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憧れの恩人、私のもう一人の祖母へ

こんにちは。かなり久しぶりにnoteを開いてみました。
文章でしたためておきたいなという大切な出来事があったので、書いてみたいと思います。

今週の初めに、ある訃報が届きました。
それは私の人生における大切な恩人が亡くなったと言う知らせでした。
93歳の大先輩です。

自分で言うのもなんですが、関係上は全くの他人です。親戚でももちろん友人でもなく、不思議な関係でつながっていた人なんです。

恩人との出会い

元々は私の祖母の女学校時代の同級生で、長年祖母と手紙と電話のやりとりをしていた人でした。私が子どもの頃は、フランスのパリに住んでいて、クリスマスになるとプレゼントを送ってくれたので、我が家では”パリのおばちゃん”と言うあだ名で呼ばれていました。

以前noteでも書きましたが、私の祖母はとても古風な人で、同じものを長く使い、変化を求めない、旅行も渋るし、海外に行くなんてもってのほかと言うタイプだったので、フランスに住むというハイカラなおばさんに子供心に憧れていました。でも20歳になるまで、一度も直接会ったことも話したこともありませんでした。


私が20歳の時に祖父が亡くなり、めっきり生きる気力を無くして小さくなった祖母をなんとか元気付けてあげたくて、私はそのおばさんに手紙を書きました。

会ったこともないのに、なぜかこの人ならこの状況をなんとかできるのではないかと、急に思いついて、今の家族の状況や祖母と会って欲しいことを手紙で頼み込むということをしました笑(なぜ、そんな閃きになったのか今でも不思議なのですが、どうしてかその時の私は、これだ!と思ったのです)

すぐに電話をくれ、初めて直接話しました。
祖母と同い年とは思えないくらい綺麗な鈴が鳴るような声で話し、手紙のやりとりはあったとはいえ、初めましての私にストレートにズケズケものを言う人でした。
でもとても愛情深くて、その時、祖母のことや家族のこと自分の人生のこと様々な苦しみを抱えた私に寄り添いながらも叱咤激励する言葉をかけてくれました。

画して、祖母に隠れてパリのおばさんを呼ぶ計画を決行しました。
そのおばさんは、実は身体が不自由で兵庫県に住んでいたので宮城の私の家まで距離があり、大変な中、時間をかけてきてくれました。

祖母も喜んでくれて、久しぶりに笑顔が見れて、とても嬉しい時間を過ごしました。

その後おばさんは、何を思ったのか私に兵庫までのアテンドをしてほしいと誘ってくれました。
そのため仙台からの帰りは一緒に兵庫まで行くことになりました。
修学旅行を除き、家族以外と旅行をするのは私にとっては初めてのことでした。

おばさんは、
電車や新幹線一つ一人で乗れなかった私に、
乗り方から旅行の工夫までたくさん教えてくれました。
上を見上げると標識があるから、迷ったら上を見ること、一人で悩まず駅員さんにすぐ聞くこと、
また体が不自由な人の介助はこうやるのよと教えてもらったりもしました(おばちゃんは杖をついていたので)

また道中色々な話を聞きました。
私の祖母の子どもの頃のことや曲げられない性格のこと、いろいろ苦労があっての今の性格に行きついていること、人生の難しさや過酷さ、戦争の時代を生き抜いてきた日々、フランスでの生活や文化の違いのこと。


そして、いろいろ迷い悩みまくっている当時の私に、
「あなたは恵まれている。家族に守られすぎている」
「工夫すれば自分でいろんなことができる」
「人生はあなたがみている一部だけじゃない。みんないろいろあるのよ」

とそんなことをとにかくバンバン言われました。

割と優等生で生きてきて、人に怒られたり意見される前に、やれている風を装いまくってハリボテで生きてきた私は、頭を殴られたかのような衝撃を受けました。

この歳になって、知らないことが多いことにショックを受けて、自分が恥ずかしくなったし、ここまで明け透けに、他人である私に色々なことを言ってくれることに驚きました。

気高くて、強くて、物知りで、視野が広く、でも愛情深くて、優しく厳しい。
そんな風に大人に直接向き合ってもらったことのなかった私は、
そのおばさんとの出会いで、私もこの人のように強く優しく、見ず知らずの知り合いの孫に本気でぶつかってくれるようなそんな懐の深い大人になりたいと思いました。

