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短編小説『サイクロプスと解像度』
※漫画「勇者名探偵」収録
第三話「はだか以上の王様」の後日譚です。
街の公園に怒号が炸裂する。
「舐めてんのかてめえ!」
カサカサの肌のやせぎすの人間の男が、ツヤツヤした肌の健康そのもののサイクロプスの男、つまりひとつ目の巨人に胸ぐらを掴まれて怒鳴られていた。
この公園にて、今まさに暴行事件の被害者になりかけている一人の人間こと、ギュスターヴ・ル・ガルニエは目を閉じて故郷の祖母を想った。
そういえば元気にしているだろうか。そういえば庭の野菜は育っているだろうか。そういえば仕送りは届いただろうか。
『そういえば』を繰り返す意識は、胸ぐらを中心に振り回される人体の中で、頑なに外界との接触を拒否し続ける。
先に地面に到達したギュスターヴの眼鏡に心があったなら、現実からの逃避を続ける持ち主が、同じ視点の高さから公園の景色を見てくれる時を待ち望んでいることだろう。
程なくして眼鏡の望みは叶えられる。ギュスターヴは地面に叩きつけられ、彼の現実逃避は終わりを告げた。
ギュスターヴは人間の画家だ。
肉付きの悪い頬とアッシュに近い黒髪を後ろに撫でつけた髪型は、彼の外見を不幸そうな印象に仕立て上げている。
前々職である宮廷画家をとある理由で解任され、派遣画家として不安定な生活をしていた彼は、今は街の公園で似顔絵描きを生業としている。
収入は少ない。
貧乏だが穏やかで幸せな生活を……などと上手い話があるわけない。貧困は心までも貧しくし、不安に包まれた日常は常に安寧の二文字と相反する。
それでも彼は似顔絵描きの仕事を何とか軌道に乗せ、ギリギリで食事に困らない生活を保つ目処を立てた。不安とは常に隣り合わせだが、包まれきってしまうほどではない。
そこでこの事件だ。
「評判の似顔絵描きだからって頼んでみたら……なんだこの絵は!!」
サイクロプスはなおも、青い顔に赤い血を上らせて、顔面を真紫にして怒っている。
ギュスターヴはよろよろと上体を起こしながら謝罪の意を示した。
「あ、あの、すみませんほんと。描き直します」
「当たり前だ! オレ様をこんな顔に描きやがって! オレ様が毎日何十分この美貌に時間かけてると思ってんだ!」
「そ、そ、そ、それでどこを直しましょうか? あの、具体的に教えていただければすぐにでも」
「そんなモン一目見ればわかるだろうが! もっと人の顔色を伺えってんだ!」
「ひぇ…………」
「オレは今から仕事だから今日のところはこれくらいにしておいてやるが……明日、描き直した似顔絵を取りにきてやる! もしもちゃんとした絵ができてなかったら……
てめえの顔の似顔絵が一色の絵の具で済むくらいグチャグチャのボコボコに叩き潰してやるからな!!」
「流石に草」
もう人間をやめて草になりたいほど自分の状況が笑えるという意味で、ギュスターヴは自身の心境を草と表した。
「と、いうわけなんですよ」
その夜同じ公園で、ギュスターヴは机の向こうの椅子に座る似顔絵商売の常連客に、一気に愚痴をぶちまけた。
愚痴を話すだけでも楽になるというのは人間界では通説だが、客の愚痴を他の客に聞かせるというのは、さすがに自分の身を滅ぼすタイプの陰口を叩いてるようで気が引ける。
それでも言わずにはいられなかった。
この話を聞かされて、まともな人間なら警察への相談を勧めるはずだ。
しかし聞き手はまともではなく、また、人間でもなかった。
「次会う夜には病院かあ。手土産に植木鉢を持っていくね」
「冷たいですよ!」
「病院って結構好きなんだよ。お見舞いなら病室にまで堂々と入れるし」
「オレは入院したくないから相談してるんですがね……」
「相談だったのか。愚痴だと思ってた」
話し相手の名はユリウス・ヴィンター。近隣の洋館に住む吸血鬼だ。
