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さよならの代わりに愛媛県でお別れ

さて、這う這うの体で愛媛に帰ってきた私は大変なことに気づいた。

飯 うますぎてワロタ…。

鮭のホイル焼き・じゃこピーマン・おから・鍋

1か月間バタバタして、炊飯器で煮込んだ鶏むねばかり食って生きていた身には実家の飯が美味すぎて不安になるレベルであった。
え~まじで来月から一人暮らしすんのー!?だりィー!(おまえが選んだことでは…?)
まあ、帰ってきたからにはいろいろと所用を済まさなければならない。

ちなみにここ〇十年間4人暮らしの体を取ってきた我が家であるが、兄の結婚に私の独立でいきなり世帯形態が一変してしまっていた。
「父と母の2人だけで暮らしてみて、どう?」と質問してみたところ、
責任の所在が分かりやすい(これやったの誰!?という時、自分でなければ100%相手)」とのことだった。そうですか……。


・結婚届に署名

メインイベントである。
兄と後輩の二人が7日に入籍したいと聞いていたのでこのタイミングでギリギリ帰ってきたのだ。
夕飯を食べに来てくれたので、また「初めましてっ!妹です!アセアセ…」の茶番をやる。
サイン完了!(いたずら完了!)


・友人とランチ

私が小5の時からのお友達(母と同年代)とランチ。
子供のころから私をひとりのオタク友達として扱ってくれて、いろんな美味しい店に連れ回してくれた。あと金銭的な問題であまり本を買えなかった私に、気前よく同人誌やマンガをたくさん譲ってくれた大切な友人である。
小学校が世界の全てであると思ってふさぎ込んでいた私に、大人になったら楽しいことがある、世界にはもっと素敵なことがあると教えてくれた。

いつも美味しい

この日も楽しく食事をして、
「最近はスラダンが再興している、かつての大手たちも舞い戻るのではないか」「恐るべきことに、まだラジプリは続いている」という話題で盛り上がった。すぐに会えなくなると思うと寂しい。
私も子どもにとってのよき友である大人になりたいが、どうだろうなあ。


・『君たちはどう生きるか』鑑賞。

そういえば見るタイミングを決めかねていたな、と思って父と母と連れ立って映画館へ。
勤務中の父に「仕事終わったら映画館に集合しようよ!!」と連絡をする。こんなことは初めてだが、そうそう二人と一緒に映画に行けるチャンスもなさそうなのでいい機会だと思った。
レイトショーにはなかなか行く機会が無いので、ワクワクする。かつては映画館バイトだったのに…。
3人でスシローに行って帰った。楽しかった。


・産直でアイスを食べる

産直でイベントをやっているらしいので行ってみる。
香川から出店している?というぶどうアイスが美味かった。
めちゃくちゃ風景が夏だなあ…。

このあとめちゃくちゃ溶けたアイス


・兄と母と家電を見にいく

ちょうど兄が平日休みでヒマだというので、3人で連れ立って買い物に行く。
店舗で見るだけ見て、あとでネットで買って直接新居に配送しようという魂胆だ。3人でフードコートで飯を食い、兄は「今日は私が晩ご飯を作るから…」と行ってそそくさと帰った。
ニトリで洗濯物干しが叩き売られていたのを買おうと思っていたのに普通に忘れた。


・父の土産の馬肉

出張に行った父が馬肉をを買って帰ってきた。
SAかどこかで中身が見えないアルミバックのまま買ったらしいが、
思いのほか入ってなくて自分で落胆していた(かわいそう)が美味しかった。

ジョイフルの看板もおみやげ


・会社の同僚の方々とランチ

延期に延期を重ねていた「肘樹さん退職お疲れ様でしたランチ会」がついに開催。
このランチ会は、もう私が入社した時にはすでに定年退職された女性社員の方を中心に構成された会なのだが、
「肘樹さんは面白いのでぜひ〇さんとマッチングしてほしい」とオモロを買われて召集され、以来ずっとお呼ばれいただいている。

友達!という感覚の付き合いではないが、職場の仲間!というのは貴重な、他ではない気安さがあるもので、
「この酢豚、モッチャリすぎないか?」「口の消化酵素のタイプで変わるらしい」「その壁にいるのは蜘蛛ではないのか!?(壁フックだった)」という話題だけでかなり盛り上がった。
プレゼントとお花まで貰っちゃった。嬉しいなあ…。

マッサージ機もらっちゃった

自分がたいそう周囲の方に恵まれた幸せ者であることを改めて実感したので世界に感謝しようと思って、帰りに献血に行った。
タイで言うところの「タンブン(徳を積む)」である。
大街道献血コーナーに神クズを寄付してくれている愛媛の読者、ありがとう!


