コロナ禍の代償:子どもたちの経験不足が引き起こす課題
失った代償は非常に大きい。
コロナ禍によって本来得られているであろう経験が得られていないことによって起きている問題ってたくさんある(気がする)。
コミュニケーションを取ることが制限されるような数年間をすごしてしまった子どもたちは、どのようにコミュニケーションをとったよいかもわからないし、何よりお手本・モデルになる人達もいない中で生活をしているんだと思う。
もちろん怒られたり、理不尽なことを言われる“経験”そのものが少ないから、それを受け止める耐性もできるわけもなく、
“最近の子供達はメンタルが弱い”
との一言で片付けられてしまう。
ほかにも、親戚の家に言って、「きちんと挨拶しなさい!」と、わからないなりに「挨拶は自分からするもの」と教えてもらうこともないわけで、、、
絶対的に経験値が低い状態で、学校という場にブチ込まれているような状況で、タフに生きている子どもたちのほうがむしろレアなのかな?と思うようになっています。
「そういうのを教えてあげるのが学校」
なのは、百も承知です。
でも、
「小学校2年生で九九を習う」(学年が違ってたらごめんなさい)
というは、
『小学校2年生で』習うから意味があるわけで、
出来ていないから、またはやっていないからと言って
「小学校5年生で九九」を教えていたら、計画している内容の教育は進められないし、何より学ぶ(学ばせる)べき内容がぜんぜん進まずにいろいろなものが崩れて言ってしまうと思うんですよね。
コロナ禍によって、その時その時に経験し得る、または学び得る内容が欠落してしまったことの弊害は、もしかしたらもう少し先に出てくるのかもしれません。
・コロナ禍によって九九をきちんと覚えられないまま中学生になってしまった子どもたち
・リコーダーを一度も触らずに中学生になってしまった子どもたち
・大人や初めて会った人に対してどのような挨拶をしていいかわからない、または挨拶の仕方を教わらなかった子どもたちが社会人になる
それぞれの世代が抱えている課題や問題を
「最近の若者は…」
で片付けるのは簡単ですが、大変なのはその子ども達のはずです。
お互いが気持ちよく生活していくため、これからの社会を明るいものにしていくためにも、
今抱えている子どもたちの課題に、もっと寄り添っていかなければいけないと強く感じました。
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