韓国の老人ホームで日本人は受け入れてもらえるのか
「音楽が必要な場所ならばどこにでも赴き、音楽と幸せを届ける」
私が1年半続けてきた〈ボランティアバンド〉活動も今月いっぱいで一区切り。
この機会に記憶しておきたいことをnoteにまとめたいと思います。
挑戦
私は昨年の3月に韓国の大学に入学しました。
私の大学では各サークルがブースを出し宣伝をするイベントがあり、そこでボランティアバンドの存在を知りました。
音楽続けたいという気持ちと、友達を作って大学に早く馴染みたいという気持ちから、バンドサークルかオーケストラへの加入を考えていました。
楽譜は世界共通なので、音楽をツールに言語の壁を超えて交流ができると期待していたのもあります。
そして、せっかくやるなら何か社会の役に立つことをしたいという気持ちから、12年続くボランティアバンドのオーディションを受けることに決めました。
言語・文化の壁
無事にギターセッションでの入部が決まり、韓国人メンバーに一人混ざって活動を開始しました。
期待半分、不安半分でスタートを切りましたが、予想以上にたくさんの壁にぶつかることになりました。
まず、大学に入学した頃の私は、韓国語でのコミュニケーション能力が十分ではありませんでした。
楽譜は同じだから大丈夫!というのは、甘すぎる考えでした。
Z世代が使うスラングがわからずメンバーの雑談についていけない、音楽用語がわからず合奏中に自分の意見を言えないなど”言葉の壁”はとても大きいものでした。
そして、文化の違いにも悩みました。
具体的な説明が難しいのですが、連絡の仕方やメンバーとの接し方、学業への向き合い方など、小さな文化の違いに悩まされました。
しかし、このような障壁に向き合った時間は、間違いなく韓国語の上達、文化への適応の大きな助けになりました。
練習から帰ってくるたびに泣きながらその日に学んだ言葉をメモに残して必死に覚えたり、睡眠時間を削ってでも合奏中に使いそうな言葉を事前に覚えたり…。
少し荒療治ではありますが、この時期がなかったら私の韓国語は今のレベルに到達できていなかったと思います。
そして、メンバーの脱退を機に、私はギターだけではなく、ボーカルも任されるようになりました。
私たちはトロットという日本でいう演歌のようなジャンルの曲を中心に披露しているのですが、親しみのないジャンルの曲を外国語で歌うことは、私にとって大きな挑戦でした。
日本人の私は韓国の老人ホームで受け入れてもらえるのか
去年の秋頃まではコロナの影響で対面でのボランティア活動が難しく、演奏動画を送ったり地域の小さなお祭りで演奏したりと、細々とした活動を続けていました。
そして規制が緩和された冬ごろから、対面のボランティア活動を始めることになりました。
ある時、私は突然大きな不安に襲われました。
「日本人の私は韓国の老人ホームで受け入れてもらえるのだろうか。」
対面でのボランティア活動だからこその不安でした。
3年間韓国で生活する中で、日本人だからという理由で嫌な言葉を聞いたことが何度かありました。
その言葉たちは私の心にずっと居座っていて、その時のことを思い出すと心がチクチクします。
以前訪問した障害者支援施設では様々な世代の方々に歓迎して頂きましたが、今老人ホーム・高齢者センターにいらっしゃるのは日本統治の影響を直接受けた世代の方々なのです。
そこに日本人の私が韓国語の歌を歌いに行く。
私は受け入れてもらえるのだろうか。
ただただ、不安でした。
不安なまま迎えた当日
当日、汗だくになりながら楽器を車に積み込み、みんなで경로당(高齢者センター)向かいました。
私は最後まで自分の不安をメンバーに打ち明けることはできませんでした。
大きな不安を抱えたまま、演奏が始まりました。
「音楽が必要な場所ならばどこにでも赴き、音楽と幸せを届ける」という私たちの目的を果たすために、とにかく私自身が楽しもうと決心し、精一杯歌いました。
そして、想像とは違った光景を目にしました。
集まってくださったみなさんは、私たちの奏でる音楽を心から楽しんでくださいました。
一緒に歌い、踊り、私の歌に合の手を入れてくださいました。
私はいつの間にか、演奏を心から楽しんでいました。
演奏の後、交流の時間が設けられました。
「今日は遠くからありがとうね」
「久しぶりに歌って踊って昔を思い出したよ」
お年寄りのみなさんは私に積極的に話しかけてくださいました。
楽しく交流していく中で、名前を聞かれました。
一瞬、言葉に詰まってしまいました。
「お名前は?」
「…ひよりです。」
「あら、留学生だったの?韓国語お上手ね。」
「ありがとうございます。」
「どこからきたの?」
「日本からきた留学生です。」
私の心拍数はマックスでした。
お年寄りの次の言葉までの時間が、永遠のように感じられました。
「韓国での生活はどう?大変なことはない?」
「外国語で歌うの大変でしょう。とっても上手だったよ。」
「韓国の食べ物は口に合うかしら?」
「お菓子ならたくさんあるから、好きなだけ持って帰って。老人だけじゃ食べきれないのよ。」
先入観を持っていたのは私の方でした。
韓国で一人で生活する私を気遣い、冗談まじりの会話で楽しませてくださり、食べ物を持たせてくださいました。
「あなたみたいな若い子がいれば、未来は明るいね。」
私は必死に涙を堪えていました。
以前の経験から、強い先入観を持ってしまっていた情けない自分。
そんな私を受け入れて、暖かい”情”で包んでくださり、心を溶かしてくださったお年寄りたち。
私はこの経験を一生忘れないと思います。
音楽は国・世代を越える
音楽を通してバンドメンバーと出会いました。
音楽をする中でたくさんぶつかり、仲を深めました。
音楽を通して、普通に生活していたら出会うことのない施設の皆さん、お年寄りたちと出会いました。
音楽を一緒に楽しみ、交流しました。
音楽が国と世代を超えて繋いでくれたご縁。
音楽は異国の地でたくさんの試練、出会い、経験、学び、そして一生わすれられない思い出を私にプレゼントしてくれました。
私はこの思い出と学びを胸に、日韓の良好な関係のために、より良い社会のために、私にできることをしていくと心に決めました。
走り書きの文章を最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
この経験を絶対に忘れたくなかったので、ここに綴らせて頂きました。
読んでくださったみなさんの1日が、ニコニコで幸せな日になりますように。
ひより