・祖父母の家に帰省する

孫が東京に行くとのことでさぞ病んでいるだろうと思い(傲慢)、久しぶりに泊りがけで行くことにした。
とにかく喰う。とにかくなんでも食うことがじじばば孝行というものだ。
島でしか食べられないものを喜び、祖父の絵に喜び、祖母の料理を手伝う。

祖父は私が海遊びすると喜ぶので、行きしなにフジグランで水着を買ってきた。祖父母の居るところが、海のそばこそが私の一番好きな場所だ、と伝えなくてはいけない。
遠くから祖父に見守られながら、1人で泳ぐ。
1時間弱で雨が降ってきたのでギブアップ。

謎すぎるツーショット

私が小さな時からずっと変わらない。たぶん私が今溺れても、祖父は助けに来てくれるだろうなと思った。

居間でごろごろする。祖父が寝っ転がっているところに私が重い脚を載せるか、もしくは祖父が私に脚を載せるかする。
何だか知らないが昔からこれがコミュニケーションなのである。

朝6時だか7時にまどろんでいると、祖母が叔母に電話をかけているのが聞こえてきた。
7巻のカバーした漫画にはいつも応援してくれている感謝を込めてサプライズで叔母を描いたのだが、祖母にはわかりづらいかも、と思い前日に献本分を渡しながら説明してしまったために
「昨日なあ、肘樹が漫画にアンタを描いたやの言いよってな…」と、盛大にネタバレをかましていた。
なんか…我慢できなかったんだろうね。

起きると祖父母は完全にシャカリキコロンブス状態で働きまわっていた。
いつもながら朝からフルスロットルな人たちである。
朝3時に起きたと言っていたが、それは朝ではない
だから毎日19時とか20時に寝ているんだ。島の時間は一般的なものと3時間時差があると思っている。

そうこうしていると、
なんと「兄が今から島に来るらしい」「母も今から来るらしい」という情報が突然入ってきた。
「それは後輩さんも一緒に来るのか?」「いや平日だぞ、来ないだろ!」と情報が大錯綜したが、
とにかく大人数分の飯を作れということで私も台所に召集され、日本の名産品であるスシとテンプラ作りに加わった。人数分の酢飯を分配し、具を計算しながら配置するのはなかなか難しい。

ふたを開けてみると、結局母も兄も後輩も来たようだった。
「なんだったんだ後輩は来ないって話は!」
「電話で言ったんじゃないのか!?」
「もし今日も泳ぐに行くなら14時以降にしろ!!」とそれぞれが口々に自由に発言して、会話は大崩壊状態であった。
これは祖父母の家でしばしば見られる光景であるが、後輩は「すげえ、会話が成立してない」と戦々恐々であった。
誰も怒ってはいないが、全員声がデカく、かつ誰も話を聞いていないのである。耐えて欲しい。

祖母は「前に思ったけど、後輩さんはよく食べる子やね」と嬉しそうだったが、
「いや、旦那の祖父母の家で出されたものは何でも食べざるを得ないだろ!食べさせるのは私までにしておけ!!」と忠告しておいた。
人の胃はそうそう破壊してはいけない。

母と兄と私と後輩、4人で連れ立って、スイカと飲み物を持って海に遊びに行った。
兄が後輩の手を引いてバタ足の補助をしているのを見て「え、こいつら夫婦でワロタ」と思った(夫婦だよ)。
母は「写真を撮るから今のもう一回やってくれ!!」とやらせを依頼していた。
全員泳ぎに来るのが数年ぶりでアホみたいにはしゃいでしまった。
みんなでスイカを食べる。

祖父母が育てたスイカです

だいたい帰省の最後の方はフェリーに乗り遅れることを心配するがあまり祖母がパニックに陥りだすので、
さっさと退散することにした。
「今日はありがとう」
早く乗れ!!
「また来いよ」
お茶持ったか!?
またしても会話が崩壊してしまったが、いいのだ。

帰りがけに叔母の家に寄って天ぷらと一緒に献本分のコミックス(サイン入り)をプレゼントしたのだが、
「ありがとう!まあ、もうアニメイトで予約してるけどね…」と言われてしまった。ガーン。

この日は祖父も相当楽しかったようで、
手紙で「吾々老夫婦・この夏の思い出を胸にしまって生きていくよ」という重いメッセージをいただいた。
久々に全力で孫をまっとうできたので良かった。

・後輩二人と飲みに行く

「肘樹ちゃんが愛媛からいなくなるなんて…」という絶望を抱えた後輩二人と飲みに行く。
恩師である美術部の顧問に会いに行ったのだがタイミングが悪く会えず、ほんなら帰るかぁと思ったら別の恩師に出くわす。
松山って……狭すぎる。

花園町(路面電車の線路沿いに伸びる道)でビアフェスをやっているというので参加。外でお酒を飲むって楽しい!!

