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怪我で苦しむ人に伝えたい



【18歳】 左膝前十字靭帯断裂、左膝内側側副靭帯断裂、内側半月板断裂、外側半月板断裂

【21歳】 左膝前十字靭帯再断裂、左膝外側側副靭帯断裂、骨挫傷

【23歳】 左膝前十字靭帯再々断裂、内側半月板断裂、外側側副靭帯損傷


僕は、サッカーが大好きです。                    

物心ついた時から、いつもサッカーが隣にいて、サッカーをしてる時は、嫌なことを一瞬だけ忘れられるんです。


僕は、18年間ボールを蹴り続けてきましたが、18歳から5年間で6度の手術を経験しました。

原因は膝の怪我です。

繰り返しメスを入れた膝の中は、もうぐちゃぐちゃ。傷も痛々しい。


<1度目の断裂 18歳>

ドリブル最中、左足のアウトサイドで切り替えそうとした時に、相手の足が膝の外側から衝突し、膝が内側に向き、「ゴリッ」という音と共に断裂。

<2度目の断裂 22歳>

DFに行った際に、相手についていこうと方向転換した瞬間に再断裂。

<3度目の断裂 24歳>

パスをしようとした際に、目線で外しながら逆にパスをしたら、軸足の足が捻じれ再々断裂。



初めて前十字靭帯を断裂して7年。膝の事を考えなかった日は1日もありません。 

         

怪我をしてから、無意識に膝を触るのが習慣になりました。

朝起きる時、トイレに行った時、友達とご飯に行った時、ふとした時に触ってしまいます。

「俺の膝は緩くない!がっちりしててくれ!」って思いながら触ります。


でも緩いんです。


触ったって変わらないのに、がっちりした膝だって安心したかったんだろうな。と今は思います。


2度目の断裂をした時、1週間前に、母校で保健体育の先生の臨時任用が決まっていました。

保健体育の臨時任用は、本当に枠が狭くて、先生を目指してる人にとっては喉から手が出る程欲しい契約です。(バカだから教員採用試験には落ちました)

当時は、本気で先生を目指していて、小学校の卒業アルバムの将来の夢の欄には、

「体育の先生」

って書くぐらいなりたかった職業です。

小学生ながら、辛い環境で生きてる子供達を救いたかったんです。

臨任の契約が決まって本当に嬉しかった。

しかし、ここで問題があって、膝の手術をする際に入院をしなきゃいけない。

その後のリハビリは本当に大変で、先生をしながらなんてとてもじゃないけど、

100%リハビリに集中出来ない。

通院する病院は東京。

自分の中で答えは決まっていて、入学式の2週間前に契約を断わりました。

仕事なんて、教員になると決めていたから考えてなかったし、ほんとに明日からどうしよう。

みたいな。(笑)  

しかし、ここで中学校の時の恩師が、治療をしながらでも勤務可能な学校を探して連絡をくれました。

その後、その職場で3年間勤務。

これが無ければ、今の自分は無いなと思うくらい感謝しています。          



3度目の断裂の時、膝の名医がいる「東京医科歯科大学病院」を日本体育大学から紹介を受け、手術をしました。

手術は、複合断裂の為、手術時間が長く、術後の痛みは寝れないくらい痛かったです。(笑)


膝はパンパン。(笑)


しかし、悲観的な気持ちにはならず、手術を終えた時、がっちりした膝を見て、人生で一番喜びました。

夜は嬉しくて、涙が枯れるぐらい泣いた。  勿論、手術を終えた嬉しさもあります。


自分の中で、本当に一番嬉しかったのは、


「膝になった」からです。


何言ってんの?って思うかもしれないけれど、今までの術後は、靭帯が緩く、自分で膝を捻ったら切れる感覚がずっとありました。

いつ切れても仕方ないと覚悟するぐらい緩かったのを覚えています。

それもそのはず。                  

今回の手術で、過去の手術は、本来のルートに靭帯が再建されていないことが分かりました。      

つまり、本来あるべき場所に靭帯が再建されていませんでした。

その事実を知った時、あれだけ痛い思いをして手術をして、ジムに毎日通って、サッカーをただ見る事しか出来なかったあの時間は何なんだ!

