見出し画像

うつ病の私がNoteを始めたきっかけ

皆さん初めまして、みぎはなぎさと申します。
初めての投稿です。緊張しますね。まずは自己紹介とこれまでの経緯をはなさせてください。

私は鹿児島で大学時代までを過ごし、就職をきっかけに上京してきました。
職業は書店員で、配属先は千葉だったため現在も千葉に住んでおります。
現在は休職中です。

旦那とは家の近くの居酒屋さんのカウンターで出会いました。
まさか10歳も年上だとはその時は思いませんでしたけど笑

いわゆる令和婚をした私達は令和2年12月15日に長女を授かります。
そこから私の人生は「産後うつ」によって180度変わることになります。

産後うつとは、出産という急激な体の変化によって女性ホルモンの乱れが生じ、不眠または過眠・罪悪感・頭痛・食欲不振・極度の悲しみ・子供に対する非現実的な心配や無関心・希死念慮などの症状が分娩後2週間以上続く病気です。

私の場合は、不眠と食欲不振がひどく、家事育児が出来ないほどに憔悴していました。当時、夫に何度「死にたい」「殺してくれ」と泣き叫けんだことか、自分の感情コントロールが全くできなくなりました。

このようにして私は、極度の産後うつになってしまったために、4ヶ月間の入院生活を余儀なくされました。授乳は生後3ヶ月経つ頃には、ミルクに移行していたので問題なかったです。娘が3ヶ月半~8ヶ月になる間、ほとんど娘に会うことの出来ない生活はとても辛かったです。

退院して通院生活が始まりました。退院してから5ヶ月間は、私と父が自宅に、夫と娘は義理実家に住みました。私の回復を待って一緒に住む予定でしたが、なかなか病状の回復が遅く、父も千葉にいつまでもいられなくなり、令和3年の12月には私も義理実家にお世話になることになりました。

部屋で区切っているとはいえ、娘と一緒に住むことは最初は怖かったですが、現在はいつでも会える環境にいることへの幸せを感じています。遊んだり、一緒にご飯を食べたりすることもできるようになりました。しかし、まだまだうつ病は良くなっておらず、家事育児を夫と義理母、叔母にまかせっきりです。

時系列でいうとこのような人生を歩んできました。
日中、やることがないと夫に言ったらブログでも始めてみたら?と言われたのがNoteを始めたきっかけです笑これから寛解(うつが収まった状態)できるまでの闘病日記として皆さんに読んでいただけたらいいなと思います。後は私の記録用です。どうぞよろしくお願いいたします。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集