【子育て】家庭の役割と学校の役割
先日、気になっていた『夢見る小学校』の
上映会に息子さんと行ってみた
最初からあまり乗り気でない息子さん
もちろんご褒美で釣って
さらに、当日13時半からだったので
午前中を動物園で過ごすことにしたら
俄然、行く気になった息子さんw
その動物園は以前にたまたまテレビで見た
マツコという数奇な人生を送ってきた
チンパンジーがいるのだ
向かう車の中で
動物園のホームページの動物紹介を見て
サルの種類の多さにテンション上がる息子さん
売店では持っていな白頭鷲のぬいぐるみに
またまたハイテンション
少しだけ積もっていた雪にもはしゃぐ
一変して、不機嫌&ローテンションで
上映会の会場に到着した
そりゃ、自分が見たいわけじゃないからね
早々に
『あと何分で終わる?』と聞いてくる
子どもは正直だ
そして、わたしの体も正直だ
相変わらずの中途覚醒で深夜3時に目が覚め
二度寝ができなかった上に
長距離の運転と動物園で眠気が…
職業病全開で見てしまうので
音処理の荒さがまず気になった
音編が大好きだったから余計に気になる
だんだん構成も気になる
気になることだらけなので目を閉じたら
寝落ちてたかも知れない…
寝落ちてないと思いたいが
この映画で出てきた伊那小学校
この小学校は是枝さん(監督)が
昔ドキュメンタリーを作っていて
見た事があった
『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』
是枝さんとこたパパは
テレビ時代に一緒に仕事していたので
よく昔の話を聞いていたし
いくつかの番組も見せてもらっていた
(今は別業界だけど、
こたパパはテレビ編集時代の先輩)
別にそれと比べたわけではないけど
是枝さんは、時間があると一人で
小学校に通っていたという話を聞いていた
取材は昭和63年10月から平成3年3月まで
行なわれていたという話もあった
『夢見る小学校』は
同じ画の繰り返しが多く感じたし
やはり、撮れ高が俄然違う気がする
ドキュメンタリストとして
是枝さんの取材対象者との距離感や
向き合い方がわりと好きだった
(因に映画はほぼ見たことないけど)
などなど考えながら寝ていたのかもw
とはいえ、始終寝ていたわけでもないので
『夢見る小学校』の言わんとしたことは
それなりにわかったのだが
疑問も残る
最大の疑問は
それを今の日本という社会の
学校教育でやる必要があるのだろうか?
社会に出て自分のやりたいことを自由にやれて
それで生活をできている大人が何%いて
自分の子どもがそう成れる可能性が何%で
と考えた時にリスクが高いように思う
別にリスクをとることは悪くない
悪くないが
つぶしがきかない、選択肢が少ないことは
あまり良い事と言えないだろうと思う
『夢見る学校』がやっているような
個人の夢中になれること
やりたいことを大人の責任下で
自由にやる経験は家庭の役割で
いいのではないか?
と言う思いを強くした
なにしろ子どもを1番よく知っている
見てきているのは親であるし
ほぼマンツーマンで付き合える
学校は家庭ではどうしても与えられない
同世代の交流の場
集団行動の練習の場
規則のある社会の適応の場で
いいと私は思っていて
勉強には期待をしていない
机で学ぶことなど高が知れているが
社会に出て授業時間分くらい
我慢して椅子に座っていられないのは
問題となる可能性が高いからだ
自由でない場所に身をおく可能性の方が
残念ながら高いのだから
〝我慢〟にも〝ルールに従う〟にも
慣れておいて損はないし
そんな堅苦しく面倒なことは
家庭には持ち込みたくない
そう考えた時に
宿題ほど邪魔なものはないと
結論に達した
学校的な教育を家庭に押し付ける存在
家庭の時間を奪う存在でしかない
『夢見る学校』のような体験は
1年中やらなくていいなぁと思う
やりました的な形だけの
1日だけの社会科見学をもう少し
拡充して数日間使って何かを作るような
体験型の学習としてたり
行事の主導権を子どもにうつし
提案から実行までをやらせ
教師はフォロー役に徹する程度でいい
まぁ、、、サマースクールとかに入れれば
いい話かも知れないが
普段、仲の良い学校の友達と
何かをするというのもいい経験だと思う
サマースクールや合宿などでは
人間関係の構築からスタートとなるので
学校は社会適応力を身に付ける場
家庭は子供の個性や能力を引き出し
生きる知恵や生活力を養う場
なんかそれで良い気がする
ん?勉強は?って、、、
それは、己の問いの中に
学びの種はあるということでw