単独公演を撮影した『曇ヶ原』との出会いを振り返る
4月19日に曇ヶ原の単独公演を撮影させていただきました。その時のライブ写真はFBページのアルバムにアップさせていただいたのですが、そのアルバムに曇ヶ原との思い出を綴った文章を書きました。今回、その記事の後半に、2018年に曇ヶ原のショウタくん、カタカナのミツビシによる対談をまとめさせていただき、その文章を少し再編成して再掲させていただきました。曇ヶ原の歴史を知るうえで貴重な資料になっていると思いますので、よろしかったら、お読みいただけたら幸いです。
なぜ、単独公演を撮影したのか?
曇ヶ原の創設者であるショウタくんと初めて会ったのは、彼が「ピノリュック」というニューウェイブバンドの新メンバーとして加入してきた2007年7月13日のこと。その時の彼はまだ学生でした。第一印象はシャイな性格でバンドを続けられるのかなと思いました。ピノリュック脱退後も「ぐゎらん堂」「カタカナ」と、彼の居るバンドとは縁があったので、もう17年の付き合いということになります。
「曇ヶ原」に関して、私は最初期から見てきた1人かもしれません。2009年4月、私は池袋で「LIVE INN 東京ゲリラ ライブ写真展」という写真展を開き、そのなかでイベントもやらせていただきました。そのイベントに出演してくれたのがショウタくんで、この時に彼は「曇ヶ原」を名乗りました。出演の打ち合わせをするなかで、当時は弾き語りスタイルではありましたが、すでに「プログレッシブ・ハード・フォーク」の構想を語ってくれたのを覚えています。
このイベントから5年経った2014年1月13日、神楽坂EXPLOSIONでバンド体制の曇ヶ原がお披露目されました。この時はショウタくん、ドラム、ギター2人、キーボードといった5人編成で、初めてながらも音楽的可能性を充分に感じる演奏でした。5年前に語っていた「プログレッシブ・ハード・フォーク」というコンセプトがようやく本格的にスタートを切った瞬間に居合わせることができました。
その後、何度かメンバーチェンジする様を撮りながら、最近は曇ヶ原の撮影は年1ぐらいになりました。それでも、バンドとしても大きな節目となるであろう今回のワンマンライブは、ぜひ撮りたかったので実現できて嬉しいです。彼が私のイベントに出演した2009年4月18日のほぼ15年後に、会場いっぱいのお客様から歓声を受けるショウタくんを見て、ちょっと胸が熱くなりました。これからも、ちょこちょこと撮りに行きたいと思います。
ライブ写真などで振り返る「曇ヶ原×カタカナ」の歴史
2018年6月2日(土)に新宿MOTIONで行われた、曇ヶ原×カタカナ2マンLIVE「だから、梅雨」で配布された小冊子では、ショウタくん、ミツビシくん(カタカナ)の対談を私がまとめさせてもらいました。こちらでも曇ヶ原結成についてのことが語られているので、再編集した文章に加えて、小冊子には掲載していない当時のレアなライブ写真やアーティスト写真と共にご紹介します。
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