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恐れに向き合い傷を癒してからでないと話にならない、というはなし

※大西さんの炎上動画の一部始終についてはこの投稿で説明していません。
問題になった動画の切り取られた部分だけではなく全編を見て、れいわ新選組の支持者の反応や、世間の反応を見て思ったことを書いています。



大西つねきさんの動画が炎上して謝罪と撤回をされた。
のちにその謝罪も撤回された。

私は今回の発言の
何が問題なのか、わからなかった。

「命の選別を政治がする」「冷酷に」「合理主義」
などと、わざとのように人の心がざわつくようなキーワードを散りばめてはいたけれど。
その真意はとても健全な考えに基づくものと感じた。

「命の選別」という言葉だけで
高齢者や障がい者を切り捨てる考え、優生思想
とすごく単純に理解されている。
え、前後の話聞いてた?
優生思想の「ゆ」の字も障がい者の「しょ」の字も言ってない。
曲解にも程がある。

「複雑なモノゴトを単純化して、それを丸覚えすることが学びであるかのような教育になってしまっているけれど、
モノゴトが複雑であることを知り、
多面的に考えることが本来の学びであり、
そのことに貴重な時間を子どもや若者たちが避けないことが
憂うべき事態である。
また、人に伝えるときにわかりやすくするために言葉を単純化することは
必要だけれども誤解が生じやすく難しいことだ」

っていう深い示唆を含むとても意義のある内容の動画だったのに。
まさに、大西さんの憂う、
言葉を切り取り単純化して決めつけてあげく対立を生むような事態になっている。

「命の選別」という言葉を聞くだに、
反応して怒ったり憎んだり絶望しているのは、
一種脊髄反射のように見える。
それはきっと、命を脅かされることへの恐れからくるものなのだ。
障がいや病気があればその恐れは抱くものだし、
そうでなくても、年齢や性別や国籍や経済状況で
それぞれみな切り捨てられる方になるのでは、という恐れは抱いて生きている。
そういう社会である。

前に自分のnoteでも書いたことだけれど、
でも「恐れ」を抱いていると、根本的な安寧は手に入らない。

・「恐れ」を解消してくれそうな人やものに心を揺すぶられやすいし
(自分の恐れを感じているポイントを優しくしますよ、という商品、政治家、宗教などに偏りやすい。
「高齢者や子育て世帯にやさしい政治」などという単純化された甘言をあっさり信じて、複雑化している現実を見なかったり未来のことまで考えなかったりする。)

・「恐れ」に支配されていると「怖くない未来」のことだけを望んでしまい、今ここで生きていることを疎かにしがちであり、結局のところ生きている満足度が下がり、満足していないので「長く生きる」ことだけに執着しがちになる。
けれど、いくら長く生きても、根本的な幸福感や安寧は手に入らない。

大西さんは、いろんな生をおびやかす「恐れ」のない
誰でも楽に生きて、学びを深めて安寧を手に入れられる社会を作るため
経済システムを変えよう、と動いている人なので、
今回脊髄反射して怒っている方々をむしろ救いたい人なのだ。


怒って、情緒でものごとを考えることは、
不幸の堂々巡りである。
「思いやり」「優しさ」という情緒だけを大事にしていくと
情緒を優先して生の質を下げていく。
うつさないための優しさをつめこんだマスク装着が、
健康を害したり生活を息苦しくするように。

だから、その「情緒」を一回疑いませんか?
ときにその「情緒」が命を奪うので。
(大戦末期の日本のように)
「命がいちばんだ!」「優しさ」「思いやり」「みんなで頑張ってのりこえよう」「一生懸命やるべき」
などなど、その一見良い感じの情緒的なフレーズ、一回疑ってみませんか?
何かにしばられたり、何かが怖くて受け入れていませんか?

「恐れ」を大人の世代が手放して、
子どもや若者が「恐れ」に翻弄されることなく
きちんと学べる余裕のある社会を目指したい。

自分の「恐れ」は自分のところで解消して
下の世代に残さないで。
脊髄反射はもうやめて、
自分の頭で考えよう。


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