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ミャンマー、光州事件、映画の話

 最近思うことについて、とりとめもなく書いてみる。

 今、ミャンマーが大変なことになっている。アウン・サン・スー・チー氏の拘束、インターネットの遮断、軍によるデモ隊への発砲、乳幼児を含む市民の死亡と、報道の内容が日に日に深刻・悲惨なものになっていく。本当に胸が痛い。

 どうして胸が痛いのか。
 これが学生時代の自分だったら、どこか他人事のように捉えていたのではないかと思う。ビルマ語専攻の友人はいるが、ミャンマー人の知り合いはいない。ミャンマーに行ったこともない。
 これに対して香港の民主化デモについては、他人事と思えなかった。香港を旅行したこともあるし、香港人の知人友人もいる。自分との繋がりがどのくらいあるかどうかで、ニュースへの関心の度合いが決まるように思う。

 ミャンマーの件で、なぜこんなにも胸がしめつけられるのか?ミャンマーは日本と近いアジアの国だから、というのは一つあると思う。

 そしてもう一つの理由は、社会人になってから私が観た二つの映画の影響だと思う。
 1997年公開のアメリカ映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」と、2017年公開の韓国映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」。どちらも史実を元にした映画である。

 前者「セブン・イヤーズ・イン・チベット」は、私が社会人1年目の時にTSUTAYAで借りて観た映画。これまで私が観た映画の中で一番好きで、自分に大きな影響を与えた映画。ブラッド・ピット主演だが、好きな理由はそこではない。
 1939年、ヒマラヤ山脈登山に向かったオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーが、第二次世界大戦の影響で捕虜になり、脱獄してチベットへ辿り着き、ダライ・ラマ14世と交流する、という話。



 ちなみに私はこの映画を見て「ヒマラヤに登りたい!まずは近場の山から練習せねば」と思って、速攻で翌日仕事帰りにスポーツオーソリティでリュックと靴を買い、その週末ひとりで妙見山、その翌週末ひとりで六甲山に登った。登山にはまるきっかけになったのはこの映画である。ただし今鑑賞すると、なぜこの映画のヒマラヤの描写を見て登りたいと思ったのかさっぱり分からない。

 話が逸れた。大好きな映画だから、つい。

 主人公ハインリヒ・ハラーのチベット生活は、中国共産党の人民解放軍がチベットに軍事侵攻したことによって終わりを告げる。平和と仏教を愛するチベットの人々が、自らの土地を守るために旧式の武器を手にするが、中国の強大な戦力にかなうはずもなく。仏像が壊されるシーン、ラサに中国の五星紅旗が掲げられるシーンには胸が痛んだ。
 人々は、今の暮らしを守りたいだけなのに。なぜ奪われるのか。

 ちなみに、私は中国が好きで、中国が出てくる映画を探していてこの映画を見つけたのだが、これ以降、チベットを舞台にした映画を見るようになった。さらに、You Tubeでチベット音楽を聴き、本町にあるチベット料理店に行き、東京国際フォーラムの地下階で開催されたチベットフェスティバルにも行った。チベット旅行を企てて妄想旅程もできているのだが、これはまだ実現していない。

 また話が逸れた。好きなもので、つい。
 平和が突然奪われる、という点で、この映画とミャンマーでの出来事が、私の中で重なった。


 二つ目の映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」は、私が2020年の年末にNetflixで見たものである。1980年に韓国で起こった民主化を求める民衆蜂起の光州事件が描かれている。主人公のタクシー運転手役を演じたソン・ガンホは、後にアカデミー賞映画「パラサイト 半地下の家族」で主演をつとめている。



 私はこの映画を見るまで、光州事件のことは恥ずかしながら何も知らなかった。ウィキペディアによると、軍のクーデターや金大中の逮捕を発端として、学生や市民を中心としたデモが戒厳軍との銃撃戦を伴う武装闘争へと発展していった、とある。映画中で、光州での出来事は海外でもソウルでも報道されておらず、そのためにドイツ人記者が主人公であるタクシー運転手の運転するタクシーで光州に潜入して取材しようとする様子が描かれている。
 デモに参加する若い学生達が、軍の発砲を受けて命を落とすシーンは、涙無しでは見られなかった。

 私はこの映画を見て衝撃を受けた。BTSや愛の不時着など、今や日本中・世界中の女心(男心も)を鷲掴みにするコンテンツを次々と世に送り出しているお隣さん韓国が、私が生まれる十年前までそんな大変な状況だったとは。他人事とは思えない。


 ミャンマーのニュースを聞いて、この映画のことを思い出し、光州事件とよく似ていると感じた。軍のクーデターやアウン・サン・スー・チー氏の拘束、ネットの遮断やデモ隊への攻撃。
 光州事件やミャンマーで今起こっていることは、戦争ではない。自国の軍が、自国の民を攻撃しているのだ。政権に対して声を上げ、デモをしたら弾圧される。圧倒的な力を持つ軍を前にしては、民は無力だ。自国の民を守るべき軍が、民の命を奪うなんて、あってはならないことだ。
 光州事件に似た悲惨な出来事が、それから四十年たった今でも起こってしまうのだ。悲しい歴史は繰り返す。

 私は二つの映画を見て、歴史を知って胸を痛め、他人事ではないと感じたから、ミャンマーのことにも胸が痛むようになったのではないか。
 映画はすごい。生き生きとした描写で登場人物に感情移入させる。まるで自分が主人公になって、その時代でその経験をしているかのように感じさせる。戦争を知らない私でも、戦争や暴力の恐ろしさを感じる。本や記事やドキュメンタリーだとそこまではいかないのではないか。
 映画と出会って、知らない国の歴史を知る。勉強になる。

 歴史とは、戦いと攻撃の繰り返しである。今の日本に暮らしていると、そんなこと思いもしないけれど。平和とは、とても脆く、あっというまに奪われてしまうものなのだ。
 ミャンマーは他人事ではない。チベットも香港も光州事件も他人事ではない。次は私達かもしれない。平和はとても脆いものだから。

 一刻も早く、ミャンマーの人達が平穏を取り戻せますように。