人間の街を散歩していた彼は、この公園で似顔絵師という存在を知った。以来、ちょくちょくやって来て自分の顔を小さい紙に描かせては、手帳に一ページずつ並べて貼るという、風変わりな趣味を見つけたのだった。
彼は三つ編みの先を指先で弄りながら、飄々とした調子で話を続けた。
「君の人生は面白いね……
とにかく、一つ目巨人君のご満足いく絵を明日までに仕上げないと、君は彼から半殺しの目に遭うってわけだ」
「なんでかわからんけどそんな話ばっかりなんすよねぇ、オレ……」
「まあさすがに半殺しは脅しだよ。人間の街は警察が取り締まってるみたいだし。
君の顔が薔薇色に近しい鮮血の彩りに頭蓋の砕ける音色と共に沈む可能性は低いと思うよ」
「どういう語彙ですかあんたの世界観は。わざとやってんのか?」
「じゃあ端的に言うけど、被害にあってもたぶん一、二発殴られるだけ。
せいぜい前歯が折れるくらいで済むだろうね」
「そ、そ、それも嫌だあ!」
ギュスターヴは思わず机に突っ伏しかけて、並ぶ仕事道具を見て思い留まり、前屈みに静止する半端な体勢で顔だけを持ちあげた。
恨めしげにユリウスを見上げ、喉からか細い希望をカラカラと絞り出す。
「あんた強いんでしょ? どうにか守ってくれません? ほ、ほら、一生無料で似顔絵描きますし。一生ですよ? お得ですよ? どう?」
「昼間だろ。無理。焼け死ぬ」
「ううー……吸血鬼……難儀……」
ギュスターヴは頭を抱えた。
こめかみを、指で挟んで、肉を揉む。
遠くの国で生まれた五文字と七文字の音数を重視した詩のように、ギュスターヴはリズムを刻みつつ暗澹とした。
緊張による喉の渇きを癒すために、水筒に手を伸ばす。明日の自分を想像した。想像の中の自分は前歯が折れていた。三回想像したが、三回とも折れていた。
自分に必要なのは悪あがきではなく覚悟なのかもしれない。古い前歯にさよならを告げ、新しい前歯と共に生きる覚悟。
水筒に口をつけたまま思考の彼方へと旅立ちかけるギュスターヴの意識を、ユリウスの一言が呼び戻した。
「とはいえ似顔絵を完成させれば助かるんだから」
と、朗らかに笑う。
「それはそうなんですけど……直すところが見つからないんですよね」
ギュスターヴは昼間に描いた似顔絵を取り出した。そこには穏やかな微笑みをこちらの向けるサイクロプスが描かれていた。
依頼人の特徴をとらえつつ、気に入ってもらえるようにいささか整えて描いたと自負している。ギュスターヴとしては、修正箇所は見当たらない。
「探偵君にでも相談してみれば? 前の事件も彼らが解決してくれたんだろ」
「アディク君とユメさんですか。なんか遠くの工事現場に泥棒を捕まえに行くとかで、忙しそうだったんすよね……」
「じゃ、自分で何とかするしかないね」
「うーん……」
逆さにしたり裏向けて透かしたり、ギュスターヴは自分の絵をまじまじと眺めた。
「デッサンは狂ってないな。デフォルメの感じが気に食わなかった……とかか? チャームポイントなら目を大きく…… いやコンプレックスなのかも……」
「あ、僕わかった」
「え」
ギュスターヴ側から見て裏向けられた、つまりユリウスの眼前に突きつけられた絵を見て、ユリウスは何かを閃いた。
ギュスターヴが身を乗り出す。
「お、教えてくれますよね!? ヒントだけ出して『さあ君にわかるかな!?』ってのは無しですよ!?」
「無し? まあいいか……
あのさ、サイクロプスってさ、視力がいいんだよね」
「視力?」
「そ。目に映る像の細かさが僕らとは違う。僕だって夜目の効く方だけど、そういうのじゃなくてね。
例えば、同じものを見ても細かいところ、小さな点まで見えるんだ」
「なるほど、解像の度合い……造語にするなら……
そうだな、『解像度』といったところですか」
「その造語は良くわからないけど……
その時の風景や見た目を保存できるのって、魔術とかカメラ・オブ・スキュラとかいろいろあるんだけど、どれも煩雑だからね。
君の絵を描くという手段はいい。なんたって魔術と違ってこんな公園でもできる。市民にも手が届きやすいんだ」
