人生の春夏秋冬
こんにちは。
皆様、いつも誠にありがとがとうございます。
終戦の日を迎え、英霊の皆様に心より感謝申し上げます。
「亡くなる」ということのとらえ方について、私はこう思います。
吉田松陰先生がおっしゃるように、人の人生には春夏秋冬が必ずあると。
春夏秋冬を終えて、人生を全うしてお逝きになるのであろうと。
「十歳にして死ぬものには、その十の歳月のなかに自ずから四季がある。二十歳にして死ぬものには、その二十の歳月のなかに自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。」
魂には無念はなく、あるとすれば、人の心が生み出すものであろうと思う。
「人の心」とは、亡くなった本人ではなく、のこされたされた人たちの、亡くなった人を愛する気持ちが「無念」を生み出しているように思う。
もし、亡くなったご本人に無念があるとすれば、「今」を精一杯生きなかったと思うときのみではないかと思う。