もしかしたら、再断裂は無かったんじゃないか?

と思いました。

どこにも行き場のない悔しさがあります 。膝の傷も、採取した腱も元には戻らない。    

しかし、後悔はありませんでした。

怪我をして、自分の体の癖や特徴を知ることが出来ました。綿密なケアを覚えました。身体も強くなりました。

何よりも良かったのは、怪我をしなければ出会うことが出来なかった沢山の人達に出会うことが出来ました。

決してマイナスな事ばかりじゃありません。


膝の事を考えすぎて疲れた時には、海外に旅に出ました。

首長族。


ヒッチハイクで日本一周もしました。(胃腸炎で九州で断念) (笑)

最高の家族。


3歳からの親友。

たくみは面白い。(笑)


今治で出会った最高の仲間。


他にも多くの方に出会い、計りしれない程にお世話になりました。


東南アジアでは、ご飯を食べたくても食べれない。やりたいことが出来ない。生きたくても生きれない。

そんな人達を見てきて…


「俺、膝は壊れてるけど、足ついてるじゃん?」

「まだ治る可能性だってあるじゃん?」    


旅をしなければ会う事の出来ない沢山の人達に出会い、考えさせられました。


「自分で限界作ってる。」

「このままじゃ、俺、死ぬ時後悔する。」って。


日本では、多くの方にパワーを頂きました。

1人旅って、自分自身と向き合う時間が凄い多いんです。

「おい俺!お前は何がしてーんだ!」って。

いつも自分に問いかけていました。その時、いつもこう思ってました。


「サッカーしてえな。」って。


「俺って本当にサッカーが好きなんだ。」と改めて自覚しました。 


今、自分の膝はがっちりしてます。

しかし、最近「膝蓋腱炎」という怪我になりました。いつ治るかなんて分からない、難治性の怪我です。

また膝に悩まされる。                   でも、俺は諦めません。


何故なら、25歳にして新しい夢が出来たから。

それは…


「ドイツでピッチに立つ。」


膝を治して、必ずピッチに立つ。           

フィールドプレーヤーが無理なら、ゴールキーパーで!

膝の治療含めて、30歳までに体をピークに持っていきます。  

本当に膝が無理なら、監督で。


僕がここまでサッカーに執着するには理由は、2つあります。


1つ目は、もちろんサッカーが好きな事。

2つ目は、妹の存在です。僕には弟と妹がいます。


6年前の妹との写真です。

妹は、女子サッカーで日本一の高校でサッカーをやっています。                                         

高校1年生で、早くも10番です。

試合に見に行くと、ムカつくぐらい毎試合点を決める。日本選抜として出場した国際大会では、大会MVP、得点王。


きっと妹は日本代表になる。


俺がこのまま怪我でサッカーを諦めたら、すげーカッコ悪い。まだ高みを目指せるのに。

よく、怪我でやめたんだよー。っていう人はいるけど、本当に怪我でやめざるを得なかった人は、軽々しくそんなこと言わない。

怪我を言い訳にしてサッカーを辞めたみたいになるのは嫌だ。

俺は、妹より前に出てデカい背中を見せてやりたい。

いつまでもカッコいい兄貴でいたい。兄貴として出来るのはこれくらいしかないから。


だから、必ず膝を治して海外に出ます。

周りから見たらバカな奴です。サッカーも下手くそです。7年間も指導者として活動してれば、自分のレベルくらいは分かる。

でも、やってみなきゃ分からない。何よりも自分が納得いっていない。


「自分が納得いくまで挑戦したい。」

自分の可能性を信じて。


怪我を経験してるから思うんだけど、努力は報われない事が多い。

けど、諦めなければいつか何か良いことがある!諦めずに努力すれば、成功はしないかもしれないけど、成長はする。成功を求めず成長を求める事が大切だと僕は思います。


この怪我で、沢山の人に助けられました。本当に感謝しかありません。これからも、驕る事なく人を大切に。

挑戦し続けます。

これを読んで、少しでも前向きになってくれたら嬉しいです。

お互いに、頑張りすぎず、頑張ろう。

鈴木 大地

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