「そうですね……行き当たりばったりで始めたにしては、結構いろんなお客さんに喜んでもらえる。こんなオレだけどそれは嬉しいですよ」
「元手もほとんどかからない。だろ?」
「元手がかからないってことはありませんが、なるべく安く仕上げようとはして……あ」
ギュスターヴは気がついた。
薄利多売。商品の価格を低めに設定し、かつ利益を出すために、ギュスターヴは似顔絵に使用する絵具を安価なものに抑えていた。
基本的に画材は高い。
特に青色ではそれが顕著だ。純正の青は極めて高価な鉱石を原料とする。そうやすやすと使っていては簡単に破産する。
そのため、おおっぴらには言えないが、その辺の石や草花をすり潰して混ぜて使っていた。
サイクロプスの笑顔は、純粋な塗料と異なる、ざらざらした質感の青色で塗られていた。
その粒の粗さは人間の目にはわからない程度のものだったが、解像度の高いサイクロプスの目から見ればどうだろう。
明らかな差異になり得るのかもしれない。
翌日、公園にて。
吸血鬼が一撃で灰になりそうな晴れ渡る青空の下で、ご機嫌なサイクロプスの笑い声が小鳥のさえずりを上書きしていた。
「がっはっは! いやあ、やっぱりわかってたんじゃねえか!」
ご機嫌なサイクロプスはギュスターヴの背中をバンバンと叩く。
「昨日のつぶつぶまみれの絵具とは全然違うな! オマエ最高だぜ!」
背中の揺れに合わせて眼鏡がカタカタと跳ねる。
「ちゃんと塗ってくれて嬉しいよ。オレ様のチャームポイントといえばこのツヤツヤの皮膚だよな!」
高価な青色の絵具を惜しげもなく使って塗り直した似顔絵は見事に客を満足させた。
ギュスターヴのふところは痛く、叩かれた背中も痛い。痛みに挟まれた心は客の喜びを素直に一緒に喜ぶ気になれなかった。だいたい昨日脅されたばかりである。
さすがにギュスターヴも一言物申す気になった。
あえて何も言わないことがいい結果をもたらす時とは、人の生死に関わる時と、代わりに真実を取り扱ってくれる探偵がいる時くらいだ。今ではない。
愛想笑いを浮かべつつ、ギュスターヴはやんわりと伝えた。
「あ、あの、喜んでもらえてよかったです。でもわざとじゃなくて。
オレにはその、あんたの言うつぶつぶは見えないんです」
「見えない? そんなわけあるか。こんなにわかりやすい違いなのに」
「目の性能が違うんですよ……」
誠実さを伝えようとするギュスターヴの口調に、サイクロプスは思わず目を丸くする。
「本当に見えないのか……? 目が二つもついてるのに……?」
「人間の目が基本二つついてるのは、物を立体的に見るためなんで……」
「そ、そうなのか。数は多ければ多いほうがいいと……
そういえば、目が三つある生き物とかもいるもんな……あれも別によく見えるわけじゃないのか。羨ましいとすら思っていたが……
難しいな。仕組みが違うのか。ううむ……」
サイクロプスは首を捻った。そして、今までの非礼を詫び、こう言った。
「種族の違いで、見える世界が違うものなんだな。
いや、人間と関わらないとわからなかったよ……」
やけに教訓的なことを言う巨人だ、とギュスターヴは思った。彼が寓話作家なら物語にでもしていたかもしれない。
そして、そんなに高い解像度で見える世界、見られるものなら見てみたい、とも思った。
ともあれ、公園の一件は一件落着した。
ギュスターヴはひとまず胸を撫で下ろした。願わくば、次のお客はトラブルに陥らず、ささっと描ける相手がいい。希望を抱いて椅子に座る。
その時、ギュスターヴの心に直接語りかける声があった。
「汝が似顔絵描きか。
汝に問う。汝に我の似顔絵が描けるか否かを……」
公園を覆う黒い影。
ギュスターヴの前に巨大なドラゴンが現れた。
彼は転職を考え始めた。
おわり
次回更新は未定です。
以降は不定期に更新していきます。
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