直感だけで技科大に来た話
1.はじめに
こんにちは。B3以来のアドカレ参加となりました。高知高専出身、4系、M1のpiccです。
全然フルネーム出しても良いんですけど、就活中の身として、なんか変な名字なせいでググったらこの記事が表示される恐れがあるため、中学生の頃から愛用しているpiccというネット用の名前を名乗らせていただきます。
今回のアドカレは「自分の直感は信じても良い」ということを書きたくて、直感を信じて行動した出来事の中で一番大きな「直感だけで技科大に来た話」というテーマにしました。
無駄に長いし得るものもない文章ですが、お時間がある方はご覧ください。
2.高専入学まで
保育園から中学校までほぼ同じ顔ぶれが続くような小さい地域にある、公立中学校に通っていました。
正直、中学校生活のいい思い出はあまりないです。周りがどうこうじゃなくて、私自身が周りとうまく馴染めませんでした。
体育の「ペア作って〜」は相手がいないし、昼休みは図書館しか居場所がないし、書いていて今思い出した、体育祭で一緒にいる人がいないから運動場の隅っこで2時間くらい草むしってました。
他にも、(行く行かないはおいといて)体育祭とかの打ち上げは呼ばれた記憶がないし、卒業式はみんなが泣きながら先生や友達と写真を撮り合っている中、一人で即下校したような中学校三年間でした。
楽しかった思い出も少しはありますが、暗い思い出が大部分を占めています。
で、「高専の推薦が取れる」「推薦だと受験が早く終わる」「制服がかわいい」「知り合いが少ない高校に行きたい」ということで、高知高専に入学しました。
ほんとにそれだけ。リケジョになりたいとかそういうものは一切なかったです。
知り合いが少ないというのが一番大きかったかも。高専で人間関係をやり直そうと思っていました。
3.高専入学~3年生まで
さて、高専生になりました。
寮生ではなく、家から自転車で40分くらいかけて通っていました。保育園から中学校まで徒歩通学しかしたことがなく、自転車通学に強い憧れがあったので、めちゃくちゃ新鮮な気持ちだったことを覚えています。
入学してすぐ、友達ができました。
クラス(男子7:女子3くらい)の大多数が寮生だったので、昼休みになると昼食をとるために一斉に寮へ帰っちゃうんですよね。教室に残っていた数少ない女子2人と昼食を食べるようになり、なんかよくわからんけどノリもあい、すぐ仲良くなりました。
その2人をAちゃん、Bちゃんとします。
カラオケやマックに行ったり、一緒に分からん分からん言いながらテスト勉強したり、よくある高校生みたいな生活を送っていました。
まっっっっっっっっっじでほんとうに楽しかった。
一緒に昼ごはんを食べる友達がいる、休み時間に話し相手がいる、移動教室や体育で一緒にいれる友達がいる、放課後に遊びに行ける友達がいる。
ほんとうに楽しかった。
で、友達がいる喜びを知ってしまった私は、勉強というものを一切しなくなります。
人のせいにするわけではないですが、Aちゃんも私と似たようなタイプで、遊びにかまけて全然勉強しないタイプでした。Bちゃんは一緒に遊んでいても勉強するタイプで、卒業までずとクラス1~5位とかの上位にいました。
遊びを覚えてしまった一年生の最初の中間テストでは、クラス43人中40位を取りました。お母さんにめちゃくちゃ怒られました。それでも私は懲りず、Aちゃんと一緒に「60点取れればいい」→「留年しなかったらいい」→「再試で受かればいい」とどんどん堕落。Aちゃんは1年生にして6単位落とし、私は物理2単位落として2年生に進級しました。順位は2人とも40位あたりをうろうろしていました。
勉強の方は最底辺をうろついていましたが、AちゃんBちゃんと仲良いことは変わらず、他に仲良い子もでき、吹奏楽部でも新しい人間関係ができたり、とても充実して世界が広がった一年間でした。
2年生もそんな感じで、Aちゃんと私は相変わらず底辺をうろうろ、Bちゃんは真面目に勉強してクラス上位を維持、でも遊ぶ時はめちゃくちゃ遊んでいました。
で、(高知高専では)最高にしんどいとされる3年生になりました。専門科目が一気に増え、テストは15教科だか16教科だかになり、実験も始まり、高専生らしくなりました。
高知高専は、1年生と2年生は学科とかなく全員同じ内容を勉強し、3年生から専門コース(学科みたいな感じ)に分かれます。私は「Aちゃんが行く」という理由で、化学系のコースに進みました。ちなみに化学は嫌いでした。何しに高専きた??
