose Driven Life)』の著者、リック・ウォレン牧師は、次のように教えている。

弟子たちが預言の話をしようとすると、イエスはすぐに伝道に話題を切り替えました。イエスは弟子たちに、この地上での使命に集中してほしいと思われたのです。要するに、「私が戻ってくることの詳細については、あなた方には関係のないことです。あなたがたに関係があるのは、私があなたがたに与えた使命です。それに集中しなさい!」と言われたのです。
― Rick Warren, The Purpose Driven Life, p.285

原文を読む

しかし、ウォレンはここでイエスの教えを曲げている。この話の前後の文脈はこうだ。まずマタイ24:3でイエスと弟子たちの会話が始まる。

3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか

この質問に対し、イエスは話題を変えることもなく、ご自分の再臨が近付いていることを示すしるしについてすぐに語り始めている(マタイ24:4~31)。たとえば、マタイ24:7~11では次のようなしるしが現れると語っている。

7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。 8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。 9 そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 10 そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 11 また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。 12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。……

そして、再臨のしるしを一通り語り終えると、イエスは次のように警告している(マタイ24:32~33)。

32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。

ここでイエスは、しるしを通して「人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい」と明確に命じている。つまり、イエスは「私が戻ってくることの詳細については、あなた方には関係のないことです」とは決して言っておられないし、むしろご自分が戻ってくるしるしを見逃さないようにしなさいと教えておられるのである。

イエスは、マタイ24:42で「あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らない」と語っておられるので、携挙の正確な日付はもちろんわからない。しかし、再臨の日が近付いていることは上記のような終末預言によって知ることができる。そして、携挙は再臨の前に必ず起こるので、携挙が近付いていることもわかるのである。

携挙や再臨、終末預言を軽視する傾向は、ウォレンに限ったことではなく、現在のキリスト教界全体に言えることである。これは逆に携挙と再臨が近いことのしるしでもある。

結論

キリストが信者を迎えに戻ってこられる携挙は、信者を恐怖に陥れるものではなく、信者の希望である。それは、次のイエスのことばが成就する時でもある(ヨハネ14:1~3)。

1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。 3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです」

イエスは、このことばを信者を恐怖に陥れるためではなく、希望を与えるために語っておられる。

そのため、使徒ペテロは2ペテロ1:19でこう語っている。

19 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

預言のみことばは、キリストが戻ってこられることを明確に告げている。世の中がどれだけ暗くなっても、この預言のみことばに目を留めることで、希望を持って生きることができる。携挙の教えは、キリストを信じて救われているすべての信者に、希望と生きる力を与える教えである。

参考資料

  1. このように言うと、信じたら何をしてもいいのかと反論する人々がいるが、そうではない。信者は神から新しいいのちを受けているので、次第に罪から遠ざかっていくのである。信者であると主張する人が、信じる前と同様に重大な罪を犯し続けて恥じないのであれば、そもそも本当に福音を信じて救われているのかを疑ったほうがよい。

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