期待という重圧
今日はここ数年抱えていた葛藤を言語化してみたいと思います。
期待していたのに結果が伴わなかった時、その期待が大きければ大きいほど辛いですよね。
私はそれがすごく怖いんです。
自分がそれを経験するのも、人にその経験をさせてしまうのも。
だからできるだけ期待しないようにしてしまうし、人間関係では極端に臆病になってしまいます。
常に自己防衛に走ってしまうんです。
逆に、私の周りの人にはそういう経験をさせたくないので「私は裏切らないから100%信じていいよ」と胸を張って言える人でいたいという願望があります。
これが問題なんです。
最近気がついたのですが、このマインドには二面性があって。
もちろん、相手を傷つけたくない気持ちも本当。
もう一つの方が問題で、失望されたくない=”いい人で居たい”という欲求。
私はこれがかなり強いみたいなんです。
大学での例を挙げてみます。
今学期取っている授業でご指導いただいている教授がいるのですが、とても良くして頂いていて、授業外でもよくお話しします。
「教授をがっかりさせたくない。失望されたくない。」
今回の試験期間はこの感情に支配されていました。
私はその教授の授業を一番前の席でめちゃくちゃ前のめりで聞いています。自意識過剰極まりないのはわかっているのですが…
教授はきっと私に”期待”しているだろう。
試験が上手くいかなかったら、あんなに熱く指導してくださった教授をがっかりさせてしまうかもしれない。
「こんなもんか」と失望されてしまうかもしれない。
期待に答えたい。裏切りたくない。認められたい。失望されたくない。優等生でいたい。
色々な決して健康とは言えない動機に支配され、心と体を壊すくらい試験勉強に全力投球してしまう始末。
私はこの思考が色んなものに適用されてしまうんです。
国や奨学団体から奨学生に選んで頂いた時も「応援してもらっているのだから、絶対に手を抜けない」という感情が先に来てしまいました。上手くやらないといけないという重圧が、すごく苦しい。
でも、よく考えたら
私の未来に期待して、応援してくださってる方々は、私がプレッシャーにやられて心身ともに追い込まれることを絶対に望んでないはずなんです。
奨学金なんて特に、金銭的な心配をせずにのびのびと学べるようにと支援して頂いているはずなのに!
私の人生の目標は「自分もみんなも幸せ」なのに、自ら遠ざかるような思考をしてしまっていたな…と反省。
人間はベストでしか生きれないから、過去の自分を責める必要はない。
100点の結果が出なかったとしても死ぬわけではない。
自分に言い聞かせてみるけど、思考の癖を矯正するのって難しくて、こうやって自分の状況を客観視できるようになった今もなかなか直せずにいます。
でも、とりあえず言語化できるところまで来ただけでも成長ですよね。
周りの人によく言って頂く「素直で真面目」な性格は、度を超えなければ大きな長所だと思うし、焦らず、自分の内側の声をちゃんと聞いて、少しづつ自分が生きやすいように変わっていけたらと思います。
自分語りになってしまいましたが、もし同じ悩みを抱えている方がいらっしゃいましたら、楽なマインドを一緒に模索していきましょう。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます❤️
ニコニコで素敵な1日にしてくださいね:)