カンシャ
流行り病の最先端から
ぬるま湯のような、熱いのか冷めたのかわからない状態の今日まで
音楽をそれまでの8倍聴いている。
種類で言うと数十倍、知らない世界をμ単位で狭めてきた。
生活に音楽が不可欠だという信念はなかったけれど、日々の楽しみをこれだけ支えられていたらそういう気持ちも湧いてくる。
話は変わって、
今日ゼミのおわりに
「オリンピックの開催」について雑談をした。
先生から問われたのは以下2点
・開催するべきか
・普段スポーツを観戦するか
ここでいう「べき」というのは所感で絶対ではなく、
学生各々の意見を答えるだけで、双方的な問いではなく、
先生の意見はひとつも聞けなかったのだけど
ひとりの開催国で生活する者として考えた。
直観としての否かにつづく理由として浮かび上がったのは、
スポーツの優先順位について。
他の文化イベントが消え去る中、断固として在り続けることで
好き嫌い関係なく表面化してしまう気味悪さは確かに存在する。
その苦みを奥歯に隠したまま飲み込めと言われても、難しいです。
続いて、2点目について。
私はバレーボールを観るのが好きで、代表選手の顔と名前が一致するほどには熱心なのだけれど
それと開催への賛美は別な気がする。
好きでも嫌いでも、どうでもよくても
その影響は否応なく地続きで及ぶから、これまた言いにくいよねって感じた今日でした。
どれだけ聴いてても、どんなに愛していても
押しつぶされているのを指咥えて見てちゃあ台無しだから
私は「音楽必要です」って正々堂々と言えない罪悪感を持って生きようと思う。
せめてもの、抵抗として、言い訳として、
自分の嵩では公平なジャッジをつけて生きたい。
何にもなってないけど。
音楽に対しての自分の意思が宙ぶらりんなので、なんとなく文章にしてみました。