
45歳妊婦が切迫流産になった話
9月のとある金曜のこと。
尿意を催してトイレに行ったらパンツに真っ赤な鮮血が…
「え?え?なんで?血?」
驚きよりも尿意が上回っていたので、とりあえず用を足す。
すると膣の奥からスルッと塊が出てくるのを感じた。
便器を見ると真っ赤な血の海。
股からはポタポタと赤い血が滴り落ちている。
「え!!なに!!赤ちゃん出ちゃった??」
私は咄嗟に便器に手を突っ込み、塊と思われるものをすくい上げた。
5cm大のレバーのような塊。なんだか臍の緒のようなものもついている。
「これって…胎盤!?!?」
一気に全身の血の気が引くのを感じる。
どうしよう、胎盤がなかったら赤ちゃんに栄養も酸素も送れへんやん!
とりあえず胎盤のかけららしきものをティッシュに包んでビニール袋に入れた。そして手をしっかり洗って、かかりつけの病院に電話をかけた。
時間外だったけれどすぐに診てもらえることになった。けれど1人で運転するのは危険だから、誰かに乗せてきてもらうようにと言われた。
私は泣きながらパートナーに電話をした。たまたま仕事が午前中だけの日だったので、運良く車を出してもらえることになった。
彼は迎えに来るなり、私を抱きしめて「ごめん、ほんまにごめん」と謝った。出血したのは彼のせいではないから「謝らなくていいよ、私が無理しすぎてん」と言うも、彼は自分が手伝うことで私に無理をさせないようにしたかったようだ。
一時期は自分には親になる覚悟がないから堕したほうが良いんじゃないか、とまで言っていた人の行動だとは思えない。少しずつ親になる実感が湧いてきたのかな、と思う。
病院まで急ぐ気持ちがあったのだろう、彼はなかなかに飛ばしていたのたが、車が揺れたりカーブするたびに私は腹筋に力を入れてしまいしんどくなるので、何度も「ゆっくり行って」とお願いした。
我が家の近くに産婦人科は全くないので、三女の出産でお世話になった病院にかかることにしたのだが、どれだけ飛ばしても1時間はかかる。ヘアピンカーブの続く峠を越えると、小さな集落に出て、やがて大きな町に出る。知っている道中だが、いつもより長く感じる。
時折お腹がチクチクと痛むようになってきた。赤ちゃんが苦しんでいるのだと思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。ごめんね、大丈夫だからね、と心の中でまた呼びかけながらお腹をさする。
かつてない夏の暑さもピークを越えたこと。
つわりがおさまったこと。
安定期に入ったこと。
これらの条件が揃ったことで、私はいつも以上に動いてしまった自覚がある。夏の間に放置していた家の周りの雑草が気になり、刈払機を振り回して草刈りをした。夜中まで立ち仕事をしていたり、長時間の会議に出たりもした。妊婦じゃなかったとしても、ぐったり疲れるようなことをしてしまっていたのだ。
ごめんね
ごめんね
ごめんね………
45歳の体に奇跡的にやってきてくれたというのに、なんで無理をしてしまったんだろう。最近出産した友人や、現在妊婦の友人の顔が次々に浮かんでくる。彼女たちと一緒に子育てできることを喜びあったばかりなのに、もうそれも叶わないの?と思うと、悲しくて悔しくて情けなくて涙がどんどん溢れてきた。
信号待ちの合間に彼が手を握ってくれた。その暖かさと力強さに、しっかりしないと、と喝を入れられた。赤ちゃんを守れるのは私だけなんだから。
病院に着くとすぐに診察室に入れてもらえた。外来の診察はとうに終わっているというのに、総合病院の中にはまだ大勢の患者さんと大勢の医療関係者がいた。ハイリスクな高齢妊婦としては、やはりここを選んで良かったと思った。
問診もそこそこに内診室に入る。
子宮頸管は約4.5cmほど。そこまで下がっているわけではないとのこと。出血も今は止まっているようだった。経腟エコーで見てもらうと、赤ちゃんはしっかりと心臓を動かしてくれていた。良かった…生きてた…
内診台から降りる時、付き添いのベテラン看護師さんが「ちょっと深呼吸しましょうか」と言ってくれた。
「はい吸って〜吐いて〜」
スゥーーー
ハァーーー
スゥーーー
ハァーーー
「さっきとても呼吸が浅かったから。怖かったでしょう、びっくりしたよね。赤ちゃん大丈夫ですからね」
そう優しい声をかけてくださって、ホッとしてまた涙が出た。
経腹エコーでも赤ちゃんは元気な姿を見せてくれた。顔の前で腕を動かしたり、足を上げ下げしたり。この子の生命力はとんでもない。わずか150gほどの小さな命で、こんなにも生きようとしている。子宮の外で生きていくための力を得ようとしている。
何がなんでもこの子を守りたい。
臍の緒を通じて胎盤から十分な酸素と栄養を送りたい。安心な子宮の環境を整えたい。
そのために無理をせず、動きすぎないことを心に誓った。
そのまま切迫流産で入院となった私は、部屋を出てすぐの自販機でジュースを買うにも車椅子に乗せられるというお姫様待遇で安静を強いられることになった。仕事もしばらく休むことに決めた。
命より大事な仕事なんてないからな。
45歳、猛反省。こんなことでもなかったらきっと今でも動きまくっていただろう。「動くな」という赤ちゃんからのメッセージだったんだと思う。同じ過ちを繰り返さないために、戒めとして記録を残しておきます。