黒沢清『クリーピー 偽りの隣人』(2016)
何年も前から、黒沢清は風を吹かずにはいられない。だからこの映画でカーテンや草木が揺れたからといっていちいち騒ぎ立てるのは最早「今更」なのではないかと思う。ジャック・ターナーやエドワード・ヤンといった監督たちの影響を少しも隠すことなく画面上に浮かび上がらせているこの監督は、例えば『リアル』で室内シーンにも関わらず中谷美紀の髪をそよがせることを、何の躊躇いもなく遂行してしまっている。
また、ビニールシートも黒沢清を語る上で外せない道具かもしれないが、それも同じく「今更」なのかもしれない。香川照之が住んでいる家の端でそよぐビニールシート、或いは家の中で「仕切り」として機能するビニールシート、更には人を「パックするため」のビニールシート……。『叫』や『地獄の警備員』、『回路』などに比べてしまうとその使い方の普通さに戸惑ってしまうけれど、しかしシネコンでもしっかりとお馴染みのアイテムを確認できたことを一方で嬉しくも思ってしまう。
風、ビニールシートときて次は格子といくが、これは映画のファーストショットから一貫して施されている演出の一つだ。家の門は勿論のこと(香川照之=狂人が住む家には門があり、西島秀俊=常人の家にはない、というのが上手い……)、西島秀俊宅やフェンス、たびたび映される道沿いと、どうしようもなく「囚われの状態」を画面上に醸し出すその線は、面白いくらい至るところに確認できる。境界線としての役割をも果たすこの王道演出は、個人的にとても好きなので観ていて楽しかった。
そして最後は高低差演出なのだけど、いや、言いたいこと分かるけどやりすぎだよ黒沢さん……と思いつつも指示したい。川口春奈が中盤で呟くとある台詞があまりにも答えになっていて、前半からの仕込み(大学の教室における東出―西島の位置関係など)の意味が分かる仕掛けになっている。でもアパートの二階と一階を使った川口―西島の構図には笑うしかないと思うのだけどどうなんだろう……?と、やっぱりこの演出も随所で確認できるために決着の付け方も高低差で攻めるのかな?と思ってしまったけど全然違ったので少しガッカリ。アンソニー・マンの撮る西部劇を丸々頂戴した銃撃戦(黒沢清ならやりかねない、青山真治は昔やっていたし)を期待してしまったんだけども。
その他にも「手を握る」反復(流石としか言いようがなかった。香川照之の握手を西島秀俊で上書きできた、と思ったら……だったから。しかしそこで観客に「あ、その前の笹野高史がここで効いてくるのか」と思わせちゃうんだから凄い)や室内の造形などなど十分に楽しむことができた。そこら辺の通行人、例えば坂を登っていく女性やランニングしてるおじさんが異様な存在なのも素晴らしい。そしてワインボトルを手にした西島秀俊が画面奥で佇んでいるショットは最高だ(そのまま香川照之の頭で叩き割るのかと思った)。川口春奈取り調べシーンの照明微妙さ(『岸辺の旅』や『叫』でもやっていた黒沢清お気に入り演出らしい)、西島―竹内の正面切り返し(これも『岸辺の旅』でやっていた)の中途半端さは気になるところではあるけれど、些細なことだとも思う(そんなことよりも後半の室内劇はショットがあまりに弱いのでは……惜しいよ……)。トビー・フーパーを未だに信じる還暦監督がシネスコで堂々と撮ったシネコン映画。傑作とは言えないけど、十分に黒沢清の力を感じる一本だと言いたい。
※余談
東出君ってどうして未だに素人臭いんだろう……西島秀俊との再会シーン、手がぶらぶらしていながらの登場でとてもプロの役者とは思えなかった。その後に手を後ろで組んだり珈琲(かな?)を手に持たせたりしていたけど、あれは酷い……でも、東出君のこと結構好きなので不快ではなかったり(じゃあごちゃごちゃ言うなよって話だけど)。それどころか黒沢清の映画に妙にフィットしていたんだよね……不思議(←これが言いたかった)。