Bちゃんは一番留年生が多い最難関の電気系に進みました。教え合いとかはできなくなりましたが、テスト週間は3人で苦しみながら勉強したし、いっぱい遊んだし、変わらず仲良かったです。3年生の夏までは。
3年生の夏休みに、台湾への修学旅行がありました。
コースごとに旅程が異なったためBちゃんはいませんでしたが、私とAちゃんは同じ部屋に泊まり、一緒に行動する…はずでした。
クソ長くなるので詳細は省きますが、修学旅行で揉めてしまい、Aちゃんと絶交(適切な表現かどうか自信ない)しました。毎日一緒にいて昼ごはん食べて勉強して遊んで、親に言えないようなこともしたり、親友とかそういう次元じゃない大事な存在だったAちゃんと離れてしまい、結構落ち込みました。ただ、Bちゃんとの仲はそのままだったので、Bちゃん+Bちゃんが仲良かった建築系の賢い子たちと仲良くなれました。
勉強の方は悲惨でした。Aちゃんについていきたいからと化学嫌いなのに化学系に進んだため全然勉強できませんでした。というか勉強してない。6単位落としたら留年のところ5単位落とし、担任から「クラスで取得単位数が一番少ない」とメールが来て、別の先生からは「ストレートで卒業するのは諦めた方がいい。もうあかんわ」と言われました。有機化学で23点取りました。そういや、テストで過去最低点の9点を取ったのもこの時期です。記号とマルバツ問題しか答えられないので2分くらいで適当に書いて、余った膨大な時間で、留年したときの人生設計を真剣に考えていました。
ちなみに、3年生で留年したら退学して高卒認定試験受けて大学受験するっていう結論に至った気がします
あと1単位落としたら留年、ところまで落ちましたが、ギリギリで4年生に進級できました。
この惨状を知っていた吹奏楽部の先輩(専攻科生)が、私の卒業式で手紙を送ってくれたんですが、「正直5年で卒業できるなんて思いませんでした」と書かれていました。私もそう思う。
4.直感で進学を決める
4年生に進級すると同時にコロナで休校、前期全てオンライン授業となりました。
私は「ヒャッハー学校休みー!!」としか思わず、ちまちま課題をしつつ、コロナ最初期に始めたスーパーのバイトをしつつ、同じく休校になった中学生の弟と飼っていたウサギと引きこもり生活を満喫していました。
そんな中、Googleクラスルームに担任からのとあるお知らせが投稿されました。
「就職希望の学生へ」
就職希望だったので、就活に関するお知らせかなと思いながら開きました。
要約すると「コロナで不況になるだろうし、この先社会がどうなるか全く分からない。就活は間違いなく厳しくなる。それを忘れずに就活してほしい」みたいなことがありました。
それを読んだ私は「こんなに成績が悪い自分を雇ってくれる会社なんかあるのか」「就職できないんじゃないか」ととてつもない不安に襲われました。その不安がいつしか「就職できそうにないから進学しよう」に変わりました。
…はい、ただのバカです。
留年さえしなければいいと全く勉強せず成績は下から5番目くらいをうろうろ、TOEICなんて受けたこともない、編入の仕組みも全く知らない、そもそも3年生で5単位落としてる、こんな状態で進学しようなんて思う人がどこにいるんでしょうか。私だけでしょう。
休校で時間だけはあったので、そこから編入について調べ始めました。
「高専 〇〇大学 編入」みたいなキーワードで目についたサイト全てに目を通し、ZENPEN(高専からの編入体験談が集められているサイト)は暗唱できるくらい読み倒しました。Yahoo!知恵袋もTwitterもいろんなキーワードで検索しまくりました。
その結果、推薦入試は不可能だから一般入試しか道はないこと、自分のようなひどい成績で編入した例が全くない(見つけられなかった)こと、がわかりました。
