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1日だけワンオペ育児復帰
妻が平日昼から飲みに行く間、2児を見るので休みを取る。
まず、3歳児の幼稚園の送りだ。
「ママがいいの」
はいはい、出たよ。
ここまでは妻も居るので、送ってもらう。想定内らしい。私は0歳児を抱きながらそれを見守る。午前9時。
まだ3歳児は何も知らない。
送りから帰ってきた妻はもう少し化粧をしてから出かけていく。私は0歳児におかゆをあげながらそれを見送る。何時に帰ってくるの、そう聞きたいのを堪える。私が逆の立場だったら聞かれたくない。0歳児はもうほぼ母乳を飲まない。昼に飲酒しても寝かしつけの頃には問題ないはずだ。ミルクもあるし。たまには満足するまで飲み歩いてくれば良い。
10時。幼稚園は既に夏休みシフト、11時半には迎えに行かないといけない。「幼稚園に夏休みがある」というのはマジでなんなんだろうか。バグ?小学校にもあるからそれに合わせて?だったら社会人まで押し並べて揃えてほしいぜ。
3歳児は最近偏食がすごいのだが、昼メシはなにを食うだろう。買いに行くとしたら今しかない。コンビニまで出向いて、カップヌードルのシーフードと、冷凍のミートソーススパゲティを買う。どちらも彼の好物で、選ばなかった方も保存がきく。
11時10分。そろそろ幼稚園に迎えにいかないといけない。あいにくの雨である。0歳児は抱っこ紐で寝ている。このまま3歳児も運搬すると考えると、ベビーカーにレインカバーを換装して乗せるしかない。傘もあるので、3歳児の所望する「ダブルだっこして」には対応できない。0歳児を起こさないように静かに動きながら換装を終える。
幼稚園に迎えに行くのは久しぶりだ。
幼稚園は、春から園長が代わっている。
組織の全体像が分かっていないが、全国的な組織のようで前の園長は関東ではないエリアに飛ばされて、代わりに若い(と言っても30代くらいかと思うが)園長が赴任している。
新しい園長は、無害だが無力そうな人である。
問題は副園長だ。妻が通っていた頃から居る先生らしい、つまり軽く30年は勤続している女性なのだが、若干昭和的で押し出しが強い。そして園長交代を機に、新園長を傀儡とし実権を握っているらしい。
一見笑顔で柔和なのだが、園の方針、というか、「園の職員に負担がかからない」方針なのだが、そこに拘泥するあまり園児や親に寄り添っていない感じがある。具体的には、言うことを聞かない園児には腕力を持って教室に引き込んだり、言うことを聞かない園児の親に対して「親の愛情が足りないのではないか」と言ってくるなどして、なんというか保護者たちと対立構造が生まれている。
というようなことを妻が言っていた。保育園への転園を真剣に模索しているようだ。
副園長の傀儡問題は一次情報に触れていないのでコメントする立場にないが、それを差し置いても夏休みは別料金が必要かつ9:00-11:30しか預かってくれないとか、そもそも夏休みが長えとか(7月初旬から夏休みである)、入園説明会があるから休園、他の学年の遠足があるから休園、と休園が多すぎるのはキツい。もともと引っ越したら保育園に入れなくて幼稚園に入れたのだが、離れてみて保育園が大人気なのが身に染みてわかった。時間も長いし安い。昼飯までついてる。最高じゃん。
なんてことを考えながら3歳児を迎える。顔を上げて私に気づいて笑顔、そのあと真顔になる。
「えっママは?」
そうなるのは分かっていた。「ママはお友達とご飯食べてるよ、だから今日はパパだよ」いちおう説明するが納得した顔はしていない。「だっこして」とりあえず30秒くらいはダブル抱っこをして落ち着かせる。「今日は雨降ってるから、パパは傘を持たなくちゃいけないし、抱っこはここまで。ベビーカーに乗ってくれないと帰れない。そうしないと赤ちゃんも濡れちゃうし、濡れちゃうと風邪ひいちゃうから、頼むよ」3歳児は丁寧に説明すると以外と分かってくれる。大人しくベビーカーに座ってくれた。
「なんでママはおともだちとごはんなの」「いっしょにいきたかった!」
3歳児がポツリポツリとぼやき始める。そう思うのもごもっともだ。でも、君がいるとのんびりできないからだよ、なんてことも傷付けるから言えない。「ママ、きらいになっちゃったのかな?」なんて悲しいことを言わせたくないので話を変える。
「お昼ご飯何食べたい?ラーメン?スパゲティ?」
「じゃ、スーパーにいこっか」
