ニーチェ入門を読んで

初めての投稿がニーチェ入門(竹田青嗣著)という重めのテーマになりました。
ニーチェはこうだ!という話は全然する気がなくて、読んでみてどう思ったか。自分の経験と擦り合わせて、なにを感じたかを書いていきたいと思います。

そもそも何故読もうと思ったのか

ニーチェを初めて知ったのは、高校の倫理の授業でした。ルサンチマン、ニヒリズム、超人…その当時はニヒリズム(疲れた)からの脱却のためには、超人(すごい人)と触れ合って成長しましょう!という認識だったので、周りに元気を与える人と一緒にいると、そりゃ元気になるよな!くらいしか思っていませんでした。
私自身、それから長い間ニーチェには特に関わることもなく大学で物理学を学び就職をしました。そんな中で、ある映画と出逢います。

トロピカル〜ジュプリキュアの映画を見て!?

いきなりですが、プリキュアはご存知でしょうか。そう、あの日曜日の朝にテレビ朝日系列で放映されているあのプリキュアです!!元々、特撮がその後にやっていたので早めに起きてプリキュアも流し見していたのですが、今季のトロピカル〜ジュプリキュアは、主人公の"今やりたいことを今やる!"という真っ直ぐな姿勢が特徴の作品で、元気がもらえます。そんな作品なら、映画も元気になれるだろうと思い映画館へと足を運びました。

まさかの大号泣

子ども向けと侮っていたかもしれません。映画の半分はずっと大号泣をしていて、映画が終わってもしばらくは感傷に浸る名作でした。ここでは詳しく書きませんが、絶望や挫折を味わった時に自暴自棄になった人に正論で言いくるめるのではなく、歌に想いを込めて、その人の想いを歌い続けることで絶望から人を救うという内容でした。今まで人に優しくすることを言葉や物でしかしてこなかった私にとっては衝撃でした。

そうだ、ニーチェを読もう。

主人公の夏海まなつは、やりたいことに真っ直ぐな中学1年生の女の子です。本編でもその真っ直ぐな想いが周りに影響を与え、仲間を増やし、また仲間に救われるます。あれ?これって超人の話じゃないか?と思い、ニーチェを読んでみようと思いました。友人に話したら、「そうはならんやろ」と突っ込まれました。わかる。

ニーチェについて

前置きが長くなりましたが、ニーチェについてまず説明いたします。
フリードリヒ・ニーチェは、19世紀の思想家にして、近代最大の思想家と呼ばれています。ドイツ出身でワーグナーやショーペンハウアーに影響され、アドラーやドゥルーズに影響を与えたと言われています。「超人」、「ルサンチマン」、「神は死んだ」、「永劫回帰」など、聞いたことのあるワードがたくさんありますよね。そんな偉大な哲学者ですが、自分のことを人間ではない…仏陀だったかもしれないし、ヴァーグナーだったかもしれない…など、最後は狂気的な人間となります。哲学にのめり込みすぎてしまうほど、その人生は波乱に満ちたものでした。

ニヒリズム(虚無主義)

ニヒリズムは、全てが無価値だと考える考え方です。この考え方は、キリスト教と深い結びつきがあります。エネルギー保存の法則などが提唱されるなど、科学黎明期ともいえる時代の進化が時代背景にあり、キリスト教が作り上げてきた信仰を科学がことごとく打ち砕いていきました。そうなると今まで信じてきた真理は虚無だったことになり、信じられるものはこの世にはないと思いはじめ、絶望を感じます。真理を求めず流れに身を任せて生きる、そのような考え方をニヒリズムと呼びます。今まで生きてきた中で得てきた自信を失うと、流れに身を任せていきてしまう、誰にもあることだと思いました。

ルサンチマン

では、ニヒリズムに陥った人間はどうなるかというと、自分に真理がないため他人の価値観を虚無だと決めつけたり、恨みつらみをぶつけたりします。これをルサンチマンと言い、他人に対しての恨みつらみをさします。自分に原因があるにも関わらず、他人に因縁をつける人って結構いますよね。私自身も、会社に入って自信をなくしてしまうことが多々あり、会社が悪いんだとか先輩が良くないなど、自分の自信のなさを他人に押し付けてしまったことが多々ありました。

ルサンチマンを超えていけ

では、ニーチェはどうすればルサンチマンを脱却できるのかを考えたのか。ずばり、ニヒリズムになることを提唱しています。ニヒリズムにはもう一つの面があり、無価値でルサンチマンになるものを消極的なニヒリズム、それに対して無価値であることに積極的なニヒリズムをニーチェは提唱しております。今までの価値を無価値だと積極的に認め、新たな価値を自ら創造することを提唱します。

