セクシャリティとカミングアウトについて① 〜①って書いてみたけど別にシリーズとかじゃないかも…?まぁいいでしょう〜

人のことを本当のところでは信用できない
そういう自分は冷たい人間なんじゃないかって、感じることがある。

今日、久々に友人たちに再会した。
その内の友人同士が実は付き合ってることがわかって、「早く言えよー!」っていじって、突き回しながらみんなで祝福した。
本当におめでとうって思うし、心から嬉しかった。

でもふと、帰り道に少し心が曇ったような感じがした。
自分は好きになるのに相手の性別は最優先ではない。だから同性を好きになることもあるし、実際好きになったことがある。
でも、このことをカミングアウトはしていない。

「そっちはどうなの?」って恋バナを振られて、本当に何もないから「マジで何もないー」って答えた。
今日はそう答えられたけど、もし自分に同性の恋人がいたら?
自分に同性の恋人ができた時、それを友達の前で言えるのか?
咄嗟に、言えないかもしれない、と思った。

それを伝えた時、みんなは今日みたいに、いじって突き回して祝ってくれるだろうか
拒絶されなかったとしても、
水を差したような空気になるのではないか
気を遣われたり、腫れ物扱いされたりしたら?

もちろん普通に受け入れられる可能性だってある。同じように祝ってくれるかもしれない。
でもそう思い切れない。
いい人たちだってわかってるのに。
そうやって信用しきれないところが、「自分ってなんだか冷たい人間だな」と感じて。

でも。
それは自分の性格ではなく、マイノリティ性によるものではないか、とも思った。

だって、もし自分が異性愛者なら
そんな風に不安に思うことも
友人を信用しきれないって、自分を冷たい人だと思うことも、思う必要も、きっとなかっただろうから。

擬態しているのはしんどい。
でも、擬態を解く怖さに
受け入れてもらえるかわからない怖さに向き合うことも、同時にしんどい。
そして、そんな自分を好きでいられないことが、たぶん一番しんどい。

嘘をついている気分になる。自分にも相手にも。相手を信用していない、自分は他人を信用できない
そんな風に感じてしまうのが嫌だ。
嘘をつきたくない、本当は人を信用したい。
でも怖い。困ったなぁ

特別な配慮が欲しいんじゃない
ただ、みんなと同じ‘’安心”が欲しいだけだ。
みんなと違うことに、怯えなくてもいい“安心”が欲しいだけだ。

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