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寂しいってなに?

私にはパートナーがいる。

最近はパートナーに会える時間があまりなく、寂しい。
寂しいあまり、パートナーに対して八つ当たりしてしまうのだ。

これは良くない。

パートナーには趣味があって、ほぼ毎週のように趣味の練習に行く。
趣味仲間と楽しそうにランチをし、趣味の練習をして、時には趣味仲間の誕生日を祝ったり、お祝いでなくてもケーキを食べたり、何かと楽しそうに過ごしているのである。

パートナーが幸せにしているのは喜ばしい限りだ。

だが、素直に喜べない私がいるのは事実だ。
パートナーが楽しんでいる陰で、私は1人寂しさを感じている。

一体何が寂しいのか。なぜパートナーの幸せを喜んであげられないのか。

真っ先に思いついたのは「羨ましいから」。

私はパートナーみたいに定期的に行うような趣味があるわけでもなく、ましてや趣味仲間など全くいない。

パートナーは高校生の頃からずーっと続けてきており、部活が今でもあるような感じである。

私は部活とは程遠い生活を選んだがために、「仲間と何かを成し遂げる」ようなことはほぼしたことがない。

私ができなかったことをパートナーはいとも簡単に成し遂げてしまう。そして、何よりそれを楽しんでいるのだ。


私が苦手だと思っていることを楽しめる。
羨ましい以外のなにものでもない。

人間、自分にないものを持っている人への憧れがあるものだろう。
私にないものを持っているパートナーが羨ましいと思った。

でも、これは「寂しい」ということなのだろうか。
「羨ましい」は「寂しい」とはまた違った感情だと思う。

「寂しい」ってなんなのか。
調べた。

すると私の頭にズッドーンと来る記事があった。

それがこちら(犬可愛い)。


「寂しい」とは、理想と現実の差を感じた時の感情のようだ。

確かに、私が寂しいと感じるのは

「週末会おうと思っていたのにパートナーと会えない」
「パートナーに送ったLINEの返信が来るはずが来ない」
「来たと思った返信の内容が思っていたのと違う」
………。

こういうことだった。
私が寂しさを感じる原因は、自分が思い描いている理想と離れているからだ。


離れていればいるほどに寂しさを感じる。

この寂しさを低減するにはどうしたらいいのか。
まずは、自分が思い描いている理想がどういうものなのかを理解するところからだと考えた。

そして、その理想に対して現実はどうなっているのか。
現実で何をすれば理想に近づくことができるのか。

実際に理想に近づけるように、できることをやっていけば良い。

こういうことか。

多分今までも、最初の「理想がどういうことか」までは考えていたと思う。
だが、考えが浅いところにいた。
理想は考えに考えて「こうしたい」って思っているのに、その後の「じゃあどうしたらいいのか」まで思考がいっていないが故に、ただただ理想と現実のギャップに落ちて行くのみだった。

これが病み(闇)の原因だと分かった。

病みそうになったら、自分の理想がどういうものかを考えて、現状はどういう状態なのか、何をしたら理想に近づけるのか(100%じゃなくていい)、そして実際に行動する。
これをやってみよう。


仕事、生活、恋愛…
色々なことで病んでしまうが、上の事実に気づいた今の私ならできる気がする。

noteで自己分析しよう。

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