なんで?と思いながら3歳児のご所望に合わせてスーパーに行く。大丈夫、ラーメンもパスタも食わない想定があるから保存の効く買い物をしたのだ。
だが惣菜売り場を見渡した3歳児が選んだのはまさかの食パンだった。
厚めのやつが2切れ入ったやつ
パンでいいのか?栄養は?味ないぞ?そう思うが、「なんか食ってれば良い」まで緩和されている私の育児方針としては問題ない。
それから当然のようにお菓子コーナーに行き、ミッキーのペロティ、同じような昔からある苺が3つ成った平たいチョコ、そしてカプリコをカゴにぶち込まれる。
栄養は?あ、そうか。「なんか食ってればいい」だったわ。
帰宅して、0歳児を下ろしてクッションで囲んで転がす。先に3歳児だ。栄養のことを一応考えて、食パンは明朝でも大人が食べることもできるので「スパゲティとラーメンもあるけど」と聞くと、スパゲティとラーメンも食べたいし、パンも食べると言う。言いながらすでにミッキーのペロティを食っている。
いや、君そんなに食わんやろ、そこペロティでまた終わりにするんじゃないの。そう思ったが予想は裏切られた。
ラーメンを1/3、スパゲティを1/4、パンは厚めのやつを1枚食べきった。特に、厚いパンの白いところを私がちぎって食べさせるのをやたら気に入ったようだ。「王かよ」と思いながら、ちぎっては食べさせした。たくさん食べることは嬉しいが、それでも食材のチョイスは間違えた気する。
なぜなら自動的に私の昼食が、ラーメンの2/3、スパゲティの3/4、食パンの耳になるからだ。
栄養は?
ま、とにかく次は0歳児だ。どうやって3歳児を放牧するか迷ったが、「おさるのジョージのゆきやまのはなしがみたい」と言うので、いくつかある雪エピソードを私の頭の中のおさるのジョージライブラリーから検索し、これやろなというのをNetflixから出して見させる。3歳児のせいで、ほかにもきかんしゃトーマスで「ジェームスがだっせんするおはなし」パウパトロールで「くじらさんがでてくるおはなし」など言われても対応可能になってしまった。しばらく転職する予定はないが、次書くときは履歴書にこの特技を書こう。
ジョージに3歳児を任せ、0歳児には朝飯の残りで申し訳ないがシラス入りのおかゆを食わせる。ものすごく食う。もうミルクは要らないんじゃないかと思うほどに食う。食べたら寝て欲しいのだが、午前中だいぶ寝てたのでここからは厳しいかもしれない。と思ったが、食事を終えて抱っこしながら、私もおさるのジョージ鑑賞にご相伴しているうちに0歳児は寝た。3歳児はおとなしい。
このまま5時間くらいジョージを見てくれると助かるのだがそうもいかない。1時間ほどで集中力が切れたのか、さっきカプリコを買ったことを思い出してしまいカプリコを食べたいと言う。カプリコ、いいでしょう。カプリコ、カルシウム入ってるしね。私はカプリコを開封した。
「パパたべさせて」
食べさせて?カプリコはかるいスナックチョコ菓子だ。パンと違い、ちぎるような要素はない。そのまま食え、かじれ、としか言いようがない。
「パパ、アイスみたいにたべさせてよ」
なるほど、ここにきて彼の要求がわかった。コーンのついてるタイプのアイスを食う場合、スプーンで掬って一口ずつ食事介助させるのが、彼のお気に入りの「パパの使い方」の一つである。
要求は分かったが、カプリコをスプーンで掬って食うのは不可能である。崩れゆくだけだ。カスが散らばって帰宅した後に妻が狂乱するだけで、誰も得しない。
「無理だよ、スプーンではすくえないよ」
言いながら、言っただけで納得しないのも分かっているので一応皿とスプーンを持ってくる。カスが散らばらないように皿に乗せながら、カプリコをすくう。当然掬えない。バラける。
「でもコーンにがてだから!」
3歳児が逆ギレしている。コーン苦手、こいつまじで調子乗りやがってと思わなくもないが、テレビ画面の向こうで黄色い帽子のおじさんがその類稀なる包容力、いや、ほとんど狂気と言っていいと思うが、水道管をぶっ壊して部屋を水浸しにされても、ジョージを決して怒らない黄色い帽子のおじさんがいる。そう、私だってこんなことで怒らないはずだ。そういう役割のはずだ。
「でも、カプリコはコーン取れないんだよ。ほら…」
スプーンでコーン部分をもうひとすくいしてみせると、ようやく納得して、3歳児はそっとカプリコをテーブルに置いた。カス、どうしよう。江崎グリコさんごめんなさい。あとで私が食います。
「アイスたべたいの」
えっ。
「コーンのアイス」
そうきたか、対応してあげたいのは山々だが、うちにはいまカップタイプしかない。義父母の家に頼ってもたぶんそうだろう。
