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よしなしごとを書きつけてみんとて【宅建勉強記】



古文は大好きだったのに試験では足を引っ張る苦手科目だった。
屁理屈やど正論が得意な論理的なタイプだと自覚している一方で、言葉で説明できない感覚的なことを根拠に直感的に判断する気質が先天的に強い気もする。


わざわざ古文単語や文法をよくわからない定義付けをされた品詞に分解などして学ぶ必要があるのか。読むだけでなんとなくわかるだろうよ。書いた人の言葉で楽しむのがいいってものよ。侘び寂びで作品を楽しもうじゃないか。

なんて、学問上の定義付けが私にとってはややこしさを助長させる要因になった。

それは現代文においてもそうだった。作者の考えについての捉え方に正誤などあるものか。それが拭えず国語は苦手科目だ。自身の作品が国語の教科書に採用され、統一解釈をされるのってどんな気持ちなのだろうか。

何様なんだという捻くれた目線で呆れる。


5月に、「今年宅建試験を受けます」と宣言投稿をしてから4ヶ月が経った。
10月の試験本番まで残り日数が限られてきた。


まず、なんだかんだ宅建受験への道を歩み続けることができているので報告したい。
本当はもっと勉強の進捗を報告するつもりで投稿したのだが、そんな余裕がなかったのが正直なところだ。

大学受験の時も、両親から「浪人NG」という背水の陣を作り上げられた状況で勉強をし、見事に「逃げ道がねえ」という過剰なプレッシャーにつながり、結局回避行動で勉強をしたくなくなってしまった時期があった。時期があったというか、お恥ずかしながら肌感覚としてほとんど勉強をしなかった。

今回、宅建を受けるにあたってモチベーション維持の観点から「1発合格」を掲げて勉強を始めたが、時にこれが自分の首を絞めてしまうことがある。
「ああ、こないだ勉強したばかりなのにできなかった」という場面で「1発で受かるのか、、、、」と必要以上に焦燥感に駆られ、「今年ダメでも来年」の選択肢を浮上させることも出来ずに八方塞がりになる。

そしてモチベーションが揺らぐ。
こんなことが日々の生活の中である。

ああ、私は試験勉強が苦手だったんだ。
と気づく。

勉強は大好きだが、試験勉強は苦手だ。
引っ掛けにまんまと引っ掛かるし、勉強計画や勉強方法に工夫を要する試験のための勉強はどうも身にならない。


それでも、資格が命の金融業に勤めていることで、資格取得がキャリアアップにつながる経験や勉強したことが業務につながる経験をして、勉強に対する意識がだいぶ変わった。


そして、noteやYouTubeで拝見している自己研鑽に取り組んでいる人たちの姿もまた、勉強への意識改革に役立っている。

勉強=試験勉強=短期集中、試験が終われば忘却
の勉強をしていた私には、
「毎日少しずつの勉強って忘れちゃわない?」なんて思っていた。
私のような詰め込み勉強を毎日は、忘却の一途を辿るが、理解していく勉強、自分のものにしていく勉強は忘れない。

宅建試験の勉強を通じてそんな「良い勉強」の方法に出会えた気がする。
そして、そんな勉強の仕方が私でもできるのだと。


そうは言っても宅建試験も資格試験だ。
落とすための問題も多い。戦略だって重要だ。
でも、表面的な難易度や合格率でとっつきにくそうに見えただけで、実際は勉強するのが面白いと思えている。


時間的に、精神的に苦しいこともある。
先述のようにモチベーション維持は永遠の課題である。
特に私のような絶望的にズボラかつ誘惑に弱い人間にとっては最重要課題であると同時に、解決困難な課題だ。


まだまだ合格できないかもと不安になるほど完成度が低いのが現実だ。逃げたくなるし諦めたくもなる。
でも、なぜ今受けたいのか、なぜ宅建試験なのか、受かったらどう思うか、落ちたら自分はどう思うか、を思い出す。

勉強しなかった大学受験が失敗だったとは微塵も思っていない。でも、大学受験のとき勉強から逃げずにいたら、大人になってから気づいた勉強の楽しさ、面白さにもっと早く気づけたかもしれない。
勉強がしたくてしたくて仕方なかった小学生時代の頃のような意欲的で前向きに学びに取り組める自分にまた出会えるように。

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