父が亡くなってから

日中に涙するという事はほとんどないのですが、遺影を直視する事がかなり少なく、自分の中できちんと向き合うという事がなかなかできないのかなと感じています。

一人暮らしが始まった母の事が心配ですが、近所の人とご飯会をしたり、少しずつ日常を取り戻しつつあるようです。
とは言え、家の中が静かすぎてかえってよく眠れないようで、春に親戚の家に遊びに行った時には、人の寝息を近くに聞いて久しぶりに安眠できたのだとか。そういう事を聞くと切なくなります。

分骨していただいた父の骨は、NZの自宅で遺影や遺品とともに置いています。おりんも用意したので、食事やコーヒーを供えるのを子どもたちが進んでやってくれて、おりんを鳴らしてきちんと手を合わせています。

長女の別れへの向き合い方

長女は、祖父の父の直後も泣かなかったし、お供えをするのもどちらかと言えば消極的です。かと言って仲が悪かったというわけではなく、今も「そういえばじいじってさ〜」と頻繁に祖父の話をしたり、祖父の好きだったものなどを聞きたがったりします。
基本的に別れというものに対して「また会える日は必ずくる」という考え方をしているからかも。13歳という年齢的なものもあるのかなとは思いますが、死まではいかなくても転校する親友との別れなど、これまでに何度かあった別れの直前にも、涙を見せた事はありません。
泣けば良いというわけでもないし、彼女なりに受け止めているのでしょう。

長男の別れへの向き合い方

長男は、かなりエモーショナルな性格なので、祖父の死を知った直後に大泣きしていました。しかし、切り替えが早い性格でもあるので、ある程度泣いたらすぐにスッキリして普段通りの行動に戻っていました。
甘え上手だし、日本に帰省する時に祖父と将棋する事を楽しみにしていました。最後の誕生日プレゼントとしてもらった腕時計は、肌見放さず持っているので、長男なりに思い入れがあるのでしょう。

次男の別れへの向き合い方

次男は祖父の容態が悪くなってから、「死」というものへの恐怖にとりつかれていました。夜になると「お母さんが死んだらどうしよう」「お父さんが死んだらどうしよう」と怖がるようになったのです。長女、長男は6歳の頃にこういった事を全く気にしていなかったので、やはり性格ってそれぞれ違うんだなぁと思いました。
祖父が死んでからはよりその恐怖心が強まり、毎晩のように泣いていました。「まだ死なないよ」となだめる事はできるのですが、死は誰にでも訪れるもの。「絶対に死なない」とは言えず、どう言えばいいのか考えあぐねる日々でしたが、次男は自分で答えにたどり着きました。

ある時突然、次男が
「もしママが死んで、それから僕が大きくなって死んだら、僕とママは同じところに行くの?」
と聞いてきました。
「そうだね」
と応えると、次男は「じゃあ最後には必ず会えるって事だね。じゃあ怖くないね」と言いました。そして
「じいじにもまた必ず会えるって事だね」
と言っていました。

自分でこの結論にたどり着くというのは、すごい事だなと思います。
自分で答えを見つけて、納得できたのは何よりです。

父がそばにいると感じるか

肉親が亡くなると、そばにいるのを感じるとかそういう話を耳にする事がありますが、自分がそう感じているかというと、ほとんど感じていません。
ただ、二度ほど、ちょっと不思議な経験をしました。
NZに戻ってから見た夢の中で、実家の玄関を開けて父が外から戻ってくるのです。
家の中にいた私は、思わず父にかけより、しっかりと抱きしめました。
晩年、杖なしでは歩けなかった父は、思わずよろけるのですが、私は父が転ばないようにしっかり抱きとめました。
そして、そこで目が覚めました。

なんだか父が帰ってきたのかもな、と感じた夢です。

もう一つも寝ている時でした。
よく休日に寝過ごした時に呼ばれるような調子で、父の声でハッキリと名を呼ばれました。
ガバっと目を覚ますと、特に何もない暁方のベッドの中でした。
でも本当についさっき呼ばれたように、耳に父の声がこびりついていました。

それっきりです。願望や思い出がそうさせるのか、なにか別のものなのかはわかりません。


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