じゃあ一般入試でいけそうな大学を探そう、となり、片っ端から国公立大学の編入について調べました。編入をやっていない大学も多かったですし、一般入試でもTOEIC何点以上みたいな基準があったり(当時TOEIC受けたことすらない)、過去問を見ても何語?ドイツ語??みたいな感じだったり、門前払い状態でした。
なんやかんや一ヶ月くらいかけて大学を探しまくりましたが、私の頭で入れるどころか希望が持てるような学校もなく、「やっぱり無謀すぎるか」と諦めかけました。
豊橋技科大も長岡技科大も調べてはいましたが、なぜかこの時は行きたいと全く思わず、ふ〜ん程度でしかありませんでした。
そんな諦めかけていた4年生の夏、高専で豊橋技科大の説明会が開催されました。なんで参加したか覚えていませんが、たぶん何も考えずになんとな〜くで参加したような気がします。
その説明会で、なぜか技科大に猛烈に惹かれました。
「どういう意味?????」となると思いますが、私も正直うまく説明できません。何が良かったとかそういうのではなく、本当に猛烈に「ここに行きたい」と、ひたすら心の底から思いました。後にも先にもこんなことは多分ないと思います。とにかく技科大に行きたくて仕方がないというか、「自分は豊橋技科大に行くべき」と思いました。
説明会終了後、すぐに帰宅して編入について調べると、「高専生が編入するための大学」「(4系は)学力入試で専門科目がない」「難易度が低い」「(高知と比べて)都会に行ける」「吹奏楽団がある」、そして「今から死ぬ気で勉強すればいけるかもしれないという謎の自信」、非の打ち所がない素晴らしい大学に見えました。で、豊橋技科大の学力入試を受けると決めて勉強することにしました。
3年生で5単位落としており、かつTOEIC 0点の4年生の夏でした。
はい、これがアドカレの本題です。
今書いてみても結構めちゃくちゃなのですが「豊橋技科大に行くべきだと思った」これ以上もこれ以下でもないです。本当にそれだけ。適切な言葉がみつかりませんが、あえていうならば「直感」でしょうか。説明会で感じた直感だけで進路を決めました。
私が技科大進学を決めた、大袈裟に言えば人生を変えたこの説明会、話していたのが今の指導教員だったらしいです。「4年前くらいに高知高専で説明会したことあるよ〜え、あの時いたの!?」みたいな感じで最近知りました。その説明会で進学を決めたことを話すと、喜んでくれました。
すごい偶然もあるもんですね。
「そんな状態からどうやって合格したん?」って思う方がいるかもしれませんので簡潔に書きますが、とにかく勉強しました。
技科大の学力入試は、国語、英語、数学、面接でした。私のような底辺高専生の編入体験談なんてなかったので、参考文献も何もなく全てを1から勉強しました。
数学は微分から、英語はTOEIC対策をすれば良いとみたので金フレから、というか形容詞とか助動詞とか日本語の意味から勉強しました。
親の顔より見た編入数学徹底研究、何百周したかわからない金フレと銀フレとでる1000、国語対策に学校で借りてきたちびまる子ちゃんのことわざ辞典とかで、
毎日8~10時間くらいは勉強していたと思います。4年生の春休み終わりくらいに、初めて技科大の過去問が1問解けた時は本当に嬉しかったです。…遅すぎ。
受験勉強のことだけでアドカレ一本が書けてしまうのでこれ以上は省略しますが、独学でひたすら頑張りました。
かなり話が戻りますが、登校が再開された4年生の後期からは、Bちゃん+建築系の賢い子たちといることが多くなり、自然と私も勉強するようになりました。そのうちの1人は専攻科の学力入試を受けるため、一緒に勉強したりTOEIC受けに行ったりしました。私の成績が壊滅的否ことはみんな知ってる(自分で話してる)のに、突然勉強するようになった私をバカにしたりせず応援してくれたのはすごくありがたっかったです。
