辻井喬/堤清二、に関する引用文Ⅰ
ニューアカブームを牽引したリブロ
「儲けなくてもいい。話題の発信だ」
書籍部門に対して堤は、当初からこう指示していたと菊池は振り返る。
目先の利益のためでなく、世の中に何が発信できるのか―。素人書店ながらも、情報発信に力を集中した結果、1980年代、リブロは書店業界の常識を覆す独自の売り場づくりで、一目置かれる存在になった。
1980年代といえば、大学生の間でフランス現代思想などのニューアカデミズムがブームになった時代だ。既存の分類にとらわれない独自の本の並べ方が評判を集め、リブロの池袋本店は"ニューアカの聖地"と呼ばれるようになっていた。
それまでは難解で縁遠い存在と思われていた哲学や思想が、一般の人にも手が届くようなイメージをまとって流行するという特異な現象が起こっていた。
ここでもリブロは、作家などを招くイベントや独自の切り口のブックフェアを展開。
浅田彰や中沢新一といった学者が1980年代の「知のスター」のような存在になるうえで、リブロが果たした役割は大きい。
西武百貨店によって、欧州の高級ブランドは一般消費者の身近な存在になった。同じように、リブロによって象牙の塔の中にあった知は民主化された。
リブロが牽引したニューアカブームでは「知がファッションになった」と言われたほどだ。
当時、文化性と知的なイメージを重視していたセゾングループの戦略の中でも、リブロは大きな役割を果たした。1985年、リブロは西武百貨店から分社化して独立。その後は百貨店内だけでなく、西友やセゾングループ以外にも出店先を広げ、書店チェーンとして成長していった。(鈴木哲也『セゾン 堤清二が見た未来』日経ビジネス人文庫、2024._p.195-197)