
45歳高齢妊婦が1週間分娩室に住んだ末に帝王切開した話
出産記録としてメモしていた無駄に長いお産レポートをこのたびnoteに上げることにしました。
我が子を含め、誰かのお産の役に立てればと思い、伝えたいことやリアルタイムな状況を事細かに書いています。長文となりましたが、よろしければお付き合いください。
【1】計画分娩を決めるまで
45歳にして奇跡的に授かった4人目の子。出産を迎えるまで、不安がないわけではなかった。14年前の出産の時と比べると明らかに体力は衰えている。そんななかでも無事に迎えられた臨月。今度は別の心配事が浮上した。
現在私が住んでいるのは京都の山間地域。鉄道空白地帯かつ過疎が深刻ないわゆる「ど田舎」だ。近隣に分娩可能な医療機関はない。
昭和初期くらいまでは産婆さんが各地におられて、自宅出産するのが主流だったようだが、半世紀ほど前からは車で数時間離れた病院で産むように変わってきたそうだ。
病院が遠いのはまだいい。
積雪の心配がある真冬に予定日を迎えることが大きな気がかりだった。
今回のお産では、三女の出産でもお世話になった日本バプテスト病院にお世話になることにした。自宅から峠を越えて約70分と、割とスムーズに通院することができる。
だが積雪があると峠は通行が危険なので、パートナーに迎えにきてもらってから遠回りして行くことになり、所要時間は2時間ほどかかる。すると、自宅で陣痛発来を待ってから病院に向かう途中の車内で出てきてしまう恐れもある。(墜落分娩というそうだ)
さらに予定日の翌日、2/16(日)は京都マラソンの日。市内の主要道路で通行規制が行われ、うちからはどのルートを通っても市内の中心部に辿り着くことは困難だ。もしこんな日に陣痛が来たとしら…!?
これらの不安を解消するため、検診で先生と話し合い、早めに入院して計画分娩することにした。
日程としては、2/11(火)に入院して、子宮口を広げるバルーンを入れ、2/12(水)に促進剤を使って出産するというスケジュールだ。
ふむふむ、2/12(水)が出産日なので、退院は2/17(火)頃になるな。それに合わせて家族の予定も整理して、ご飯の作り置きなどもして準備ができそうだ。計画分娩は計画的で良いものだなと、思っていた。
【2】まさかのコロナ感染
ところが何と、2/4(火)の夜から発熱。頭はフラフラ、関節も痛く、倦怠感がひどい。もしやインフルエンザでは…と思い、翌日近所の病院で検査をしてもらうと、なんと
コロナ陽性!!!!
まさかこんなタイミングで…
検診帰りに買い物した時にもらってしまったのかな…
発熱、咳、頭痛、鼻水、喉の痛みなどに悩まされること数日。臨月の妊婦なので、元々体調が良い時でさえ頻尿なのと寝る体勢が整わず 、まとめて眠れることはない。体調を崩すとなおさら眠れないのだ。
しかもその週末には10年に一度と言われる大寒波が襲来。自宅周辺には30cmほど雪が積もり、築200年の古民家は冷蔵庫よりも冷えた。悪寒が酷く、体調はより悪化。本当にしんどかった。
《妊婦がコロナ感染中に対応できたことリスト》
◾️病院にて
妊婦でも飲める薬を処方してもらう
・咳止め→アストミン、メジコン
・解熱剤、痛み止め→カロナール
◾️咳対策
・玉ねぎを切って枕元に置く
・アルミホイルを中指に巻く
・介護用のオムツ(挟んで使うパッドタイプ)→咳をするたびにジョロジョロ出る尿もれ対策として
◾️食べもの
・カロリーメイトドリンクタイプ
・ゼリー飲料
・お茶漬け
・うどん
・昔ながらの製法の梅干し
・ビックスの「甘くないのど飴」→甘くないわけではなく、甘さが控えめという程度。メントールの清涼感もあってライム味もすっきり。
◾️飲み物
ノンカフェインで温かい水分をたくさん摂って、老廃物を流すよう意識。夜中でもすぐに喉を温められるよう、保温ポットに作り置きしておくのが便利。
・ルイボスティー
・マルベリーリーフティー→鉄分補給にも効果的。
・番茶→梅エキスと醤油と生姜を足して、「梅醤番茶」にして飲む。
【その他】
・小林製薬「のどぬーるスプレーナイテクト」→妊婦でも使える成分使用、喉の痛みを即座に緩和してくれる。
・UNIQLO「エアリズムマスク」→不織布マスクは息苦しくなるので、こちらを愛用。現在廃盤のようだが、メルカリなどで未使用品が手に入る。マスクの着け心地は大事!