愛媛って柑橘系のビール多くて嬉しい

松山の伝統芸能であるところのカラオケを挟み、優しいママさんのいる飲み屋へ。
ちょうど商店街では数年ぶりの土曜夜市が開催されていて内も外も大混雑であったが、数か月前に来たっきりの私の顔を覚えていてくださってなんとかかんとか席を作ってくださった。

娘さんが「先生が来たら渡しておいて!」とママさんに預けておいてくださったというプレゼントを頂いた!
め…っちゃ嬉しい…こんなハートフルなことあるんだ

後輩二人は「肘樹ちゃん!また愛媛に帰ってきてね!😭」と言っていたが、
こいつらは今週末には東京に着て私と会う予定があるのである。大茶番。

・さよなら娘送別会

家庭内でお別れ会をやった。

引っ越しが近づくにつれ、
母の中で「何か手伝ってやりたいと思っているのに本人に引っ越しに取り組む姿勢がない」「なにもしてやってない」という憤りと焦りが渦巻いている気がしていた。
確かに愛媛に帰ってきて引っ越し準備をするといったものの、
思い返すと大半は原稿作業をしていたし、引っ越すと言ってもうちから持ち出すのは服とPCだけ(同人誌が1000冊単位であるのでもはや一切を置いていくことにした)だったので、
傍から見ていると「結局…何をどうすんねん!!」という感じで腹が立って仕方なかったであろう。
一番頭を使ったのは楽天のお買い物マラソンで買い物をしつつ、引っ越し当日に配送する兼ね合いを調整することくらいである。
なんとかかんとかヤマトの単身パックで荷物も送り飛ばし、あとは夜行バスで出るくらいのことだ。

我が家の祝いの席は必ずスパークリングワイン

私の好物であるピーマンや枝豆、牛筋煮込み、キッシュ。
これを作るとなったら気が遠くなるが、私が食べたい!と言うとヨシ!と作ってくれる母の懐の広さには頭が下がる。
大人になるにつれて、晩御飯の提案(作りやすい、冷蔵庫に今材料があるもの)をすることも手伝いや親孝行の一つであるなあと思っていたが、
純粋に食べたいものを頼むのもまた一つの親孝行なのだろう。
大学受験の時、お弁当のリクエストさせてくれたなあ。タコの煮物入れてもらった。

母は毎年夏になると「花火したかった」と言っているので、私から「3人で花火をしよう」と提案する。
拭き上げ花火を父に点火させるのも、やたら風通しが良いのでろうそくの火が消えやすいのも小さいころと何も変わらない。
あと地面の草も焼いたしハリーポッターごっこもやった。
いい歳こいた娘と、無邪気に付き合ってくれる親とで、花火できてよかった。

ホグワーツ最終決戦並みの躍動感


・転出届を貰う

忘れていたが、引っ越しって転出届を貰わないといけないのだった。
え…忘れてたな!!?!?!??!
本来伊予鉄の夜行バスは金・土・日しか運行していないのだが、夏休み期間中で運よく月曜も運行していて、
「平日の方が安いじゃん!月曜出発にしよう!」と変更していたがために平日日中の猶予ができて助かった。
こういう時最終的に運で何とかなるのが私の人生というかんじだ。

手続きはあっという間に終わった。
これで私が愛媛県民でなくなると思うと悲しくて悲しくてとてもやりきれない(クルセイダーズ)と思ったが、前向きに考えると地元にふるさと納税できるという意味でもある。
前向きに考えてそれくらいしか思いつかなかったのか?
母は私が住所変更するとは思いもよらなかったようで驚いていた。
いや…県外に出る大学生の一時転居じゃねえんだから!!

もう引っ越すということで、お世話になった知人にサイン本を持っていくことにした。
幼稚園の時からの同級生のお母さんである。私はこの綺麗で愛嬌ある楽しいお母さんのことがすごく好きで、
「ハァ、X(同級生のお母さんの下の名前)、好きだ…」と家で言っていたのを母経由でチクられていたことがある女である。
そんなこと…チクらないでほしいんですが。
喜んでいたそうなので良かったが……。

同級生本人とはもう交流もないのだが、お母さん同士の付き合いがずっと続いており、私の漫画も応援してくれていたのだ。
お母さんは最近はもうもっぱらブルーインパルスにハマっているらしく、スマホにもブルーインパルスのなんらかを挟んでいた。
萌え~~~!!!!!やっぱり最高!!!!!!!!!!!!!
立ち話をしている途中にも陸自のヘリが頭上を通過し、確認していた。
萌え~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
人間の趣味(面白い女)が幼稚園児の頃から一貫しているな、私の人生って。

・夜バスで旅立つ

父と母に見守られて出発。
珍しく途中下車SAが石鎚山SAではなく豊浜SAだったので「バカな…!こんなのボクのデータには…!?」になった。
いつもの旅行の夜行バスではなく、転居の夜行バスなのだと思うと不思議だった。
数日後に帰って来る旅路ではない。せつなかった。

1人の旅路ではない

というわけで怒涛の1か月であったが、真面目に引っ越し準備をしたのはせいぜい5日間くらいである。
あとは思い出作りとお礼参りに終始していた。
人生の最後にも、こういう風に過ごすことができたらいいのに。
たぶんお化けになってからそう思うだろうな。

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