辻井喬/堤清二、に関する引用文Ⅱ
社会的昂揚感・上昇気運の消滅―第二の理由
文化芸術の衰退感の第二の条件は、社会的な昂揚感、上昇気運の消滅によってもたらされているように思われる。別の著作で私は二十世紀とはあらゆるタイプのユートピアが消滅した世紀であると主張した。わが国の場合は五十五年ほど前に大東亜共栄圏という構想の崩壊があった。それは帝国主義的意図を観念形態で覆い隠したものであったけれども、当時多くの日本人はその本質を見抜くことができず、低水準のナショナリズムに捕えられていた。しかし、その後で私たちの前に示されたアメリカン・デモクラシーを精神的支柱としたドリームも、社会主義的平等の理想も、その実態が明らかになるにつれて色褪せていった。その認識の変化を促進したのは皮肉にもわが国の経済の高度成長であった。自らが"豊か"になったことでドリームの虚構性が見えてきたと言ってもいいだろう。その過程で村落共同体から職場共同体へ、そして企業共同体へと姿を変えた日本的共同体も崩壊し、家族も仮の枠組でしかなくなった。明るく豊かで平和な社会とは何だったのか、それは所得倍増によって実現されるはずであったけれども、現れたのは消費社会と呼ばれる、浪費と猥雑な規範のない"自由"社会であった。
私はこうした社会の出現を時おり東京の渋谷を歩くたびにに再確認させられるのだった。(略)
変化がはじまったのは一九六八年に新しい百貨店が開店し、その五年後に専門店の集合商業施設パルコが開業してからであった。七〇年代に入って坂上にNHKの巨大なセンターが業務を開始したことが、いくつかの商業施設の集中とあいまって渋谷村を東京でも最も先端的なファッショナブルな消費センターに変貌させたのであった。
その時代から以後、時おり渋谷を訪れると街は少しずつ、しかし確実に自由で猥雑でそして汚くなっていった。それは紙屑や通行人が喰べ散らかしたものが歩道を汚しているということばかりではなかった。集まっている若者たちの印象に若さや活々した表情が見られないところから来る猥雑さでもあった。
さらに言えば、茶髪もやまんばルックも昔の花魁のようにそろそろとしか歩けない厚底靴が猥雑さの主役なのではなかった。彼ら若者たちの眼の輝きの喪失が主役なのであった。それはどんより濁って、あらゆる生気からも隔絶していた。妙な喩えだが、彼らを見る時に感じるのは外国で有名ブランドの満艦飾のような恰好をした日本からの中年のツアー集団に遭遇した時の居心地の悪さとひどく共通している猥雑さなのであった。そしてその居心地の悪さは、鏡で自分の顔を映し出した時の落着かない感じでもあった。(辻井喬『伝統の創造力』岩波新書、2001._P.55-57)