【3】いよいよ入院!
薬にもお世話になり、少し症状が落ち着いてきた週明け。入院予定の病院に電話をして事情を説明すると、やはりコロナ感染後は1週間以上空けたほうが良いということだった。
そのため当初より2日予定を遅らせ、2/13(木)に入院、2/14(金)に促進剤を使うというスケジュールに変更となった。
しばらく家を留守にするので、子どもたちの食事の負担ができるだけ軽くなるようにと色々作り置きしたり、生協の宅配で注文したり、ネットで買い物などを済ませた。
《入院中の家族の食事用に準備したものリスト》
・大鍋にたっぷりのカレー、豚汁
・ご飯のお供にそぼろ、なめたけ
・無添加の冷凍食品色々(ハンバーグ、餃子、鶏のたたきなど)
・レトルトのにゅうめん
・無添加パスタソース
・朝食用にパン屋さんの食パンや惣菜パンを買い置き
・無添加のふりかけや鮭フレーク
・生協の冷凍食品(お弁当に便利な国産野菜の惣菜などあり)
【4】2/13(木)〜入院1日目〜
「お母さん今日から入院やし。明日産んで来週くらいに戻ってくるからね〜」と、子どもたちを学校に送り出し、ゆっくり準備をして、お昼前に病院に向かう。
本当はたくさん散歩をしたり、ヨガをしたり、四つん這いで拭き掃除をしたり…お産に向けて良いとされることをして過ごしたかったのだけれど仕方がない。
自然な陣痛を待ってのお産ではないけれど、促進剤は次女の出産の時も使って安産だったし、だいたいのイメージはできていた。妊婦の大きなお腹とも明日でお別れか?と思うとちょっと名残惜しいけど、明日には赤ちゃんに会える!とワクワクした気持ちでいっぱいだった。
外来で診察してもらった後、病室に入り、入院手続きを済ませる。書類を書いたり、着替えたり、荷物を整えたり。夜には点滴を入れるためのルートを左腕に確保し、診察室で子宮口を広げるバルーンを入れてもらって準備万端。バルーンが痛いという人もいるらしいが、私は全く痛みを感じなかった。
少しでも体力を温存しておこうと、消灯時間の9時には就寝。夜中何度か目が覚めたが、それでも病院は暖かくて、自宅より遥かにゆっくり休むことができた。
【5】2/14(金)〜入院2日目〜
朝6:00から分娩室に移動。胎児心拍モニターをつけたり内診してもらったりした後、8:00からいよいよ促進剤投与が始まった。
陣痛を起こすホルモン(オキシトシン)の量を少量から投与し始め、30分ごとに徐々に量を増やしていくらしい。
8:30 変化なし
9:00 変化なし
9:30 変化なし
10:00 変化なし
10:30 変化なし
11:00 軽い生理痛のような痛みがあるかな?
11:30 生理痛らしき痛みはあるけどまだ余裕。
12:00 あぐらで座りながら昼食を採る。まだまだ余裕。
12:30 薬剤の量が最大となる。
13:00 1本目(500ml)の点滴が終了、2本目の点滴に入る。少し痛みが増して来た。
胎児の心音とお腹の張りを見るモニターをつけられ、点滴と繋がれている身。自由な体勢が取れないため、分娩台の上で横になって、お腹の張りと痛みを静かに受け止めていた。
徐々に痛みが増して来た。軽めの生理痛から、重い生理痛、そして生理痛どころではないお腹の痛みが波のようにやってくる。
「あー陣痛ってこんなんやったな。でも、まだまだ序の口やな」と、上の子たちのお産のことを思い出す。腰もだんだん痛くなってきた。
2分間隔で来る痛みを、フーッと息を吐いてやり過ごす。
まだまだこんなもんじゃなかったよな…
もっと強い痛みが来るはず…
しかし強烈な痛みを迎えることなく、17:00過ぎに2本目の点滴が終わった。1日に投与できる量が決まっているため、3本目のおかわりはなし。点滴が外されると、嘘のように陣痛もどきの痛みは去っていった。薬で人工的に子宮を収縮させていただけだったんだな。
薬が効く人だと本格的な陣痛に繋がるのだが、私には効かなかったということだ。促進剤の投与を終えてから医師と助産師に診察をしてもらったところ、子宮口は4cmのまま。赤ちゃんの頭もまだ降りてきていないということだった。
「また明日仕切り直して、違うお薬を試してみましょう」
そうか…明日か…
2/15が本来の予定日だしな。明日こそは赤ちゃんに会えるだろう!そう希望を抱いて、その日は早めに眠りについた。
【6】2/15(土)〜入院3日目〜
本来の予定日である。
昨日とは違うプロスタグランジンという別の促進剤を使うことになった。この薬には子宮口を柔らかくする効果もあるらしい。
そしてほぼ前日と同じ流れで点滴の投与が始まる。
頼むで……!!
