うれしいは、嬉しい
夏のあいだにどうしても行きたい店があり、どうしても一緒に行きたいひとがいて、今日はそのタイミングがちょうど合った日だった。
週末の夜の繁華街、2軒目を探してさまよい、あてにしていたお店が閉まっていたので、目に付いた別の居酒屋へ入った。ほぼ満席で賑わっており、わずかに空席がある程度。すし詰め状態のあいまを縫って案内された店の奥では、たまたま同伴者の学生時代の先輩方が飲んでいて、いつぶりやらの再会となった、という場面に居合わせた。そして粋なおじさまたちが席を譲って下さり、4人で囲む酒席が叶った。
私は完全なる闖入者だった。見計らって途中で席を外した方がいいか、でもその方が気を遣わせるか、と逡巡するも、男子学生の集いの模様があまりに面白くて引き込まれてしまい、うっかり帰りそびれてしまった。よそ者である私を気遣って下さっていた部分もあっただろうけれど、皆とても楽しそうで、悪ふざけの言葉の応酬も容赦なく、在学中もこんな様子だったのだろう睦まじい雰囲気を、まるでテレビを観ているかのように眺めては、涙が出るほど笑った。人が嬉しそうにしているのを見ると、私まで嬉しくなってしまう。
なぜその店にしたのか、なぜその席が空いていたのか、そしてなぜそこに彼らがいて声をかけてくれたのか。
偶然ってあるんだなぁと思う。私が当事者だったらものすごく嬉しいだろう。
巻き込んで申し訳ないと、口々に言われたけれど、本当に全くそう思わない。むしろ、面白い話題も提供できず、集合写真もまともに撮ってあげられず、ポンコツで申し訳ないのは私の方だ。ただ、今日の再会をめぐるご縁に、私の存在がちょっとでもかすっていたら嬉しい、と図々しく考えこんでいたら、終電を乗り過ごしてしまった。タクシーがつかまらないので、人っ子ひとりいない道を悠々歩いて帰った。風がすっかり涼しくて気持ちがいい。月夜の散歩までがおまけのプレゼントのような1日だった。