”心をあげる”

(感情のままに書いたら半タメ口になりましたご容赦ください…)

「留学生の皆さんは帰りの飛行日の日程を教えてください。」
教授の言葉を聞いた瞬間に胸がギュッと締め付けられた。

学期末が近づいてくると毎回、辛くなる。
一緒に留学生活を乗り越えてきた仲間たちが、続々と帰国してしまう。
遠くの国から来た子たちは特に、もう一生会えないかもしれない。

そしてこの時期、友達が続々と軍隊に入隊する。大事な若い時間を奪う兵役なんて無くなればいい。戦争なんて無くなればいいと本気で思う。

帰国や軍隊など特別な理由がなくても、環境が大きく変化する時期には別れを経験することが多い。適応するのに精一杯で他のことを諦めたり、自分が新しいステージに踏み込む時期に誰かと知らぬ間に疎遠になったり。

私は出会いと別れが多い環境にいるのに、別れにめっぽう弱いんだなと、改めて感じる。

”心をあげる”

韓国語に「打ち解ける/心を許す」と翻訳される"마음을 주다(心をあげる)"という言葉があって、結構好きな表現。
直訳するとちょっと変だけど、そのまま使ってみる。

私にとって”別れ”は、心をあげた大好きな人が、私の心の一部を持ったままいなくなっちゃうイメージ。
欠けちゃった部分はしばらくズキズキ痛む。

アンパンマンの顔みたいに心を取り替えられたらいいんだけどさ!
そんな都合良いことないから…。

だから、基本的には心に触れられないように、バリアを張って過ごす癖がついてしまった。
でも、目の前の人のことを信じられずにバリアを張る=常に疑いながら、別れを想定しながら接している自分に嫌気が差したり、この人には心をあげたいって思う人がたまに現れたり。
今でも心をあげることはあるけど、本当はちょっと怖い。

そもそも「この人なら心をあげてもいいかも」ってその人に”期待”する気持ちは実は私のエゴで、相手からしたら勝手に期待されて、いい迷惑だっていう可能性もあるよね。こんなこと考えても仕方ないんだけど。

別れ

理由が何であれ、どんな形であれ、別れって辛い。
人生ってタイミングだし、別れはいつかくるものだけど、それをきちんと受け入れられない未熟な私がいる。

できるだけ心を揺さぶられないように、不健康な防衛機制を使って、自分の感情を無視てみたり、合理化してみたり。

きっと旅立つみんなも私からは見えない葛藤を抱えているだろうから、私の寂しさや悲しさを無作為にぶつけるのも違う気がするんだよね。
私の心の問題だから、できるだけ一人で解決したい。

海外生活が長くなるにつれて、寂しさを紛らわす方法のバリエーションが豊富になってきてて、辛い時はとにかく忙しく動いて紛らわすんだけど、正直根本解決にはならないことが多い。

生きてる限り、出会いと別れを繰り返すしかないだろうし、特に別れが多いこの環境を選んだのは私だけど、無性に苦しい。

でも、この痛みも筋肉痛のようなもので、治った後には一回り心が成長してる感じがする。
もうこれ以上辛い経験を通して成長したいかって聞かれたら、否だけど。
この痛みと向き合った時間を無駄にはしたくないな。

出会ってくれてありがとう

どんなに悲しくても旅立つ人を笑顔で送り出して、幸せを心から願える私でいたいと思う。

今まで出会った一人一人に影響をもらって今の私があるから。

それぞれの人生を歩む中で、私を思い出すことがあったら、その記憶が少しでも生きる力になる優しいものでありますように。

私は遠くを見つめるあまり、目の前のことを疎かにしてしまう瞬間があるけど、できる限り一瞬一瞬を大事にして、心を尽くして人と接することにします。

遠くに行くあなたへ。
私と出会ってくれてありがとう!
一回り成長する機会をくれてありがとう。

またいつか道が交わる時が来たら、お互いに笑顔で近況報告ができるように、私も私の場所で精一杯生きるね。


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