被虐心とプライド
いいねして下さった方の素敵な記事を読んだ
(素敵と言っていいのかな?純粋な褒め言葉です。)
加虐心を素で煽るその姿、凄く見習いたい。
というか、完全マゾヒストの人はそうなのかな…?
私はいつも、虐めて欲しいのに変に茶化したり、変に理性的になってしまい、自らムードを壊したり拒否てし「違う、そうじゃない」の結果を産んでしまう。
ある意味惨めな気持ちになる。そうじゃないのに。
違う、本当は素直に、めちゃくちゃに、無様に虐められたい。
もっと言えば、私の意思(理性)に反して、ぐちゃぐちゃに壊して弄んで楽しんで欲しい。
純粋に虐めたくなる、手を加えたくなる対象でありたい。
ある意味ギャップを作ってはいるけど、萎える→そもそも虐めると冷めると意味ないよね。逆効果だよね。
虐めて欲しいのに、虐めの対象から外れる行為を自らしてしまう。
変なプライドを捨てれば
本当のプライドを持てる?
ある意味、
「自分がとんちんかんな馬鹿である
とは認めたくない」
というのがプライドなのかも。
でも
そもそも自分は馬鹿であるとするのは、
自分を低く見積もってる事になるよね。
もんもんと考えて、でもムラムラして
なんかもうおかしくなりそう。