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乳腺炎で10日間の入院その②

一度目の手術では膿が取り切れず、二度目の手術になったところまで前回書きました。
二度目の手術が午後に行われる予定だった為、朝から絶食でした。しかし、緊急手術が立て続けに入り、ひたすら待つ事深夜・・・まさかの真夜中の手術となりました。一日絶食でおなか空きました。
例のごとく、術後は麻酔が切れるまで断乳なので、夫はまた大変な一晩となったようです。

ガーゼを取り換える為の麻酔

一度目も二度目の手術の後も、毎朝傷口をドクターがチェックしてくれるのですが、私自身は怖かったので全く傷跡を見ていませんでした。
膿を出す為に傷口は縫わずにあけてあるので、ガーゼ交換は激痛を伴います。私は毎回笑気ガスを使っていて、すっかり愛用者。使い方も慣れたもんです。夫はガーゼ交換の際に傷口を見ていましたが、いつも「大した傷じゃない。ちょっとだけ」と言っていました。
後にこれは、ビビりの私がショックを受けない為についた嘘だとわかりました。というのも、入院から一週間ほど経った頃、ナースに言われました。
「退院後は訪問ナースがガーゼ交換に来てくれるけど、訪問ナースは笑気ガスを携帯できないから、笑気ガス使ってガーゼ交換してたらいつまでたっても退院できないよ。」

えぇー!!

傷口とご対面

今まで笑気ガスに甘やかされていたというのに、急に麻酔なしでのガーゼ交換。訪問ナースが来る時の手順を教えてもらったのですが、まずナースが来る前にシャワーを浴び、その際にガーゼを自力で外すように言われました。
私が入院していた部屋は個室(外科だけど母子同室にする為)だったので、個室のシャワールームでシャワーを浴びながら手順を聞きます。
ナースのおばちゃんがズカズカとシャワールームに入ってきて、シャワーを傷口のガーゼの上からかけ、ガーゼが皮膚にはりついてるのを取るように指示されました。
が、既に痛い!!
「痛い痛い痛い!無理!シャワー当てると痛いから!ガーゼ取れない!」
「取るのよ!」

おばちゃんナースめっちゃスパルタ。
ちなみに傷口は左胸の上側、胸の隆起が始まるあたりから乳輪にかけて刀傷のように「×」状にあります。場所的に痛みに弱そうでしょ。
しかしおばちゃんナースは容赦なくガーゼを取り、そして傷口内側に出てきた膿を吸う為のガーゼがつめてあるので(はっ!?)、それを取るように言われました。

聞いてないんですけど!!!
内側にガーゼ?うそでしょ?と思ったら、おばちゃんナースがスルスルと傷口からガーゼを取り出します。傷口の内側にストローでも突っ込めそうな穴状の傷があるようで、その中にガーゼが入っていたのです。
全然小さい傷じゃないし。
あまりにびっくりして「全然小さい傷ちゃうやん!!」とシャワールームで叫びました。

夫はシャワールームの外で、「とうとう気づいたか」と思ったそうです。

おばちゃんナースは「今日はやってあげたけど、明日から自分で頑張るのよ!」と言い、さっさとガーゼを交換して去っていきました。
それから自力でシャワーでガーゼ外す練習を頑張り、10日余りの入院の後に退院する事となりました。

訪問ナースによるガーゼ交換

退院後は訪問ナースの方がガーゼ交換に来てくれました。
訪問日に電話で「〇時頃行きます」と伝えられるので、シャワーを浴びてガーゼを外して待機しているわけですが、初日に傷口を一目みて
「これは自分で外すのは辛いわ。次から私が外すから、自分でやらなくてもいいよ。」と言ってくれました。
あのスパルタ特訓は何だったのか・・・。
訪問ナースは大体いつも同じ人が来てくれるので、デリケートな部分を晒す身としては、毎回同じ人というのはありがたかったです。
初回に、もしガーゼが外れてしまった時ように消毒キットやガーゼ一式をいただけたのも助かりました。

訪問は当初2、3日おきだったのが、1週間おきとなり、トータル2か月ほどで終了となりました。傷口が完全にふさがったのはもっと後です。
やはり縫っていなくて自然治癒に任せていたので、治癒には時間がかかりました。傷口も手術痕というより戦った痕みたいな・・・どうにも生々しい傷跡でしたが、10年経ち、ちょっとは傷口が薄くなったかなーって感じです。

その後、2人目、3人目の時は乳腺炎に至るほどのトラブルもなく過ごしています。もっと症状が軽ければ、ここまでの手術にはならないそうです。
本当に乳腺炎発覚から入院、手術の流れはドタバタでショックの連続でした。

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