読書メモ 逢坂冬馬『歌われなかった海賊へ』

第二次世界大戦中のドイツ。
ナチスやユダヤ人、強制収容所やヒトラーユーゲント。いろんな視点から書かれた本を読んだけど、一般市民の生活をこんなに深く掘り下げた本は初めて読みました。
この本を読むきっかけになったのは、本屋大賞をとった『同志少女よ敵を撃て』を読んだからです。
エーデルヴァイス海賊団なんて知らなかったので、驚きでした。
大戦中のドイツは、ナチスとユダヤ人というわかりやすい迫害でしか理解してなかったからです。
よく考えれば、名前のない一般市民が多いに決まっているのにです。
話は現代のドイツから始まります。
〝この市と戦争〟という学校での課題からです。
歴史教師のクリスティアンは、その課題を読みながら、とりあえず提出されたコピペのようなものに失念します。自分の祖母が始めたこの課題に意味があるのかどうかと。
その中でもトルコ系移民のデミレルの課題はひどく、ページ数も足りてませんでした。
その生徒のことが気になっていたクリスティアンは、デミレルの事を気にかける中でフランツ・アランベルガーという街で有名な偏屈な老人と関わり、祖母が始めたこの課題の意味について深く知るようになるのでした。

過去の回想では、若者で構成されるエーデルヴァイス海賊団が出てきます。
エーデルワイスの歌は、私も小学校のときな歌いました。今思えばなんでなのかなと思います。ただ、その歌のおかげでエーデルワイスの花のイメージがあり、確かに逞しく強い高貴なものの象徴として用いられていたのだろうと推察できました。
自由を求めたワンダーフォーゲル的なエーデルワイス海賊団でした。
でも、自由というのは難しいです。
何からの自由なのか意味付けしてしまったら役割を持ってしまい、途端に自由でなくなってしまうのです。
でも、知ってしまったから強制収容所の事を、自分の街にできている事。それを大人たちは知らないふりをする。見ているのに見ないから。
だから、彼らは行動を起こした。

エルフリーデが奏でた歌で文化によって、世界を変えてほしかった。
なのにみんなは歌わなかった。
大人たちは知っていたのに終戦が近い事を。
なのに子どもの命を守る行動に出なかった。
みんな正しいことより、無難に生き残りたかった。そして都合の良い物語を作った。

それは現代も続いていた。フランツ・アランベルガーを変人として扱い関わらない。その一方でフランツが行ってきた慈善活動もある。慈善活動家としてのフランツが行ってきたエーデルヴァイス海賊団の啓発活動については、一時の過ちのようにいう。

世界は単純な2極化構造ではないのに、そう考える方が楽だから。
都合のいいストーリーにのっかろうとおもう。
そうだろうなと思う。自分もそうなんだろうと思う。
でも、そのずるさを自覚していたい。
その程度ならきっとできると思った。

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