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海外のファッションモデルになる方法 - 一歩目のストライド

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誰もが大きな挑戦をするときにに、とにかく「遠回り」の道を選択したがる。なぜならそれが一番傷付かず、ラクだからだ。

例えばそれがモデルの場合に「とりあえずウォーキングレッスンをしよう」とか「とりあえず誰かにアドバイスを聞こう」とか「とりあえずカメラマンに写真を撮ってもらおう」となる。

どれも間違いではないが極めて遠回りだ。なぜ手前の手前からスタートするのか、競技はマラソンなのに敢えて「競歩」で戦おうとしているようにしか見えない。

スタミナを残したいから、まずは様子を見たいから、ついて行けなくなったら怖いから、とにかく自分が傷付かないよう恐る恐る様子を見ながら、小さなストライドで進んでいく。

始めの一歩は早さよりも「大きさ」

自分が海外モデルを始める際、まず一番最初にやったことは海外モデルエージェンシーへの連絡だった。

通常海外を目指すモデルがモデルエージェンシーに連絡をする場合「コンポジットカード」という自分の宣材写真が載っているプロフィールカードが必要になる。

また現地で面談をする場合は「BOOK」という自分の写真集のようなファイルブックを持っていく必要がある。それらの写真を取り揃えてエージェンシーとアポを取り、現地に乗り込むという流れである。

30代でモデルのキャリアをスタートさせた自分はコンポジットもBOOKも存在そのものを知らなかった(今考えると流石に情報不足だと思うw)。

その状態でいきなり香港・台湾・シンガポールのモデルエージェンシー数社にメールを送り「あなたの事務所でモデルとして働かせてください」と連絡を入れた。

「千と千尋の神隠し」の千尋と湯婆婆のやりとり

千と千尋の神隠しを皆さんは見たことあるだろうか?ほとんどの方が見たことがあると思う。

あの映画で千尋が湯婆婆に「ここで働かせください!」というシーンがある。あのシーンで千尋は何をしていたか、リクルートスーツで履歴書を携えて湯婆婆と対面していたか。

いや、違う。千尋は裸一貫で「ここで働かせてください!」とリピートをしていただけだった。やがて湯婆婆は根負けをし「千」という名前を与えられ、仕事をもらえることになった。

まさに自分はあんな感じだったと思う。コンポジもBOOKも持たない状態で海外エージェンシーに突撃をした。

返ってきた数通のメール

とはいえ、まさかまともに取り合ってくれるとも思っていなかった。とりあえず送れるだけ送って、あとは反応を待ってみようと言う感じだった。

2〜3日経った頃だろうか、シンガポールのエージェンシーから返信があった。びっくりして開けると、いわゆる「お祈りメール」だった。

「あなたはうちの事務所に合わない」と言われた。でもそもそも返信自体が無いと思っていた自分は、返信があったこと自体大きな成果だと思った。

会ったこともない見ず知らずの外国人である自分のメールに、シンガポールの人間が反応をしてくれた。海外への風穴が開いたような気がした。

それから数日後、香港のモデルエージェンシーから返信が来た。お祈りメールだと思い開くと、まさかの「一度香港の事務所で直接話したい」とのないようだった。

全身に電流が走った感覚だった。そしてもう一社香港のモデルエージェンシーからも「一時事務所に来てほしい」と連絡があった。そこで初めて自分はパスポートを取りに行った。

始めの一歩は全力の両足ジャンプを

一ヶ月後、自分は香港にいた。パスポートも持っていない状態だったが、急いで発行し、すぐにホテルとフライトのチケットを予約した。

今回は詳細は省くが、結果として30代モデル未経験ながら香港のモデルエージェンシーとの契約を勝ち取った。

そこから苦難の道が続くわけだが、まずは始めの第一歩としては最高のスタートを切ることができた。

そんな自分から見ると、なぜ周りの人はそんなにもたもたしてるんだろうと思う。やるなら一気に、そして徹底的にやればいいのに。

「とりあえずできるところから」という考えにも賛同できる。しかし人生はそんなに長くない、そしてライバルとの競争に勝たなくてはいけない。モデル業界のようにライバルが多い分野であればなおさらだ。

「実力を付けてから」「実績を積んでから」「もうちょっと準備してから」そんな声も聞こえてくるが、そんなの誰が決めるんだ。

やるかやらないのか、成功するのかしないのか、決めるのはいつも自分である。周りに決めさせてはいけないし、周りに合わせてはいけない。

自分の行きたい場所にさっさと辿り着き、早く次の場所に急ごう。そうすればいつの間にか全く違う景色の見える場所に、自分が立てるようになる。

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