ところが。
お昼過ぎから痛みを感じるようになったものの、本格的な陣痛には繋がらず、夕方には点滴2パックが終了。うそ…また効かなかったの……
「また明日、今度は飲み薬を使いましょう」ということになった。
子宮の筋肉を収縮させ続けて、体はかなり疲れている。しかし、飲み薬に期待を込めて、明日こそは会えると信じて夜を過ごした。
【7】2/16(日)〜入院4日目〜
京都マラソンの日である。市内の主要道路は混乱していることだろう。こんな日に陣痛が来ていざ病院へ!と思ってもきっと辿り着けなかっただろうから、今入院できていて良かったと思う。
3度目の陣痛促進剤は、プロスタグランジンの錠剤を服用するタイプのものだ。1時間に1錠ずつ、最大6錠まで飲めるらしい。これは次女の出産の時にも使った薬だったので、とても期待をしていた。次女の時は4錠飲んだあたりで痛みが強くなって、そのままお産に繋がったので、きっと今回もそんなパターンでお産を迎えられるだろうと考えていた。
しかし、4錠目を飲んでも痛みは来なかった。
昼食後、5錠目を飲んだあたりから少しずつ痛みが増してきたものの、まだ余裕で耐えられる。
最後の6錠目を飲んでから、ようやく規則的な痛みが発来し、息を吐きながらひたすら耐える。
私もマラソンをしているような、まさにランナーズハイ状態だった。どうかこのままお産になりますように…と、願いを込めて、練習していた呼吸で痛みを逃していた。
しかし6錠目を飲み終えて1時間
後、今度は痛みがどんどん遠のいていってしまった。薬の効果がなくなったのだ。
え…
もう終わり…?
また今日も産まれないの…?
今日こそは、今日こそはと3日間頑張ってきたけれど、さすがに心が折れてしまい、パートナーの前でボロボロと涙を流してしまった。
仕事も休んで毎日病院に来てくれてるというのに。今日も赤ちゃんに会わせてあげられなくてごめん…と自分が情けなくなった。
「今日のところはしっかり体休めてもらって、また明日の朝の診察で、どんな方針で行くか考えましょうか」
と助産師さん。
でも私には頑張る気力がなかっ
た。明日必ず産まれる保証などどこにもない。終わりの見えない計画分娩をいつまで続けたら良いかも分からない。山も空も見えない病院の中で4日間、やれるだけのことはやった。
通行止めを心配していた京都マラソンも終わったことだし、あとは自然に陣痛が来るのを待つ方が良い気がする。
上の子たちはみんな予定日から遅れて出てきた。きっとこの子もそういうタイプなんだろう。赤ちゃんの気が済むまでお腹の中にいさせてあげて、出てきたいタイミングで産んであげたい。私も体調をしっかり整えて、子宮口を広げて、赤ちゃんの頭も骨盤まで降ろしてあげて、万全の準備をしてからお産に臨みたい。心はもう決まった。
「安西先生…お家に帰りたいです…」
三井寿ばりに私は助産師さんに懇願した。(※安西先生はおりません)
日曜日だったので、当直には別の病院から来られていたそうなのだが、助産師さんはわざわざ担当の先生に電話で連絡を取り合ってくださって、一旦退院させてもらうことになった。
「4日間お世話になりました。また近々帰ってきますので、その時はよろしくお願いします」
お世話になった助産師さんたちに挨拶をして、スッキリとした面持ちで病院を後にする。
4日ぶりの外の世界。
山が見える、空が見える、人の営みが見える。ああ、夕陽がとっても綺麗だな。生きている実感がする。
自宅に着くと周辺には雪がまだ残っていてとても寒かったけれど、やはり自由に動ける空間というのはホッとする。明日からはしばらくゆっくりしよう。まずはしっかり体を休め、そして四日間の入院生活で溜まった洗濯物をしたり、洗い物を片付けたり、また料理の作り置きをして、次の入院の準備をしよう。自然な陣痛が来るよう、散歩したり軽い運動をするのもいいな。
…なんてことを考えながら眠りについた。
【8】2/17(月)〜入院5日目〜
自宅で迎えた朝。子どもたちを起こして朝食やお弁当を用意しなければ、起き上がった朝7時。
ジョワ……
足の付け根になんだか生暖かいものを感じた。
これは…
破水だ!!!!!
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?