ラクダ、獅子、子どもの精神

では、どのように価値を創造していくか。誰もがそれに憧れているとは思いますが、ニーチェは3つの生物を使って表しています。まず、ラクダの精神ですが、真理や魂の飢えという無価値なもの、つまり重荷を背負う覚悟を持つことです。無価値から目を逸らすのではなく、まずは受け入れそれに耐えなければなりません。次に重荷を背負ったラクダから、獅子になります。獅子は、ラクダが背負ってきた無価値と冷静に立ち向かい、それを否定します。そして最後に無価値を受け入れた精神は、子どもの精神(無垢な精神)になり、新たな創造を行なっていきます。

真理や信仰が虚無だと認識してしまった精神は、認識することから逃げてきました。逃げるは恥だが役に立つという言葉があるように、確かに逃げることも時としては必要だと思います。ですが、逃げたあとにこそ本質は待っていて、虚無をじっと受け入れる苦しい苦しい時間に耐えること、そして自分を絶望させた虚無を恨み辛み無しで批判する力強さ、傷ついた精神を無垢にする純粋さを得るのは、決して甘い道のりではないなと感じました。

永劫回帰

仏教で前世や来世のために道徳を重んじた文化があるように西洋でもその思想があります。ニーチェは前世や来世を否定し、無価値の世界のみが永遠に続いているのだと説きます。永遠に続く無価値の中で、新たな価値を見つけ出す人間(超人)になることが求められます。これは、新たに生まれた価値さえも無価値になりかねないことを含んでいるのではないかと思っています。この考え方はかなり科学に寄り添っている印象を受け、物理学も常に今までの法則と向き合い、新たな理論を産んできました。現実世界でも日々世界は移り変わりますが、そこに徹底的な批判があるかどうかの違いではないでしょうか。

超人になる

ではどのように超人になるかというと、力の意志が必要だといいます。力の意志はニーチェ入門の中では、認識論、生理学、価値の理論、実存の規範という4つの解釈を行なっています。
先の章でもあるように、一切が無価値だったが新たな解釈を得ていくことが必要だという意見を補強するように、解釈はあくまで個人(肉体)に依存することを持っており、高次な解釈(真理)は存在しないと考えます。例えば、りんごは人間にとっては美味しそうな物ですが、猫にとっては赤くて転がしたら面白い物、蟻にとっては巨大な赤いものになります。ここで、完全な真理などなく肉体に依存した解釈のみが存在することがわかります。ここから考えられるのは、等身大の認識をもつことを否定しないことが重要で、自分のエロス(欲望)について認識をし、成長することが力の意志であるということです。

夏海まなつは超人か

では、本題(?)のトロピカル〜ジュプリキュアの主人公の夏海まなつは超人かどうか考えてみます。彼女の場合は目の前の好きなことに一直線である、つまりエロスに忠実です。この言い方は語弊を生みますね(笑)。自分のやりたいことをやることで、自分自身の成長を促す(トロピカってる)ことはまさしく超人であると思います。ニーチェは弱い人は超人と出会い、恨みつらみを持つのではなく、強くなりたいと勇気づけられる姿はまさしく、トロピカル〜ジュ本編や映画で、周りの人間をトロピカせるストーリーに合致しています。彼女は映画でローラに対して、自分の1番やりたいことは何?と聞くシーンがありますが、これはまさしく力の意志を問うことで、そのあとの更なる成長(強化フォーム)を促します。このことから、(かなり強引に言えば)夏海真夏は超人であることが窺えます。

トロピカってる人生を求めて

ニーチェ入門を読んで、より人間らしく生きるためにはルサンチマンに立ち向かう強さが必要で、それは誰かが保証してくれるのではなく、自分との向き合うなど内容としては重いものだと感じました。
誰かが自分を救ってくれるのではなく、自分のルサンチマン(恨みや羨望)を抑えつつ、自分のエロス(今1番やりたいことを自分に問い、ベストを尽くす)をしっかりと見つめるその力強さと純粋さがトロピカってる人生を手に入れるために必要なんだとわからせてくれました。
ニーチェ入門では、もっと得るものがありますが私の気づきはこのようなものでした。また、本を読んで得るものがあればnote書いてみたいです。読んでいただきありがとうございました。

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