5年生になってから、技科大が本命、併願が徳島大学と東京都立大学(当時:首都大学東京)と弘前大学に、全滅したら後期専攻科or就職と決めました。また、併願校といった受験の計画はもちろん、受験料や合格後にかかる費用なども含め、パワポ10枚くらい作って親にプレゼンしました。技科大に行きたい理由が「直感」という意味不明なプレゼンでしたが、受験がダメなら就職することを条件に、頑張って勉強してと言ってもらいました。本当に親に感謝です。
結論から言うと、徳島大と技科大に合格し、都立大は不合格、弘前大は受験しませんでした。
そして、技科大に進学して今に至ります。
5.直感は信じても良い
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ダラダラといろんなことを書きましたが、私が一番言いたいことは、「自分の直感は信じても良い」ということです。
技科大3年目も終わろうとしていますが、技科大に来て後悔した日は一日もありません。これまでいろんなことがあったしこれからもあるでしょう。ですが、技科大を選んで良かったとしか思えません。
進学なんて考えられないような成績だった私が、直感を信じて行動した結果が今です。
あと、このアドカレを書く上でいろんなことを思い出したのですが、人生で起きた出来事は全て今に繋がってるんだなと思いました。
中学生活がうまくいかなかったからやり直そうと思って高専に入学し、低学年で遊びまわって成績が悪かったからこそ「成績悪すぎて就職できないかも」という気持ちになって進学を決めた。語彙力がなくてうまく説明できず申し訳ないですが、悪い意味じゃなくて、「成績が悪かった低学年があったからこそ今の技科大という進路を選ぶことができた」って言いたいです。あんまり変わってないですねごめんなさい。技科大を悪く言いたいわけじゃないです。
あと、離れてしまったAちゃんですが、遊んだり話したりだけでなく、人生初のスタバについてきてもらったり、誕生日が同じだったから「18歳の誕生日は一緒にツタヤの18禁コーナに入ろう!」とかバカみたいな約束したり、いろんなことを教えてくれて経験させてくれて、私の世界を広げてくれました。インスタもAちゃんに教えてもらって始めました。揉めたのは事実ですが、私と同じく5年で卒業して就職したらしいので、元気にしていてほしいなと思います。
(ちなみに18歳の誕生日の直前に揉めたので、18禁コーナーデビューは実現しませんでした)
直感を信じたことは他にもあります。このアドカレはもちろん、高専の自由研究のような卒論(笑)を書いたり、先生にバチボコに詰められて泣きながら卒研発表のスライドを作ったり、あまりのストレスで蕁麻疹を出しながら卒論を書いたりした今のMac Book Airを買ったのも、直感でした。
技科大合格後のある日、なんとなくAppleのサイトを眺めていたら「絶対にMacがほしい」と猛烈に思い始め、(当時)時給850円くらいの時給で貯めた10万円で買いました。
今までWindowsを使っていたし周りにMacを使っている人ほぼいなかったし、パソコンに詳しいわけでも全くないのになぜ欲しくなったか謎ですが、直感を信じて買って良かったです。今も元気に頑張ってくれています。
これから、就職という選択が待っています。その後も(するしないは置いといて)結婚とか出産とか転勤とか大きな選択がたくさんあるでしょう。
迷ったときは、自分の直感に従って行動したいと思います。
今の自分を作ってくれた直感なら、信じても良いと思うので。
ここまで長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。