『すずめの戸締まり』感想
映画を見てきたので以下感想(+妄想)です。
■全体の感想:
廃墟が好きなので、美麗な廃墟シーンが沢山見られるというだけでかなり嬉しかったです。(半分くらいこれが目的で見に行きました)
今作は世界を揺るがす災害として地震が用いられています。最近頻繁に揺れを体験していることもあって、作中の危機感にリアリティを感じられました(地震という災害を扱う上で3.11やそれに絡む描写をはっきりとしているところは真摯だと思います)。事前に揺れといて良かったですね(怖いので本当に揺れないでほしい)。
最終的に自分自身で昔の自分を励まし、背中を押して送り出すというシーンが構図としてとても良く、そこで母に作ってもらった椅子を渡すという行為が含まれているというところも凄く綺麗な表現だと思いました。
作品全体で一貫して扉を介した行動や意味にハイライトした物語の流れがあって、そこからすずめの「おかえり」という台詞で終わるというのも構造的に好きです。
見終わった直後は爽やかでいい映画だったなという感想くらいしか出てこなかったんですが、思い出して咀嚼していくうちに好きな映画だなーという気持ちになっています。これから人の感想を色々読んでいくとまた感じ方も変わりそうで、そこも楽しみです。
■個々のシーンに対しての感想:
・すずめの部屋が散らかっているという描写は草太が椅子を手に取る流れの為だと思いますが、最初に後ろ戸を開けっ放しで立ち去ったことに対して説得力を上げることにも貢献していていいシーンだなと思いました。
草太は他人の家を片付けることに対して慣れている風だったので、普段芹澤くんの部屋に行った時に似たようなことをしているんでしょうか。
・閉じ師が扉を閉める際の一連の流れ(詠唱⇒錠の出現⇒鍵をかける)がカッコいい、気持ちいい。
前半はすずめと草太が各地の扉を閉める流れが続くので、2回目以降は勝ち確BGMのような嬉しさもありました。これから自宅を出るときに心の中で「謹んでお返し申す!」してしまいそうです。あの鍵欲しいな…。
・常世はあらゆる時間が混ざった世界という説明のところで「これ冒頭のすずめの夢のシーンに繋がるやつじゃん」と嬉しくなってしまいました。そういった物語の流れはハンバーグぐらい好きです。
・芹澤くんのシーン全般。いい奴過ぎる。すずめと環の関係性や抱える問題についてあまり触れずに、ただ近くで明るく振舞ってくれていて、出来た人間すぎるぞと思いました。
教員試験に落ちて、草太くんと二人仲良く留年してほしいですね。
・草太の祖父(宗像羊朗)とすずめが会話するシーン。草太が要石になったことに対して「あいつの意志を無駄にするのか」という旨のことを言ってたところで「石だけに?」と思ってしまいました。(実際は意思とは言ってなかったかもしれない、脳内で勝手に「意志って言え」と思ってそう聞こえていただけかも。自信がありません)
・環さんがすずめにキレ散らかし、言うべきでないことを言ってしまうシーンから「それだけじゃない」と優しく言うシーンまで。この映画の中でかなり好きなところでした。
人間は複合的な面があるので、完全な保護者としてではなく不完全ながらも頑張っている保護者として描いている部分に真摯さを感じます。
このシーンとは関係ないですが、結局劇中で環さんが職場の岡部さんとくっつかなかったのもなんか良かったです。あと2年はくっつかなそう。
・ミミズが消えると雨が降るという流れが、最後のミミズ封印シーンで常世の火を消すというシーンのためにあったんだとわかるところが気持ちよかったです。常世の景色は過去の一部分の景色を切り取っているんだと思いますが、他の常世が穏やかだったのに対して「あの場所」の常世は何故あの状態だったんでしょうか。
■妄想+分かっていない部分:
・鍵を閉めるときに「お返し申す」という言葉を使うのは、常世からはみ出たミミズを返すという意味と「おかえり」の意味があるのかな?と思いました。
そういう妄想を元にすると、最後に再会した草太にすずめが「おかえり」と言って終わるのは綺麗な終わり方だなと思ったり。
そういえば「おかえり」ってなんで「おかえり」なんだろうかと疑問になり(帰ってきてるのに追い出してるような言葉になっているような)調べたら、「お帰りなさいませ」の略だそうですね。よくよく考えるとメイドさんも「お帰りなさいませご主人様」って言ってるし、何故思いつかなかったんだろうと思いました。
・後ろ戸として出てきた各地の廃墟は多分元ネタ的な場所がありそう。東京の後ろ戸はてっきり使われなくなった駅(万世橋駅や表参道の旧ホーム)とかだと思ったら謎の地下空間でしたね。何か元ネタがあるのか気になります。
・芹澤くんが廃墟郡のようになった海沿いの街を見て「ここってこんなに綺麗だったんだな」という旨の台詞を言うシーンで、すずめが疑問そうに感じているシーンの意図がよくわかりませんでした。
すずめは被災しているので被災地を見ても綺麗と感じたことはなかったけど、芹澤くんにはそういうバックボーンが無いので、純粋に景色が綺麗と感じるという
そういった違いがあることを見せるため?のシーンなんだということはわかるのですが、この違いの実感がすずめのこの後にどう影響したのかがまだよくわかっていません。
・ミミズの正体は何らかの力のうねりみたいな説明をされていて、詳しくは描写されていませんでしたが、ミミズの出現場所である常世が死者の世界であるなら、ミミズ自体も死者の魂的なものや思い的なものの集合体だったりするんでしょうか。(見た目は火山噴火時の溶岩がモチーフっぽいことが作中の古文書?のページで出てきていましたね)
・作中に出ているすずめの椅子は、居なくなってしまった母親の代理のような役周りなのかな?と思いました。
常世ですずめが拾って幼すずめに渡した椅子は現実世界の椅子とは別物(冒頭からずっと一緒に旅していた椅子(in草太)も)ですが、常世は死者の世界なので常世から生まれた椅子は死者の魂や思いのようなものがベースにあるのでは?という想像です。
最終的にすずめは椅子を幼すずめに渡して完全に手放すことで、出来ていなかった親離れを疑似的に行っているように思います。
最初にすずめの部屋で草太が椅子のことを気にしたのも、常世で生まれたものだったからかも?とか、草太と融合して要石になったのも素材として適性があったから?とか妄想が広がりますね。
・すずめと草太が同時に要石を刺すシーン。最初から閉じ師が2人いないと成り立たなくないか?となり、そもそもすずめは最初から2人目として確保される予定だったのでは?と思いました。
ミミズが見える人材は限られているし、要石の近くに住んでいるしで2人目が必要だったらこれ以上の人材はいないような気がします(もう一つの要石は東京にあり、東京には草太が住んでいるので要石近くに閉じ師の素質のある人物が引き寄せられているとか?)
最初から確保予定だったのであれば、誰かが監視なりなんなりしていたんだと思いますが、誰がやってたんでしょうか。要石のダイジンは以前からすずめを知っているような口ぶり(初対面で名前を言っている)だったので、実は要石の時から何らかの方法ですずめを見ていたのかもしれないですね。
・ダイジン(白黒両方)に関して、草太が今回そうなったようにダイジンも元々猫じゃなくて人間だったんでしょうか。草太の祖父は左大臣を知っている風な口ぶりだったので、その辺り詳しく知ってそうです。
以上感想と妄想でした。書いてたら二回目見に行きたくなってきたので多分見に行くと思います。