出会いからの変化やもがき

その後、私の祖母が亡くなってからも関係が続き、ことあるごとに手紙を書いたり、電話をしたり押しかけたりして(主に私が一方的にですが笑)、人生に迷い悩み、迷子になるたびに話を聞きに行きました。

一人で旅行に行ったことのなかった私でしたが、
一人でかっこよく旅行したくて、無駄に青春18きっぷで全国制覇してみたり笑
社会勉強が足りない自分を恥じて、難しそうなバイトをいくつもいくつも掛け持ちして、不器用な自分に落ち込みまくったり笑
大学受験に失敗して惰性で生活していた学生生活が恥ずかしくて、本当はどうしたいのか考えて向き合って編入試験や大学院入試に挑戦したり、
声優になりたいという夢を捨てられなくて養成所に働きながら入ったり、、、。

ちょっとおばちゃんが言っていたこととは違う方向に、もがきまくった気がしますが笑
あの人みたいに人生経験豊富で、強く心が美しい人になりたい!
そんな心の衝撃が私をいつもつき動かし、生きてこられた気がしています。

会う度に、「あなたはまだま子どもよ。私が何年生きてると思うの!」と言われて、「家族に愛されていることを忘れてはダメよ」と言われ、
私なんてまだまだだと恥ずかしくなると共に、でもちゃんと私を見て叱咤激励してくれるのが嬉しくて、時間を見つけては、会いに行っていました。

パリのおばちゃんとの出会いがなければ、今の私はなかった。
そのぐらい私にとっては女神のような魔法使いのような、私を大きく変えた、不思議な存在でした。

20歳の頃の私と31歳の今の私を見つめて

この不思議な出会いと縁のおかげで、31歳の私は20歳の私よりも少しは大人になれた気がしています。20歳の頃、自分は何も持っていなくて、自分の全てが失敗で、何もかもうまくいかなくて、でも周りは輝いて見えて、とても荒んでいました。

でも今、20歳のあの頃より、様々な経験を通しながら、何も特別なものは持ってないかもしれないけど、私は私だよなあと柔らかく受け入れ、自分と仲良くしてみたり、時に喧嘩しながらも、まあ気長に歩んでいけるかなというくらいまで、穏やかに生きられるようになりました。

もう大分お年なのは知っていたのですが、ここ数年は、おばちゃんが弱っていく姿を見たくなくて、忙しいを理由に会いに行くことを避けていました、、。

どこかで、お別れが近いのは分かっていたのに、会いに行けなくてごめんなさい。
でも多分「私のことよりあなたの人生を楽しみなさい、そして家族を大事にしなさい」と言われる気がしています。

本当にありがとうございます!ずっと大好きです。

おばちゃんのおかげで、私は今とても幸せです。
こんな人になりたい!と心から思わせてくれる強く美しい女性に出会えたことそのものが、私の宝物であり、人生の指針です。

今も迷うたびに、パリのおばちゃんなら何というだろうかと考えます。
これからもきっとそうだと思います。

おこがましいかもしれないけれど、本当に私のもう一人の大事なおばあちゃんでした。感謝を残しておきたくて、僭越ながらnoteに書かせてもらいましたよ。

パリのおばちゃんのような、素敵なおばあちゃんになることが私の目標です。
自分とも人とも向き合い、人を愛し、世界を憂い、他人であるちっぽけな小娘を見捨てないでくれる、そんな人に死ぬまでになれる自信はまだまだないけど、
でもおばちゃんにも、自分自身にも恥じぬように生きていけたらと思います。

心からご冥福を祈ります。
本当にありがとうございました。
心より感謝を込めて。

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