「今、こういうアイスしかないよ」
妻が冷凍庫の奥底に隠していたハーゲンダッツを取り出しても
「コーンのアイス!」と彼は言って聞かないどころか「コンビニいこう」と言い出す。
コンビニ、いいでしょう。出かければまたそれで時間が潰せる、それはいいのだが。
雨である。
「ベビーカー乗ってくれるならいいよ」
雨天換装したベビーカーはまだそのままだが、間の悪いことに「カーズのかささすの」「あるくの」彼はカーズのマックィーンが描かれた青い傘をさして歩きたがっているのである。
まあ0歳児は抱っこ紐内で寝ているし、雨は弱まっている。一つビッグな心配があるが、まあ、コンビニはそう遠くないし、どうにかなるだろう。
歩いて5分ほどなのだが、途中で傘をさすにの飽きたのだろう、振り回し始めた。雨はほぼ止んだのでその点はいいのだが、振り回されると歩道を走る自転車もたまにあるし、あぶない。
「傘、ちゃんとささないとダメだよ。危ないよ。振り回さないで、他の人にぶつかっちゃうから」
目に見えて3歳児の機嫌が悪くなる。我が家の中では、妻が怒り部分、飴と鞭で言うところの鞭部分を99パー担当しているためか、私がほんのちょっとでも怒るとこうなってしまうのだ。前に怒った時は、2人で歩いて出かけていて横断歩道の真ん中で座ろうとしたときなのだが、それはもちろん危険だから大きい声を出したのだが、このときは通行人が全員振り返る勢いで号泣、四肢は脱力し、口から泡を吹き、この世のすべてに絶望したという声量と声色で1時間ほど泣き続けて大変だった。
そういうこともあって、納得がいかないが黄色い帽子のおじさんを持ち出すまでもなく、私は怒る役割を担えない。たとえば、根が貧乏にできているためか3歳児が食べ物で遊んでいるとつい苦言を呈するときがあるのだが、そうすると機嫌が急降下するので、「ごはんを投げて遊んだことを注意した私が妻から『機嫌良くご飯食べてるんだから怒らないでよ!』と怒られる」という複雑な構造で、私は罪を背負う。納得いかないが、事実そういう役割分担になってしまった。なんでなん。ごはんを投げたらアカンでしょう。私はおばあちゃんに叩き込まれた、米という字は農家の人が八十八日…
「パパ、きらい」
と、まあこう言われるくらいであれば泣いていないし問題はない。ついてきてるし。うん、いま傘で殴られたけど、うん、気にしてないから。大丈夫だから。
つくづく思うのだが、たぶん私一人で育児するようになったら彼は社会性はクズに育つだろうなと思う。そういう意味では、基本的には正しいのだが、稀に謎理論、稀に単純に不機嫌のため3歳児を怒っている妻は、必要悪なのだと思う。世の中の大人がみな黄色い帽子のおじさんだったらいいのだが、実際はそうではない。怒る人はたくさんいる。怒りには色々な種類もある。この点で私と妻はバランスが取れていると思う。
さてコンビニである。彼は、プレミアムなんとかという、単価300円くらいしそうなコーンアイスを2つカゴにぶち込んだ。2個も食えんのかよと思うが、まあ、いいでしょう。アイスは日持ちするものだから。冷凍しておけば賞味期限がないのだから。
今度は帰路であるが、雨足が急速に強まっている。もう傘を振り回させるわけにはいかない。さして歩いてくれ。
「パパだっこ」
えっ。
「つかれた」
このタイミングでビッグな心配が当たってしまった。そして0歳児も目を覚まし、抱っこ紐の中でうぞうぞしている。
「無理だよ。赤ちゃん抱っこしてるから。自分で歩くって言ったでしょ。傘持ってきたんだから」
半分以上諦めながら、3歳児に正論を吐いてみる。
正論は人の心を動かさない。私はそれを知っている。
見透かしたように、3歳児がニヤリと笑って言う。
「ダブルだっこしてよう」
10キロの赤ちゃん、15キロの3歳児、どちらも暴れる二人を抱っこして歩く、それも傘を差しながら、2本のコーンアイス、調子こいて自分の分に買った缶ビールを保持しながら、帰りの徒歩5分をゆくのは至難の業だ。曲芸に近い。
「しかたねえなぁ」
でもやるしかない。3歳児に笑いかけると、彼は私の上半身を目掛けて大きくジャンプしてくる。0歳児とぶつからないように身を捩りながら受け止める。重い。痛い。荷物、傘2本。
ああ。
平素の妻に感謝し、世の中の全てのワンオペ育児をするお父さんお母さんに心の中で敬礼した。私は2人で音をあげかかっている。世の中には3人、4人と見る人もいるらしい。それはもう人ではなくて神の領域なのではないか。そんなことを思いながら、四肢に力を込めて歩き始めた。