10年後

阿佐ヶ谷TABASAで開催された岩淵弘樹トークライブ"10 years after"へ。彼が監督を務めた映画「遭難フリーター」が劇場で一般公開されたのが2009年。今回のイベントタイトルの真意について明確には語られなかったものの、トークの内容として語られたものの多くは、2009年前後の岩淵弘樹に関する荒唐無稽な裏エピソードの数々でした。

上京(遭難フリーター)からHMJM入社にいたるまでの表立った過程は2015年に発表されたこちらのサイトの本人インタビューが内容も細かく、わかりやすくてよいと思います。(2016年にHMJM退社後、現在はフリーの映像ディレクターとして活動されているようです)
http://tokyoloco-mug.com/interview/iwabuchihiroki/

今回のトークライブでステージに立ちマイクを握ったのは岩淵さん本人ではなく、上記のインタビューでも大きく触れられている昆虫キッズのメンバー(高橋・佐久間)とどついたるねんのメンバー(ワトソン・先輩・うーちゃん)、友人の山田さんの6人でした。(岩淵さんは会場に来ていたものの、後方バーカウンターから内容の事実関係を確認するチェック係としてトークに参加していました)

生活のために日々労働するかたわら、昆虫キッズのライブを撮影したりMVを制作した岩淵さん。お互いに深く関係する濃密な時間のなかで表出した当時の岩淵さんのアウトローな人間性にトークのスポットライトが当たるひとときでした。(岩淵さんが撮影した昆虫キッズの動画は、2013年にどついたるねんの元メンバー山ちゃんの陰部を露出した毎日動画をYouTubeに投稿後に通報され、岩淵さんの当時のアカウントが削除された結果、インターネット上にはほとんど残っていません。どついたるねんの毎日動画はBEST HITSのDVDに総集編という形で収録されています)

トークの内容について、その詳細はここに記録しませんがとても面白かったです。めちゃくちゃ笑いました。お金のない貧しい暮らしだとしても、母や祖父にお金をせびり、国からの奨学金をアテにし、友人からお金を借り、友人から借りたお金で買ったニンテンドーDSをDORAMAに売ったりすれば生きていけるのだということを知り、心から勇気づけられました。

昆虫キッズ新聞(当時発行されたフリーペーパー)には、バンドのことよりも岩淵さんのことが多く記録されており、記事を執筆した佐久間さんやコラムを寄せた山田さんの筆致の高さを通して、当時の岩淵さんの魅力がひしひしと伝わってくるものでした。

岩淵さんの近年の作品として、映画「世界でいちばん悲しいオーディション」やテレビ熊本制作のドキュメンタリー番組「ベッキーと未知との対話」があります。MVでは三輪二郎さんの新譜の曲を監督されました。

帰宅後インターネットで色々と調べた結果、岩淵さんが今は映像一本で飯が食えるようになったきっかけとして「劇場版アイドルキャノンボール2017」にカメラマンとして参加されたことが大きいのかなと思いました。まだ見れてなかったのでなるべく早く活躍を確認したいと思います。

湯山玲子の岩淵弘樹(&エリザベス宮地)論、面白いです。

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